1948年の西塩田時報に、児童数の増加に伴った校舎の増築についての一報が記載されていた。
記事によると、増築前には校舎の裁縫室や工作室と言った、俗に言う特別教室を普通の教室として使用していたそうだ。また、校舎を増築するにあたり、学校の新教育課程の順守について説かれている。文献を読むと、当時の新課程は個人の尊重を図り、自主性を重んじた学習環境を構築することを目標としていたことが読み取れる。
さらに、記事の末尾では地域住民に対して学生が自由に研究できる環境や、特別室(裁縫室、工作室)の設置のための支援を呼び掛けている。
この記事から戦後の人々は学生に対し、学生自身の興味を探求できる教育を施そうとしていたと考察した。また、当時から裁縫室や工作室が存在していたことから、座学だけではなく生活に役立つ実践的かつ専門的な学習を取り入れていたのではないかと考えた。
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#1008 『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)2頁
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投稿者 | mm |
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