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登録リスト(該当:35件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
丸子の蚕業を支えた鉄道
かつて上田小県では蚕業が盛んだったことは有名です。現在は廃線のため存在しませんが、当時それを支えた鉄道路線がありました。丸子では製糸業者によって丸子鉄道という会社が設立され、丸子線が建設されました。この路線は旅客だけでなく、丸子で生産された生糸などを東京に輸送する役割がありました。しかしモータリゼーションによって衰退し、廃線になりました。写真は丸子駅跡地とその名残です。
2024-02-10
2
北本原駅と駅前食堂
北本原駅は真田線の駅です。この駅では野菜など貨物の取り扱いが行われていたそうです。駅の跡地前には駅前食堂という食堂があり、廃線となってから50年以上たった現在でも地元住民に愛されている。20年近く真田に住んでいる私ですが、ここのもつ煮は食べないと損です。
2024-02-10
3
公園前駅
公園前駅は上田城跡公園に架かる二の丸橋の下にあった真田傍陽線の駅です。真田傍陽線とは、1972年まで上田駅と旧真田町にあった真田駅、傍陽駅を結んでいた鉄道路線です。この駅は上田城の堀の跡に駅が設置され、現在でもホームや架線の跡、駐車場に転用された線路跡を見ることができます。ちなみに城跡公園の北西の堀の跡は野球場、陸上競技場に転用されています。
2024-02-10
4
サントミューゼの樹木
「蚕都」が名前の由来となった建物「サントミューゼ」。 昼間はイベントが行われていたり、外の広場に人が集っていたり、賑わいをみせているが、夜のサントミューゼは静かなムードに漂っていた。広場周辺の樹木はライトアップされていて正面のArio上田店の明かりと共に光の美しさを作っていた。
2023-11-30
5
猫瓦
猫瓦という瓦を知っていますか。猫瓦とは蚕を食べるネズミの天敵である猫を模した瓦のことです。上塩尻という地域は蚕種、養蚕が盛んであったため猫瓦が多くみられます。猫瓦にも様々な形、文様があり、意味にも違いがあります。昔の方は瓦で願い、思いを表現していて面白いと思います。
2023-05-09
6
上塩尻まちあるき:モリス先生と一緒に
上塩尻まちあるきでは、建築史学のマーティン・モリス先生をお迎えして一緒にまちあるきし、古建築の保全・活用に関するレクチャーもしていただきました。モリス先生は上塩尻の蚕種製造民家の建築史的調査をされた方で、上塩尻の建築・景観に対しては特別の関心を持たれています。 モリス先生の母国イギリスは歴史的な建造物である古建築を民間の意思で保全活用する「ナショナルトラスト」が発達した社会です。日本では歴史的建造物を保全し活用しようという気運は少ないのが実情です。上塩尻では「佐藤家住宅(三ツ引)」が2021年、上塩尻では初めて国登録有形文化財となりました。これを機会に、上塩尻の古建築、歴史的景観の貴さが再発見され、地域づくりに活かされていくことを願いたいものです。
2022-11-29
7
上塩尻まちあるき:西側の板壁
上塩尻は千曲川下流域(西方向)から吹き込む風が強いため、桑の葉に付く蚕の害虫であるカイコノウジバエを吹き飛ばすため質のよい桑が取れることが蚕種製造に適していたと言われています。実際にどの程度、西風が強いのかはわかりませんが、風が強かったことを物語っているのが建物の西側の壁一面に張られた板壁です。岩井小路にあるこの馬場邸の建物に西壁の板壁が残っています。風に吹きつけられると漆喰壁が傷むらしく、板壁で覆ってそれを防いでいるということです。 この板壁は景観的にも特色があり、写真集『民家の風貌』(小林昌人著、1994年)にも馬場家のこの板塀の景観が収録されています。
2022-11-29
8
上塩尻まちあるき:〇〇小路
上塩尻は北国街道をメインストリートとし、集落内にいくつもの小路(細い道筋)が通っています。地元の人たちはこれらの小路に名前を付け区別して呼んでいます。 ★馬場小路 ★寺小路 ★毘沙門小路 ★広小路 ★岩井小路 ★山小路 馬場小路は小路に面する家々がいずれも馬場さんであったことからそう呼ばれるようになりました。現在、馬場さんではないお宅に替わってはいますが、その呼び方が受け継がれて歴史を伝承しています。
2022-11-29
9
上塩尻まちあるき:北国街道
上塩尻の中心部である大村は北国改造に沿って集落が展開しています。上塩尻は千曲川に面し、洪水の常襲地でもありました。洪水に見舞われた集落が太郎山系の裾野に移ったとも伝えられています。城下町、宿場町、商業の町は全国の街道筋にはどこにでも見られますが、上塩尻の蚕種製造民家で構成される集落は極めてめずらしい。おそらく全国でここだけではないでしょうか。歴史的景観を備えた美しい町並みにも感心します。
2022-11-29
10
上塩尻まちあるき:蚕種製造民家
上塩尻には蚕種製造を営んでいた屋敷の多くが現在も残っています。その特色は2階建であること、建物が細長く大きいこと、2階の屋根の上に越屋根(小さな屋根)が備わっていることなどです。古い家々ながら現在も内部をリフォームなどして暮らしているお宅が多いことに感心をします。全国的に見ても蚕種製造民家が群としてこれだけ数多く残る地域は上塩尻だけではないかと思われます。その隣の下塩尻にも蚕種製造民家は多く残っています。改築することなく、古い建物をリフォームして現代においても住環境として活用するこの地域の知恵にも感心させられます。
2022-11-29
11
上塩尻まちあるき:蚕室に備わる埋薪(まいしん)
蚕種製造を中心的に営んでいた家の造りは「蚕室」を備えている点に一番の特色があります。その中でも特に特徴的なのが「埋薪(まいしん)」と呼ばれる暖房施設を備えていること。韓国のオンドル(温突)を彷彿とさせます。寒冷地のこの地域は寒く、蚕が寒さにやられないよう蚕室全体を温める必要がありました。旧佐藤宗家の2棟ある蚕室には今も埋薪がしっかりと残っています。
2022-11-29
12
上塩尻まちあるき:家々の庭
上塩尻まちあるきで訪問できた蚕種製造民家の家々に共通することは、立派な庭を備えていること。母屋は蚕種製造に適した蚕室を備えているため、大きく細長い構造をしている点に特色があります。その前面には庭があり、母屋の構造に沿う形で細長く庭が広がっています。馬場小路の旧馬場邸、清水卓爾邸は共に屋敷の構造が特に類似していました。もう一つの特色は庭の手入れが行き届いていること。庭木の剪定など庭の維持には手間がかかります。こうした庭を備え、かつその手入れが行き届いた姿の庭にすることがその屋敷のステータスでもあるこの地域の文化ではないかと思います。
2022-11-29
13
上塩尻まちあるき:猫瓦
上塩尻=猫瓦のまち、といっても過言ではありません。 上塩尻の家々に特徴的に存在しているものに「猫瓦」があります。それぞれの家々で蚕種製造や養蚕を営んでいた各家の屋根や塀の瓦には、ネコを表徴した瓦があります。その中でも、毘沙門通りに面する佐藤家の屋敷には1階の屋根に猫瓦が、しかも2つ前後して存立しています。蚕の天敵であるネズミの侵入を防ぐという意味でのシンボリックな猫瓦の存在感を最もよく示しています。まちあるきをしながら猫瓦を見つけるたび、参加者がそれぞれ猫瓦を写真に収めていました。
2022-11-29
14
上塩尻まちあるき:石垣
上塩尻まちあるきで改めて参加者が注目したものが見事な石垣群です。上塩尻の大村は北国街道に沿い、かつ、山麓の傾斜地に位置しています。傾斜地に展開する家々には段差があり、それぞれの家々はお城の石垣を思わせるような見事な石垣が築かれています。蔵の土台などにも礎石があり、それぞれに特徴があります。背後の太郎山山系から切り出された緑色凝灰岩が多く使われているらしい。これらの石垣の多くは、かつて高遠の石工が築いたとも聞いています。生半可なまた聞き情報ではなく、その歴史的背景などしっかりと調査する必要があると改めて認識をしました。
2022-11-29
15
蚕種の里「上塩尻まちあるき」実施
11/26(土)、藤本蚕業プロジェクト主催による「蚕種の里『上塩尻』まちあるき」を実施しました。上塩尻のまちあるきはこれまで何度となく実施してきました。今回のまちあるきは「佐藤家住宅(三ツ引)」が国登録有形文化財に登録されて実質的に最初のまちあるきです。地元上塩尻の住民の方々を交えて参加者それぞれが途中途中解説をしながら、または参加者どうしで対話をしながら上塩尻をめぐりました。 13:00、藤本蚕業歴史館前に集合し、佐藤家住宅(三ツ引)、旧佐藤宗家の蚕室、旧佐藤宗家の屋敷跡、旧馬場邸(現原邸)、清水卓爾氏邸、清水邸(加賀の殿様が使った雪隠)などをめぐりました。いつものことながらまちあるきはまったり、道草くいのイベントともなり、この日も例外にもれず。地元の方々も改めて地元の歴史を感じられた様子でした。
2022-11-29
16
こんなところに桑の木
蓼科高校の「立科町探検隊」で生徒をマイクロバスで見送った後、私はふるさと交流館から車を停めた権現の湯に歩いて移動。このようなまったりとした地域散策は久しぶりです。いろいろな発見に満ち満ちた面白い体験。 何とここでは桑の木を発見。養蚕がなされなくなって数十年が経過したにもかかわらず、ここに伐根されていない桑の木があるとは。その希少さに感動です。
2022-10-18
17
猫瓦2
独特な形の猫瓦がありました。猫瓦は蚕種(蚕の卵)大製造地であった上田の上塩尻地区の建造物によく見られる瓦で、全国でも稀有な街並みや特徴の一つとなっている。猫瓦はデザインの多くが蚕の天敵となるネズミに対する魔除けとして猫をあしらっている場合が多いためこの名がついているが、中には猫以外の動物が描かれている場合も存在し、写真の猫瓦は波模様のように見える。
2022-06-20
18
日本シルクロード講座・横浜編(6)まちあるき・汽車道ルート
2011年10月30日 横浜まちあるき ガイド:嶋田昌子=横浜シティガイド協会 信州上田は横浜開港当初から横浜の生糸売込商を通じ、欧米諸国との貿易で栄え、後に蚕都と呼ばれました。学びあい講座では上田との交易の足跡をまちあるきして探訪しました。
横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ダイジェスト版
5分でまちあるきの概略を掴むことができます。
横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ノーカット版
35分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座2日目> (1)横浜まちあるき・汽車
2021-07-11
19
日本シルクロード講座・横浜編(5)まちあるき・馬車道ルート
2011年10月30日 横浜まちあるき ガイド:嶋田昌子=横浜シティガイド協会 信州上田は横浜開港当初から横浜の生糸売込商を通じ、欧米諸国との貿易で栄え、後に蚕都と呼ばれました。学びあい講座では上田との交易の足跡をまちあるきして探訪しました。
横浜まちあるき(1)馬車道ルート・ダイジェスト版
5分でまちあるきの概略を掴むことができます。
横浜まちあるき(1)馬車道ルート・ノーカット版
52分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座2日目> (1)横浜まちあるき・馬車
2021-07-11
20
常田館製糸場
上田が蚕都だった事がわかる施設跡 7棟ある建物全てが国指定の重要文化財、かつて倉庫だった建物は圧巻の大きさだった。 また建物内を見学することが可能だが、階段が急だったり、明かりがついていなかったり、床が抜けそうだったり施設を回るのも一苦労といった感じだった。
2020-11-18
21
【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2
常田館製糸場北側にある三階繭倉庫、五階繭倉庫の廊下、内観です。 重たい扉を開けると、#1の鉄筋倉庫と比べて明らかに手が付けられていない上、殆ど光が入ってこずほぼ真っ暗な空間が出現。床も古いが故にかなりギシギシしていて、今にもお化けが出そうな場所でした。 ただ、祖父母の家にも無いような古い機械、骨董品、天板や壁、文字書きなど、かなり面白いものが見れて良かったです。
2020-11-17
22
常田館製糸場 内観 #1
常田館製糸場の内部はかなり面白い物が存在していたので、更に2つに分けて紹介します。 写真は場内西にある「五階鉄筋繭倉庫」の内部です。どうやら定期的にイベントがここで開催されているらしく、大正時代のまま残されていそうな壁の中にミニ会場のようなものがありました。上階には様々な繭作品が展示されていて、どれも綺麗でした。 また、袋に入った大量の繭が置いてありました。おそらくイベント用に置かれているものでしょう。 #2では場内北の建物を紹介します。
2020-11-17
23
【大正の遺産】常田館製糸場 外観
上田駅に沿って東に進むとある上田市に残る遺産の1つです。 入ってすぐの事務所を通して、無料で見学可能です。 外観は周りの建物と比較しても明らかに古いもので、ここだけ100年前からほぼ変化していないことが伺えました。 内観は別の記事で投稿しています。
2020-11-17
24
越屋根のある家
田んぼの周りを歩いていたら越屋根のある家を見つけました。 越屋根とは蚕を飼うために新鮮な空気と光を取り込むために設けられたもので、養蚕の盛んだったここら地域では割と自然なのかもしれません。他地域の人には珍しい造りだと思います。
2020-08-07
25
3分30秒の丸子紹介
2020-07-29
26
鷹匠町の街並みと人物
鷹匠町は、江戸時代真田正之の松代移封後の、仙石氏の時代に生まれた武士の町であるが、犬公方といわれた5代将軍徳川綱吉の生類憐みの令により翻弄された面もあったと聞くが、武家屋敷の絵図面に鷹匠、餌指と鷹匠町の地名が付されて来た。明治21年(1888年)できた信越線上田停車場から海野町に繋がる松尾町が独立したが、河岸段丘上の鷹匠町は蚕都上田を象徴する人物宅跡もあり、江戸時代から残る坂地名等の街並みや小路の風情を歩いて見ませんか?
2020-07-26
27
上塩尻の変化
かつて存在していた屋敷や建物がなくなると一気に景観が変わります。しかし、変わる前と変わった後の風景を並べないと何がどう変わったかすら認識ができないものとなります。 かつて蚕種製造の中心地であった上塩尻も例外に漏れず、知らず知らず集落全体が変容しています。道路側に長屋門があった屋敷が今年更地になっていました。何とも複雑な思いがします。 ★ビフォー 画像1点目 2011/11/27の記録 ★アフター 画像2点目 2017/09/08の記録
2020-07-18
28
全国町並みゼミで上塩尻をエクスカーション
全国町並みゼミが2018/11/16~18の3日間にわたり松代を会場に開催されました。全国から200名を超える人々が集う全国規模のイベントです。最終日11/18の午後、いくつかのコースに分かれてエクスカーションを実施しました。 私が企画したのは「蚕都上田エクスカーション」です。参加者は7名と少数ながら、全国から町並みに関心のある方々が参加しました。全国から来られた意識の高い方々だけに関心の向かい方も違い、案内する私の方が大きな刺激を受けました。地元の方々にも参加・同行していただき、直接、地元の方々と現地交流できたことも得難い体験として受け止めていただけました。give, then takeの大切さを改めて感じました。 当日は全国町並みゼミの午前のまとめ会の終了後、会場のロイヤルホテル長野をマイクロバスで出発。千曲川沿い
2020-07-18
29
上田にモリス先生来訪
2019/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。翌日12/1のまちなかキャンパス講座「わたしたちの地域マップをつくる第3回」の講師を引き受けていただき、その前日のこの日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞させていただきました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 少し驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。「あれあれメートルでなくていいの?」と思いましたが、よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究
2020-07-18
30
まちあるき「魅力新発見 蚕種の里・上塩尻を歩く」
2019/06/30上田市観光協会主催の上塩尻まちあるきに同行してきました。このまちあるきの企画は観光協会さんからご相談を受け、上塩尻の方々のご協力もいただいて実施したものです。 「観光地」のまちあるきではなく、歴史文化の素晴らしい地域資源を市民の皆様に触れていただく機会を提供し、地元をより深く知ってもらうことがねらいの一つです。 大雨が懸念されましたが、幸い、雨はやんだだけでなく、日差しが照り付け気温30度を超える過酷な気候条件でのまちあるきとなりました。 上塩尻の藤本蚕業歴史館に参加者が集合。私からも挨拶をさせていただきました。藤本蚕業歴史館を見学した後、藤本の蚕室を見学。「埋薪」(まいしん)という言葉を皆さん初めて接したようです。その後、加賀の殿様が参勤交代で使用した厠のある清水さ
2020-07-18
31
「UEDA SILK展」で気づく上田紬のカジュアル感
2019/9/27、上田市武石にある武石ともしび博物館に「UEDA SILK展」を見に行ってきました。8/2~10/27の期間開催されています。 武石ともしび博物館は武石地区の小高い丘の上にあり、立派な日本庭園を備えた回遊式の博物館です。大きく3棟に分かれています。 「UEDA SILK展」では上田紬をメインに、上田の蚕種・養蚕などに関わる展示もされていました。上田紬の展示は、小岩井紬工房の小岩井カリナさんの作品を中心に構成されていました。「紬」と言えば、結城紬、大島紬が有名です。「日本三大紬」と呼ばれることもあります。では3つ目の紬はと言うと、地元上田の方でも知らない方がいます。もちろん「上田紬」です。なぜ、結城紬、大島紬に対して、上田紬の知名度が低いのか。上田の活性化ということからも、地元の伝統工芸の発展ということ
2020-07-18
32
梅花幼稚園(蚕都まちあるき2008)
梅花幼稚園は1900年(明治33年)創立。現在の園舎は1902年竣工。園舎としては日本で2番目に古い。 解説:小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長=当時)
蚕都上田まちあるき2008 (企画・制作:蚕都上田プロジェクト) 2008/10/25の記録
2020-06-19
33
信濃銀行支店跡(蚕都まちあるき2008)
看板「すわん」のある鉄筋コンクリート造の建物がかつての信濃銀行支店だった。この道路は上田駅から続くメインストリートだった時代がある。旧上田東駅の近くにある。周辺には宮下製糸場など複数の製糸場があった。蚕都は銀行業が盛んであったことを物語っている。 解説:斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学)=当時
蚕都上田まちあるき2008 (企画・制作:蚕都上田プロジェクト) 2008/10/25の記録
2020-06-19
34
養蚕神社
自分の近所にある神社でとても古く感じました。この神社は少彦名大神と保食神をまつっていて、保食神は食物をつかさどる神だそうです。
2020-05-26
35
上塩尻の蚕種製造民家
北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々の多くが、かつては蚕種製造業を営んでいた家です。それぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。 改めて、上塩尻のさりげない景観に美しさを感じ、写真に収めておきました。
2020-04-22
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1
≫
上塩尻(16)
蚕種製造民家群(12)
上塩尻まちあるき2022(10)
歴史的景観(10)
歴史(6)
まちあるき(5)
蚕都上田(4)
蚕(4)
蚕種製造(3)
景観(3)
蚕糸業(3)
養蚕(3)
常田(3)
製糸(3)
蚕都(3)
鉄道(3)
蚕業(3)
塩尻地区(2)
蚕室(2)
古い建物(2)
藤本蚕業歴史館(2)
古民家(2)
工場(2)
繭(2)
横浜(2)
生糸貿易(2)
近代(2)
幕末(2)
嶋田昌子(2)
横浜シティガイド協会(2)
蚕都上田プロジェクト(2)
交通(2)
上塩尻村(1)
塩尻村(1)
町並み(1)
北国街道(1)
集落(1)
信濃銀行跡(1)
銀行(1)
金融(1)
梅花幼稚園(1)
幼稚園(1)
園舎(1)
上田紬(1)
武石ともしび博物館(1)
着物(1)
和服(1)
小岩井紬工房(1)
小岩井カリナ(1)
UEDA SILK(1)
文化(1)
上田市観光協会(1)
秋和(1)
モリス先生(1)
蚕種製造民家(1)
建築(1)
全国町並みゼミ(1)
藤本の蚕室(1)
蚕室民家(1)
景観の変容(1)
長屋門(1)
丸子(1)
グリーンヒル(1)
丸子城(1)
ベルプラザ(1)
上田(1)
田んぼ(1)
越屋根(1)
大正(1)
明治(1)
製糸場(1)
桑の木(1)
立科町(1)
文化財保全(1)
古建築(1)
瓦(1)
家(1)
猫瓦(1)
鬼瓦(1)
産業(1)
製糸業(1)
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