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1
上田合戦の上田城
上田城は二度の徳川軍の襲撃を耐え、撤退に追い込むことができた。徳川軍との戦いは上田合戦と呼ばれ、1585年と1600年に勃発した。 1585年の第一次上田合戦は真田と徳川の間で領地問題が発生したことで起きた。徳川軍7000に対し、真田軍は加勢込みで2000弱しかいなかったが、上田城の急な崖と千曲川の増水、狭い道におびき寄せて叩く様々な策略を用いたことで死者を抑え、撤退に追い込んだのである。 第二次上田合戦は関ヶ原の戦いの前であり、石田か徳川のどちらにつくかで石田についたことで起きた。返答と面会を遅らせた上に、あえて徳川軍をおびき寄せてから反撃する策によって、徳川軍に打撃を与え、関ヶ原への到着を遅らせたのである。 上田城のように大きな合戦に二度も勝利した事例は少ない。この勝利は知恵と地の利がもたらしたも
2024-02-12
2
常楽寺
常楽寺は北向観音が建立された825年に建立された。 北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっている。 階段を上がって最初に萱葺の本堂が目に入る。屋根から重厚さを感じられる。
2024-02-09
3
常楽寺石造多宝塔
石造多宝塔は1262年の作で、総高274㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品である。国の重要文化財に指定されている。 多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけている。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てている。 塔が建てられている所は北向観音の出現地といい、境内でもっとも神聖な場所とされる。 常楽寺本堂から石造多宝塔まで向かっていくと徐々に神聖な雰囲気が感じられた。 周りを木や緑に囲まれており、空気がとても澄んでいる印象だった。 また、石造多宝塔のすぐ右側には上田市指定文化財である常楽寺石造多層塔が建っている。
2024-02-09
4
常田館製糸場について
これはボイラー室の煙突です。主に従業員の生活のために使われいました。当時は個々の横に物資搬入用のトロッコが走っていたそうです。燃料となる石炭を搬入していました。また、トロッコは上田駅までつながっていて、製糸場でできた絹を上田駅まで届けていました。
2024-02-07
5
蚕都上田 常田館製糸所 煙突
この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今
2024-02-01
6
白山比咩神社
白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。 白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。
2024-01-30
7
石造多宝塔
信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。 三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった
2024-01-30
8
信濃国分寺
信濃国分寺は、741年に発せられた国分寺建立の詔により建立された。当時の国分寺は、平将門の乱において消失したと伝えられており、この事件を機に現在の位置に再建されたとされている。現在の信濃国分寺は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来である。境内は天平の伽藍の北側、⼀段高い場所にかつての僧寺と主軸線を合わせて整備されている。 信濃国分寺には、八日堂縁日に際に行くのがほとんどで行く機会はなかった。縁日の際に行くため、人が多く境内をしっかり見たことが無かった。本堂のほか石造多宝塔や三重塔など、多くの歴史的価値がある建物が残る場所であると理解できた。
2024-01-30
9
北向観音
日本遺産の一つである北向観音を訪れた。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願う。祈祷では厄除・家内安全・商売繁盛・身体健全・交通安全をお願いすることができる。 率直に、想像していた場所よりも高いところにあると感じた。割といきなり北向観音が現れたように感じたが、周りと調和していると感じた。また、別所の街並みを見渡すことができた。
2024-01-30
10
安曽神社
鈴子、石神、柳沢の3地区の産土神(うぶすながみ)であり、地域の守り神。社伝によると、崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、御震筆阿曾山舎社(がしゃ)阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。境内入口は東向き。参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。門をくぐると、砂利の境内。境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿がある。 実際に訪れてみて、一歩境内に入ると、風情を感じられるような空間であった。特に印象に残っているのは、随身門である。とても立派な木造建築の門で、左右の随身像は守り神の様な存在感だった。
2024-01-29
11
炭焼き小屋
炭焼きや薪取りなどの山の仕事は主として冬の仕事であったため、冬の山は賑やかであった。良い炭を焼くには経験と勘が大切で、体力的にも大変な仕事であった。窯の造り方も経験を要するもので、窯の良し悪しで炭の出来具合が分かると言われていた。 実際に訪れてみて、石積みの作りから歴史と時代の流れを感じられた。訪れた時期が秋であったこともあり、周辺の紅葉がとても綺麗だった。
2024-01-29
12
上田城
上田城跡公園は、上田駅から徒歩12分で行くことができる。 上田城は1583年に真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地の中央に位置している。 堀と土塁で囲まれ、出入口に石垣が使われている簡素な城であるが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名が知られる有名な城となった。 春は桜が咲いており、とても綺麗で上田城の見どころのひとつである。 四季によってさまざまな上田城の姿を見ることができる。 上田城 桜
2024-01-28
13
眞田神社
東虎口櫓門を抜けると眞田神社がある。案内板によると上田城を築いた真田父子を主神とし、民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とした神社だという。眞田神社には合格祈願に訪れる学生の姿が見られた。日本一の智将といわれた真田幸村は今でも智恵の神様としてあがめられていることがうかがえた。
2024-01-25
14
信濃国分寺
信濃国分寺本堂は文永12年に起工、万延元年に竣工され、彫刻・絵様は江戸時代末期の特徴が表れている。住宅街の中にあり、訪問した時は人があまりおらず静かな雰囲気だった。思っていたよりも大きく立派で本堂だけでなく周りの石畳や石造からも歴史を感じた。三重塔の前には紅葉が見られ、とても映えていた。上田地域の、雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由のひとつと考えられる。日本遺産のストーリーにある「太陽」というワードに関連する文化財であると考える。
2024-01-25
15
常楽寺 石造多層塔
常楽寺境内北向観音の出現地にある石造多宝塔のすぐ右がわに、総高168cm、五層のよく整った層塔が一基建っています。これが多層塔といわれる石造塔です。 鎌倉時代に建てられたものです。 一時はこの石造塔群がどこかに流出して、一基も無くなってしまいました。しかし、研究家が捜索する中で滋賀県に一基あることを見つけ、上田市に戻ってきました。 説明には「多層塔の各層の笠の反り、軒の厚み、相輪の形、一層から上層へ次第に減らした安定感など、鎌倉時代の特徴をよくそなえたりっぱな多層塔です。」とあります。 実際に見た感想としては、素朴な感じながらも安定したような、重厚感があるなと思いました。
2024-01-25
16
生島足島神社
生き物に生命力を与える生島大神と満足を与える足島大神の二神が祀られている。摂社には諏訪大神が祀られている古社である。 全体的に朱色で統一されていて、景観が美しかった。鳥居から太陽が出ているところを見てみたかったが、タイミングが分からず難しかった。太陽の上る時間、沈む時間は毎日異なるため、大鳥居、西鳥居にそれぞれ太陽が重なる時間を発信したら、神秘的な瞬間を見ることを目的とした集客ができるのではないかと感じた。また、日本中心の石像があったが、生島足島神社が日本の中心とはあまり聞いたことがないので、発信したいと感じた。
2024-01-25
17
石久摩神社
石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。
2024-01-25
18
常楽寺
別所温泉・北向観音の本坊。鎌倉時代には天台教学の道場として栄えました。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があります。 階段を上がって最初に目に飛び込んでくるのは茅葺の本堂です。平成15年に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改めました。 堂内には当時そのままの色彩を残す格天井が美しく、ご本尊の妙観察智弥陀如来は、阿弥陀如来には珍しい宝冠を頂く阿弥陀です。 授業の課題で訪れました。
2024-01-23
19
紺屋町 八幡神社
上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。 市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。
2024-01-20
20
炭焼き小屋
2009/02/07、塩田平にある前山寺付近を訪れた際、あじさい小道の入口にある炭焼き小屋に目がとまりました。昔当たり前だった暮らしの痕跡が少なくなる中、冬の仕事だった炭焼きの小屋の石積みが今も残っているのはたいへん貴重です。
2024-01-16
21
塩田城跡
塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。
2024-01-11
22
上田城跡
真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。
2023-12-26
23
水かけ地蔵
旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。 隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」
2023-12-21
24
上田の文化財 前山寺
前山寺は独鈷山の山麓に位置しており、塩田平が望める寺である。812年に空海によって開かれたという歴史を持つ。境内には国の重要文化財に指定されている三重塔や天皇陛下の当寺参拝に合わせて作られた長い石段があり、非常に見どころがあった。石段にそっておかれている石碑には心にしみる格言が書かれていた。山麓にあるため寺にたどり着くまで険しい道が続くが、境内に休憩所や売店があるため疲れを癒せる。
2023-12-05
25
男池
日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。 男池が作られた背景を知る
2023-11-30
26
上田のシンボル 上田城
上田城は真田昌幸が1583年に築城を開始した城である。関ヶ原の戦いで、真田昌幸が敗れたことにより天守は解体されたが、石垣や櫓は今でも現存している。また、明治時代初頭には陸軍の分営が置かれたが、その後払い下げられた。何度も戦いの拠点となり、時代によって様々な利用をしてきた上田城だが、現在では観光地と上田の歴史資料として利用されている。春の桜は見どころで、満開の季節には全国から多くの観光客が訪れる。
2023-11-30
27
歴史を感じる別所の湯 石湯
別所温泉は古くから温泉街として栄えた町で、その名残を残す建物が多くある。温泉は貴重な資源で、一家に一つお風呂が引けない時代には、外湯という共同浴場が住民の憩いの場となった。別所温泉には外湯が三か所あり、その中の一つが石湯である。国土地理院の地図などを調べると、昔からその場所に石湯が存在していることが分かる。昔からの風情を残す別所温泉にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
2023-11-30
28
北向観世音道(別所街道)
塩田平保野辺りをはしる別所街道を一本南にずれると、そこには旧別所街道が通っている。この石碑が置かれている場所は(昔の)別所街道と善光寺街道が交差した地点で、市が立ち並び賑わったようだ。 あの武田信玄がこの地を治めた時代があったようで、信玄は保野の3集落をこの道沿いに集め、宿場風の街にしたと伝えられているそうだ。 上田築城以降は上田城下から別所温泉までの重要な交通路となり、湯治・観音様詣、そして集落に繋がる生活道路として使われたようだ。 保野、そして別所街道に、中世から続くこのような歴史が存在したことを知らなかった。たくさんの人がこの道を往来していたこと、そして今も大事に使われていることを感じながら、実際にこの道を通って、別所温泉を訪れるのもよいだろう。
2023-11-28
29
氷沢風穴
今回は、別所温泉にある「別所氷沢風穴」に訪れた。 風穴は、春から秋まで蚕を飼育できるように蚕種を低い温度で保存し孵化を抑制させるといった機能を持つ。 実際に訪れてみると、山の中にあり非常に涼しい場所であった。階段から風穴に降りることができた。高さは3m以上、広さは6畳程で、壁となる石と石の間には隙間が空いており、冷気が通っていた。 他にも、氷沢風穴の近くに小規模な風穴の跡が見つけられた。 訪れる際の移動手段には車をすすめる。別所温泉駅から距離がある上に、きつい斜面を登っていくことになるため、徒歩では心が折れる。
2023-11-26
30
倉澤家蚕室
今回は別所温泉にある倉澤家蚕室に訪れた。中心温泉街のつきあたりに位置する。 蚕種製造家、倉澤運平によって大正5年に建てられ、蚕の飼育や桑の保存に利用されてきた建物である。 温泉街の風景の中で、ここが蚕糸業で栄えた「シルクの里」でもあったことを伝える象徴的存在である。 石積み擁壁の上に建つ二階建ての立派な蚕室で、かつての倉澤家の財力がうかがえた。
2023-11-26
31
常楽寺石造多宝塔
常楽寺石造多宝塔は、北向観音の出現地とされる常楽寺境内に建てられています。 1292年の作で、大日如来を具現化したものとされています。 静かな山の中のこの場所はまるで別世界。観音様が出現したというのも頷けます。 そんな神聖な雰囲気の境内には学徒出陣した信州大学繊維学部学生の鎮魂碑もありました。 ※拝観料100円を常楽寺境内にある箱に入れてから行くようにしてください。
2023-11-08
32
常楽寺
上田市の指定文化財です。 平安時代の始めに北向観音の本坊として慈覚大師(円仁)によって建てられた天台宗の寺で、大日如来の化身妙観察智阿弥陀如来がまつられています。 学問への貢献も知られている寺で、多くの青年僧が学んだとされています。 重厚な茅葺き屋根が神聖な雰囲気を醸し出しています。 寺の裏手の林は北向観音が出現したと言われ、石像多宝塔があります。(100円の拝観料が必要) また境内に美術館も併設されています。(記事作成者が行ったときは残念ながら閉まっていました。)
2023-10-31
33
将軍塚
別所温泉郵便局近くにありました。 古墳時代に、有力な豪族の墓として作られたようです。 素朴ながらも芸術的な小さな石塔が盛り土の上に建てられています。 夕日に照らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
2023-10-31
34
別所神社
別所温泉にある上田市の指定文化財です。 建てられた当時は熊野大宮大社(和歌山県)の熊野大神を祭ったものでした。 後に本殿の後ろにある「男石」、「女石」、「子種石」 も「縁結び」のご利益があるとされ、祀られました。 現在の「別所神社」は明治11年からの名称になります。 熊野大宮大社の分社でありながら、別所の地域文化に根ざしている特殊な神社です。
2023-10-31
35
常楽寺
北向観音の本坊で、鎌倉時代には天台数学の道場として栄えていた。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があり、苔が生えていて趣を感じることができた。樹齢350年の「御船の松」は、とても立派な松だった。 別所温泉旅館組合「別所温泉のオススメ観光情報[公式]」 https://www.bessho-onsen.com/ (最終閲覧2023/1/26)
2023-01-25
36
十九夜塔(加増公民館)
加増公民館駐車場の諏訪神社への階段の左に建立されている如意輪観音。きれいな案内板が設置されています。 寛政7年(1795年)建立。
石造物マップ
2022-12-20
37
常楽寺
常楽寺と石造多宝塔です。石造多宝塔は、国重要文化財に指定されています。
2022-11-30
38
愛宕神社
山の中にある神社。急な階段を登ると突如現れる。落石注意の看板もあり怖い。上から見る景色はきれいだった。
2022-11-03
39
石垣
東虎口櫓門の石垣には真田石が用いられています。石垣ひとつとっても意味があるということを初めて知り、驚きました。
2022-11-01
40
浄念寺
七重山「浄念寺」は浄土宗のお寺です。室町時代の後期、永録2年(1559)に上田市の房山に源法寺として創建されたそうです。元禄9年(1696)に現在の場所に移転し、浄念寺と改称したそうです。 参道の入り口には小さな石橋があります。この橋は縁切り橋と呼ばれているそうです。奥の大きな地蔵尊は悪縁を切ることができることから「縁切り地蔵」と呼ばれています。
2022-11-01
41
浄念寺
七重山「浄念寺」は浄土宗のお寺です。室町時代の後期、永録2年(1559)に上田市の房山に源法寺として創建されたそうです。元禄9年(1696)に現在の場所に移転し、浄念寺と改称したそうです。 参道の入り口には小さな石橋があります。この橋は縁切り橋と呼ばれているそうです。奥の大きな地蔵尊は悪縁を切ることができることから「縁切り地蔵」と呼ばれています。
2022-11-01
42
金昌寺
曹洞宗 もとは武石村にあり、琴松寺と呼ばれていたそうです。真田昌幸が援助してこの地に移転し鳳林山金昌寺としたそうです。 曹洞宗のお寺ですのに聖徳太子を祀る太子堂があります。全国的にも珍しいことだそうです。浄土真宗のお寺には多くあるようです。
2022-11-01
43
本陽寺
日蓮宗のお寺で上田市の文化財です。 本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。仁王門は元禄5年(1692)の建立です。
2022-11-01
44
謎の石仏
一里塚近くにあった石仏。この石仏についての説明が見当たらず、謎が残りました。
2022-10-31
45
上田探検 まちなか 高市神社
ここは高市神社という街中にある神社である。ここには運の石というスポットがあり、悪運を祓い、良運を呼び寄せると言われています。
2022-10-31
46
上田探検 西部地域 丸山邸
ここは丸山邸と呼ばれる場所である。この石垣は明治政府より払い下げになった上田城の石垣を移築して築いたものであり、丸山邸付近の景色は風情あるもので、かつては時代劇のロケ地にもなっている。石垣くらは当時の迫力を思わせるような魅力があり、ロケ地にされるのも納得の風景だった。
2022-10-31
47
常楽寺
別所温泉駅から、徒歩5分程度のところにある上田市の指定文化財である常楽寺に行ってきた。茅葺き屋根が特徴的で、常楽寺に向かうまでの石階段がかなり、足腰にきた。門構えも立派で引き込まれた。別所三楽寺の一つとして多くの信仰をあつめている常楽寺にぜひ一度訪れてみてほしい。
2022-10-30
48
上田城跡
上田城跡に友達と行きました。石垣についての説明を読んで、石垣で大きい石を使っているのは権威を示すためだとわかり、面白かったです。そして石垣にも歴史があるのだと新しい発見でした。
2022-10-28
49
真田氏記念公園
NHKドラマ「真田太平記」の放映を記念してできた公園。 池波正太郎氏の筆になる「真田氏発祥の郷」の石碑や真田幸隆、昌幸、幸村の真田三代の肖像が並んでいる。
2022-10-28
50
上田城
三つの写真の内、上田城・大阪城の記念碑は、上田・大阪両市長の友好城郭記念宣言を機にして設立したものである。石碑は旧真田城の石を使用しているらしい。
2022-10-27
51
綺麗だなあ…!
立科町の茂田井宿の中には、昔ながらの家がたくさん並んでいます。その中のひとつに綺麗に積み重ねられた石垣がありました。 ひとつの石を抜いたら、全てが崩れ落ちてしまうんじゃないかと心配になるくらい、石と石が重なり合うことで重みを分散して、なん百年もの間、こうしていたのだと思いました。 お城の石垣として、大きな岩が積み重なっているのもすごいですが、一般家庭でも見れたのが嬉しかったです。
2022-10-26
52
北向観音道標
大きな石に綺麗に彫ってあった 自然に置かれているので気づかなかった
2022-10-25
53
丸山邸
たそがれ清兵衛のロケ地です。石垣はかつて上田城のものだったようです。明治時代にこの場所に移されたとの事です。とても歴史を感じました。この辺は川辺で涼しく散歩にちょうど良いです。 上田市は自分が思ってた以上に歴史に満ちあふれてると思いました。
2022-10-24
54
丸山邸
諏訪部という地域の矢出沢川沿いには丸山邸という石垣造りの立派な邸宅があります。この石垣はもともと上田城から運んできたらしいです。実は10年前くらいに丸山邸は火事で屋根が落ちていたりもするんですが、そんなことを微塵も感じさせないほど繁盛してます。今は邸宅内の蔵を改造して映画鑑賞ができたり、お洒落な観葉植物を販売していたり。時間の都合上カフェの写真はありませんが、ここの蕎麦はおいしいとのこと。是非!
2022-10-24
55
さながらワルハラ城、角川武蔵野ミュージアム
所沢に出現した巨大な石造りのように見える城塞。何だと思いますか? 現代の都市環境に石でできた堅牢な城塞に見えます。周辺の都市環境の中で、一際目立ち、異物感があります。誰もが「なんだ、あれ」と思って見てしまうインパクトがあります。さながらワルハラ城。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』のあの神々の城を真っ先に連想しました。あの隈源吾さんの建築デザインとは後から知りました。 角川武蔵野ミュージアムはこの異物感のある建築ばかりでなく、施設のコンセプト自体が常識を覆す画期的なミュージアムです。建物から歌舞いて(とんがって)います。松岡正剛さんが館長。ホームページを見ると、松岡正剛館長がいかにも、という感じで、そのコンセプトを披露しています。これは面白い! ★
角
2022-06-05
56
塩田城跡??
塩田城跡との石碑があるが看板を見るに更に上に道が続くようだ。少し探索を行ったが土砂崩れとの看板や害獣用のトラップが見受けられたので深入りするのはやめておく。
2022-05-12
57
独鈷山風穴へと到る
長野大学より歩くこと1時間と15分、龍光院へと足を進めた。 そこよりさらに山に踏み入って、案内に従って風穴へと進む。 しかし、何かおかしい、途中にはいのしか対策のフェンス、転がる石ころ、更には害獣用のトラップが仕掛けられている。 道を間違えたかと、不安になりつつも進むと、私は独鈷山風穴へと到った。
2022-05-10
58
JR飯山駅の五島慶太翁碑
JR飯山駅の構内に石碑があるのに気づきました。「五島慶太翁碑」と刻まれています。 五島慶太(1882~1959)は東急グループの創始者です。「碑の由来」には、五島は飯山線の前身である飯山鉄道の敷設に援助の力を尽くしたと記されています。逝去翌年の1960年に飯山駅開業70周年を記念し、五島の功績を顕彰して建てられました。
2022-05-05
59
海應院
天文5年に創建された曹洞宗の古い寺。昔は小諸城内五軒町にあり、関ヶ原合戦の際に真田氏を攻めた徳永秀忠の宿舎にもなった。小諸市の花である「コスモスミレ」を見ることが出来る。寺までの石畳が距離があり、中に入っていくと外の喧噪が遠くなっていくのを肌で感じることが出来る。
2022-05-05
60
三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)
安楽寺の創設ははっきりしていないが、729~749年の間に高層として知られる行基(ぎょうぎ)によって、また、824~834年の間に慈覚大師円仁によって開かれたという説がある。国宝にも指定された八角三重塔があり、こちらに使われている木材を調査したところ、正応2年(1289年)に伐採した木材が内部に使用されていたことがわかり、13世紀末に建築された塔であると考えられている。 常楽寺は北向観音堂と同じく天長2年に建てられた。境内には樹齢350年とも言われる宝船ののような御船の松があり、この宝船で阿弥陀様が極楽浄土に導いてくれるという。また、本堂の裏には北向観音の霊像が出現したとされた場所に700年もの歴史がある石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台宗の拠点として栄えていたことが伺える。 長楽寺は焼失して現在は存在
2021-12-21
61
北向観音堂
厄除観音として知られる北向観音堂は、天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁(えんにん)によって建てられた霊場である。一度は源平争乱の中、木曾義仲の手によって八角三重塔と石造多宝塔を残し全焼してしまったが、建長4年(1252年)北条国時によって再興された。ここには、鬼女紅葉退治絵馬が飾られている。
2021-12-21
62
駒形社跡
駒形社があった場所。上信越自動車道開通に伴い、八満弓神社境内に移設されている。(参照 駒形社(八満弓神社境内)) 碑文 駒形社跡 裏面 小諸市大字八満字駒形に 鎮座していた駒形社 は創建 年代は詳らかではないが塩野の の牧の西方の駒形として奉齋 されたと伝えらている 現在の祠は貞享元年の再建で ある 此の度上信越自動車道開通 に伴い当初八満弓神社境内 に遷し奉り跡地に石碑を 建立してその名を留めるものなり 平成六年十二月吉日 宮司 金井重忠 筆頭 池田二郎 総代 美齊津卓雄 依田 進 田中三雄 小山春男 美齊津幸一
2021-11-18
63
安政年間上田城下町絵図
松平氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。基本的には元禄年間の上田城下町絵図と変わっていない。上田城の本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸には、堀や石垣・土塁は描かれており、櫓や門などの建築物がない様子が分かる。 二の丸東虎口の外には、「文武学校」・「稲荷宮」がある。ここは、元禄年間の上田城下町絵図では、家臣の屋敷地だった。また、「御作事」と記載されている場所は、元禄年間の上田城下町絵図では「御中屋敷」だった。現在の清明小学校の敷地となっている。
2023-05-06
64
元禄年間上田城下町絵図
仙台氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。上田城は、本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸は「二御丸」と書かれており櫓や門などの建築物がない様子が分かる。「御中屋敷」と記載されている場所は、現在の清明小学校の敷地となっている。「追手口」(大手口)からが城内だ。 城下町全体を見渡すと、城下町と家臣の屋敷は城の東側に偏っていいることが分かる。また、絵図の所々に赤く塗られた四角形の印があるが、これは、「番所」で、武家屋敷と町屋の境・藩主屋敷・お城の虎口(入口)などの要所に設置されている。
2023-05-05
65
上田城の歴史2
関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。
2021-11-14
66
駿府城
これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。
2021-05-05
67
上田原合戦の中心地・石久摩神社
武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦(1548)の中心地。境内にはその歴史を伝える上田原古戦場の碑が置かれている。現在の静かな住宅街の様子からは、そのような戦いがあったということはとても想像できない。
2021-05-05
68
雨宮刑部の墓
武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。
2021-05-05
69
愛宕神社(仁古田)
川西の仁古田地区の愛宕山中腹に建立されています。火伏の神が奉られているとされています。見晴らし台も設置されていたりと、周りの景色を楽しみたい方にはオススメです。パワースポットとも呼ばれていることがあるという噂なので、ハイキングを兼ねていかがでしょうか。私も登りましたがとても良い運動になると思います。
2021-05-05
70
五加八幡神社石灯籠
これほどの大きな石灯籠はなかなか見ることは出来ない。灯篭の正面には勝海舟の筆とされる「修善生洪福」という文字が刻まれている。近くに八幡大神縣社もあるのでぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。
2021-05-05
71
須坂市立博物館
臥竜公園内にある。 館内は3つのブースに分かれており、須坂藩関係の資料、東日本最大級の積石塚古墳である八丁塚古墳の出土品などの古墳の出土品、製糸業の資料が展示してある。 大きな瓦が出迎えてくれる。 須坂市の歴史を知ることができる貴重な博物館で、入館料自体もすごく安い。
2021-05-05
72
太郎山から持ってきた石らしい
石が重なってある灯篭みたいなもの。 昔から、これは何なんだろうと思っていた。 祖母に聞いてみると、ひい爺ちゃんの時代(戦争前or戦争中)に太郎山という山から、石を持ってきたらしい。 詳細は、不明。
2021-05-05
73
塩田城跡の石碑
塩田城は北条義政が建てたと言われている。 また、戦国時代には武田氏の重要な拠点としても使われていた。その後、上田城が築城されたため廃城となったが攻めづらく守りやすい城である。この石碑は実際の塩田城の少し下に建てられている
2021-05-05
74
陣馬塚古墳
陣馬塚古墳は古墳時代後期の円墳です。 染屋台地を見下ろす位置にある陣馬塚古墳の埋葬者は、この台地の開発にかかわった先駆的有力者だったと考えられています。 自然に囲まれ、玄蕃山の高台に位置する様は、埋葬者がいかに力を持っていたかを想像させられます。
2021-05-04
75
他田塚古墳
古墳が崩れないように石を重ね合わせてつくったとみられるトンネルのようなものを見て、昔の時代にこんなにすごいものをつくることができたことを不思議に思った。
2021-05-03
76
上田城跡公園
上田城とその周辺の石碑・石像、自然。全体的に緑が多く、池などもあったため夏に来ると涼しげだった。歴史的な建物を詳しく知るためというよりかは、観光を楽しむのが適している。歴史を学ぶなら博物館へ行くのが良いだろう。
2021-05-03
77
真田神社
真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。
2021-05-03
78
北沢大石棒
佐久穂町 説明板より 北沢川の大石棒 今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。 [石棒] 二.二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石) [石柱] 柱状節理流文岩 昭和六十二年八月 佐久穂町教育委員会 (※当初の説明板の記述は「佐久町教育委員会」だったと思われます。)
2020-12-20
79
須々貴山神社
天白山の頂上に須々貴山神社があります。頂上に着くまでに石段が507段ありました。傾斜もキツく、石段のの終わりが見えないほど永遠と続いていました。途中で何度も心が折れそうになりながらようやく頂上に着きました。 この神社には、天白大権現と猿田彦命が祭られているそうです。須々貴城は上田原の戦いで村上義清が布陣した城で、 元は地元の豪族、小泉氏が築城した城らしいです。 また階段を上ると社が祭られていました。社からの長めは開けていて見晴らしが良かったです。 帰りは参道で帰ろうとしましたが、草木におおわれていて通れず、急な石段をおりてきました。大変すぎてもう行かないと思いますがいい経験になりました。
2020-11-18
80
半過古墳群10号墳の石室(移築復元)
バイパス工事に伴い、平成18~19年度に発掘調査が行われました。遺跡は2つのトンネルの間にあり、弥生時代から平安時代の住居のほか、半過古墳群の4つの古墳が発掘調査されました。古墳からは人骨や青いガラス玉の首飾り、金銅製の耳飾りなどの多くの副葬品が見つかりました。また、棺桶に入った遺体が骨となってそのままの形で残っていました。
2020-11-14
81
上田城の石垣
真ん中に目立つ大きい石はどのようにしてここに運んできたのか。石の形状に合わせて積み重ね、間は小石で埋めて知恵がここに詰まっている。
2020-11-05
82
中国寧波市との友好の証「石刻獅子像」
鎌倉時代に上田の地に禅宗文化を伝えた別所温泉安楽寺の開祖樵谷惟遷などが寧波と往来したという縁から平成7年に上田市と友好交流都市提携を結びました。この像は友好交流提携10周年を記念して寧波市から贈呈されました。上田市からは「上田獅子」の石彫レリーフを送りました。
2020-11-05
83
上田城 真田神社
上田城本丸跡にある神社で、真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀っているそうです。 真田神社は、徳川の大軍でも攻め落とされなかったことから「落ちない」縁起をかついで受験生などに人気になっているようです。 また、絵馬のトンネルもあり、幻想的で見ごたえがありました。内容は受験に関することが多かったです。わたしもこれから資格取得や就活の時にはお参りしようと思います。
2020-11-03
84
柳町の街並み
上田市街地にひっそりと佇む旧北国街道の道のり。およそ500mの石畳の通りにどこか江戸時代の雰囲気を感じさせる建造物と柳の木が立ち並ぶ。静かな雰囲気がとても心を落ち着かせる。
2020-10-31
85
上田城東側の遊歩道
上田城と二の丸通りの間にある遊歩道の写真。 昭和3年から昭和47年まで走っていた路線の廃線跡地で、当時の駅のホームらしき石造りの建造物を見ることができる。欅の木やモミジを楽しみながら散歩を楽しむことができる。
2020-10-30
86
安楽寺八角三重塔への道のり
安楽寺八角三重塔から撮った写真。 林の中の頂上までの石造りの階段が印象的である。
2020-10-15
87
石垣
石垣のある家。上塩尻地区にたくさんあった。今まで石垣は城跡でしか見たことがなかったのでこのような街の中にあることに驚いた。貴重であるためこれらの建物が存続し続けることを願う。
2020-08-09
88
藤本蚕業歴史館内部-1
歴史館にある説明文。当時の上田の蚕種輸出による繁栄を伝えている。写真には、その繁栄ぶりが詳しく書かれ、特に、62万石という有名な大名と同レベルの生産を誇っていたことは驚愕に値する。
2020-08-09
89
上田城跡 本丸東虎口
上田城跡地の城門。今は訪れた人を迎える門となっているため常に開きっぱなしの状態になっている。この門は市民の協力の下で買い戻されたというエピソードがある。上田城跡地のシンボル的な存在であることに間違いない。
2020-08-08
90
天台宗別格本山 北向観音
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がありません。 選んだ理由としては北向観音堂は全国的に珍しい建物で面白さがあると思ったからです。
2020-08-06
91
砥石城・米山城
県の史跡に指定されている山城。城跡からは上田市街と真田の町並みが一望できます。 この地方に勢力を張っていた村上義清の重要な拠点であり、武田信玄が2度目の敗北を喫した「砥石崩れ」の舞台です。 2009年のアニメ映画館「サマーウォーズ」の舞台となりました。 三方を崖っぷちで囲まれ、攻めてくる敵を迎え撃つのにもってこいの地形と見晴らしの良さ、理想的な山城に思えます。 軽く登山ですが、よく整備されて、登りやすいです。 朝遅く出て、ゆっくり登っても、午前中に降りて来られます。 小学生の遠足で行くようです。 駐車場あります。無料。 上信越自動車道・上田菅平ICから、車で約5分で着きます。
2020-08-03
92
上田城跡
真田幸村の父、真田昌幸によって築城された。 日本百名城二七番・日本夜景遺産に認定されている。 写真は上田城東虎口櫓門である。「真田石」と言われる直径約3メートルの大きな石が石垣に使われている。
2020-07-22
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小県蚕業学校(上田東高)の校歌
2018/05/10、1年生ゼミでの上田探検。信州大学繊維学部に続き、上田蚕種へ。信大の裏口から実にアクセスしやすいミニマムパスを見つけ、そのパスを抜けると旧小県蚕業学校(上田東高校)の真ん前に出ました。 小県蚕業学校は全国で営まれていた養蚕を各地で指導する養蚕教師を養成していた中等教育機関です。全国からここへ養蚕を学びに生徒が集まっていました。国の基幹産業でもあった蚕糸業(養蚕)を支える人材を育成していた学校です。このような言い方が適切かどうかわかりませんが、現在は全国のどこにでもあるいわゆる「普通高校」と化してしまいました。かと言って蚕業学校のまま、現在に残るわけにもいきません。普通高校と化したのはやむを得ない。 この学校の歴史の重さはその校歌にも刻まれています。通過する道路際から
2020-07-18
94
レポート 玄蕃山公園の銅鉱石と山砂鉄について
はじめに 私は小学高学年のころから「石コロ」が好きで、野山を歩いては「小石」を持ち帰る癖がありまして、その癖が今でも続いています。我が家は庭も家の中も「石コロ」がゴロゴロしています。 今70歳になり本気で好きな「石コロ」と向き合っています。 令和元年9月14日、真田の佐藤工房で砂鉄の製錬実験をしました。始めての体験ですが2㎜ほどの鉄球を検出しました。砂鉄から「玉鋼」が出来ることを男児は皆興味を持ちます。今回驚いたことは、「銅色をした鉱物」が出来たことです。 検出した鉱物はハンマーで叩くと潰れてしまいましたが、写真を撮っておきましたので、郷土地質研究家の山辺邦彦先生を訪ね、砂鉄の産するサンプルの分析をお願いしました。 今回のサンプルは東御市のアケボノゾウの
2020-07-15
95
上田城
真田昌幸が築いた平城である。2度にわたって徳川軍を撃退したことで知られている。上田城は天守閣がないため、見どころがないように感じるが城好きには十分楽しめると思う。個人的には城の南側から見る尼ヶ淵側の石垣が迫力がある。もちろん、上田城といえば写真の東虎口櫓門がイメージされるが、これもまた迫力があり、とても美しい。
2020-06-23
96
武高国神社 要石
弘化4(1847)年の善光寺地震が起こった際、鹿島神宮の分霊を合祀するとともに、地震を鎮めるためにこの「要石」が境内に据えられました。 塩田を探索していた際、偶然発見しました。
2020-06-22
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御旅所社に至る道①
上田市に来てから初めて別所線乗りました!高校の時に利用していた電車とはまた違った部分が多かったので、沢山利用して徐々に慣れていきたいと思います! 駅から出てすぐの所に生島足島神社の石碑がありました。
2020-06-20
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大屋停車場碑
依田社の生糸は世界に通用する生糸であり、その生糸を横浜まで持って行くのに不便だということで、大屋停車場を作ったそうです。3000人の署名と700人の寄附を集め、それを国鉄に請願したことから請願駅とも呼ばれています。 請願駅という証であるため、価値のあるものだと思います。
2020-06-15
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吉田原古墳
蒼久保地区みすず台にある古墳で、墳丘や内部の石室の状態がほぼ完全に残っている。 現在は団地の中の古墳となっているが、もともとは神川が千曲川に合流する東側の段丘上の見晴らしの良い場所に造られた古墳である。
2020-06-12
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他田塚古墳
塩田平を望む下之郷の東山山麓の南西斜面にある、下之郷古墳群の中心的な古墳。この古墳には、信濃の古代豪族である他田氏に関係した古墳との言い伝えがある。古墳の平面の形は円墳で、南西部に入り口がある横穴式石室をもった大きな古墳である。
2020-06-12
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