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1【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
2お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)個人的な忘れ物についてのお願いが、公的な発行物に平然と載っている様が面白いと感じた。 現代にはおそらく見られないような記事だと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18 『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁2022-12-22
3霞ヶ浦ふれあいランドの閉館霞ヶ浦ふれあいランドの閉館▲画像1つ目:1997年の記録 ▲画像2つ目:水の科学館(霞ヶ浦ふれあいランド施設) ▲画像3つ目:虹の塔(霞ヶ浦ふれあいランド施設) 霞ヶ浦大橋の近くにある「霞ヶ浦ふれあいランド」は1992年、独立行政法人水資源機構、茨城県、玉造町(現在は行方市)の三者が創設した文化施設です。玉造のベイシアなどに買い物に行くたびに必ずその前を通過してきました。そのたび、目にはしていたはずですが、今回通過した時には「水の科学館」の表の看板が外され、コンクリートの塊が露わになっていることに気づきギョッとしました。 行方市のホームページには次の記事が掲載されています。 ★霞ケ浦ふれあいランド再生整備事業> 事業概要 水の科学館は今年2022年4月に改修工事が始まり、年度内2022-08-17
4とにかく土地が広い…!とにかく土地が広い…!菅平高原の方へ進んでいく中で、とにかくひとつの建物や農作業場所が広いなあと思いました。 これはいわゆる「田舎ならではの土地活用」ともいえると思いましたが、最近は、太陽光パネルで場所埋めをすることも多くあるため、公的機関が制せず、住民の生活へ直接還元しているのが感じれました。2022-05-16
51路線だけ生き残った鉄路1路線だけ生き残った鉄路長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。 しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html2022-02-06
6上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫だと思われしもの。 横には、道具らしきものがあった。だいぶ古い。錆びている。2021-05-05
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