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私の地域探求計画
タイトル 「上田市の伝承、昔話など」 なぜこの探求テーマを選んだのか 太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。 何を探求しアウトプット化するか 上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。 具体的にどのような資料を調べるか まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。
2021-12-23
2
蚕の歴史
小学生の頃、何気なく蚕を学校で育てていた。しかし、蚕についてよく知らなかったのでこのテーマにした。 蚕の歴史や蚕の糸から作られる製品などを中心に探求していきたい。 関連のあるWebサイトを調べたり、できれば実際に製糸場に訪れたいと考えている。
2021-12-21
3
民主化は先ず家庭から…(『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁)
世間は民主化が進んできているが、家庭内では夫が妻に対して亭主関白ぶりを発揮している様子が見て取れる。 自分でできることは自分でやる、そうすることで双方にとって無駄な労力の消費を防ぐことができると述べられている。 現代の社会でも同様に言う事が出来、家庭内だけではなく学校や会社の中でも同様だろう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1082
『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁
2021-12-16
4
卒業生名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は、当時の卒業生の名前が書かれており、しかもフルネームである。 現代の学校では名簿を世間に出すことさえも厳重な取り扱いを求められているが、この時代には時報に載っている。 個人情報保護などは考えられていなかった時代ならではの記事で面白いと思った。 ▼この記事は以下から参照できます #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2021-12-14
5
児童の体格について(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日3頁))
この記事は当時の児童の体格について書かれている。また、日本全国と長野、西塩田小学校の3つの児童の体格の平均が比較されている。比較した後に、身体の発達に家庭でも一層のご注意を、などといった文面も見受けられる。 現代においても、このような記事を目にすることは多いのではないか。当時の記録がデータとしてしっかり残っている点が興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます #7
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁
2021-12-14
6
通知表の見方に就いて(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)
通知表の評価についての小学校からの説明である。 「うちの子の評価がいつもより低いのはどうしてだ」というクレームを受けての記事だという。 しつこい保護者はこの時代にもいたんだなと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #31
『西塩田時報』第5号(1924年6月1日)3頁
2021-12-14
7
『児童の体格について』(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)
記事では日本全国・長野・西塩田小学校の児童の体格の平均を比べたもので、この村の児童の体格があまり良くないということが述べられている。 3つのデータから、どういった児童がどのような部分で全国・長野の平均を上回っているのかがよくわかる。 地域を感じさせる記事で興味深かった。 この記事は以下から参照できます #7
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁
2021-12-14
8
デジタルアーカイブの作業様子
今回、10月20日(水)から10月29日(金)のうちの5日間にかけて、塩尻小学校の郷土資料館にて、デジタルアーカイブの撮影が行われ、そのお手伝いをさせていただきました。ただ撮影をするだけでなく、道具を撮影するためのスタジオのような場所を作るなどの工夫を行いながら撮影が行われ、そういった道具や資料などの実物をデジタル化するにあたってのやり方を学ぶことが出来ました。
2021-12-13
9
ついに塩尻小にデジタルマップが(仮)導入!?
11/27、12/3、12/10の3日間に及び、塩尻小学校でデジタルマップを活用した地域学習を実験的に行いました。 単元名は「わたしたちの学校じまん」。 小学生達がタブレットで学校のお気に入り、不思議だと思った場所を撮影し、デジタルマップへ投稿をすることで情報発信と地域探求の楽しさに気づいてもらうことができたと感じています。
2021-12-13
10
タイムカプセル!塩尻小学校郷土資料館の撮影
10月20日~10月29日にかけて、塩尻小学校の郷土資料館に保管されている資料・道具の撮影を行いました。 このプロジェクトは、過去に使用されていた道具・地域資料のデジタル化を行い、地域の文化伝承を促すために発足されました。 今後、撮影した写真(資料)ごとに解説を添えたwebサイトが解説される予定です。 保管されている道具は大変数が多く、興味深かったです。
2021-12-13
11
神川小学校授業プランニング
小学校の地域学習の授業計画を立てました。児童達がタブレットを使って能動的に地域について学習できるように支援したいと思っています。
2021-10-01
12
新學制の教科について(『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)3頁)
この記事には学校で習う教科の変更について書かれている。ここでいう社会科が私たちの思うそれとは異なっている。ここでいう社会科とは「社会生活についての良識と性格とを学ぶこと」が目的になっていて、そのギャップが面白く感じた。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0991.jpg
2021-12-12
13
児童自由画作品の名札作りと名札貼り
90年ほど前の当時の神川小学校児童の作品に名札を貼る作業を行いました。制作年と学年、氏名、整理番号を書いた名札を作品に貼りました。
2021-11-29
14
神川小学校山本鼎の部屋
26日に神川小学校の山本鼎の部屋にお邪魔し、昔の神川小学校の児童が書いた作品の名札作りと名札貼りの作業を行いました。
2021-11-29
15
大正二年上田町市街図
測量による地図が作成されるようになったため、方位・縮尺が地図に記入されるようになり、凡例にある地図記号も用いられるようになった。しかし、かなり簡略化された地図だ。地図からは、市街地の周囲は水田や畑が広がっていたことがわかる。 大正期の上田は、養蚕業とその関連産業が隆盛を極めており、市街地北方に「大星川原種桑園」、南方に「鴨池種桑田」などの広大な桑園が見られる。 また、「上田蚕糸専門学校」(現信州大学繊維学部明治44年開校)、「小県蚕業学校」(明治25年開校、大正12年現在の上田東高校の地への移動)も見える。
2023-05-06
16
うつくしの湯 武石丼
武石には、地産地消を目的とした武石丼という名物が存在する。 武石で採れた野菜をふんだんに使い、味噌で味付けをした武石丼は、うつくしの湯の食堂で販売されている。 武石地域では、武石小学校でも給食メニューで出るほど定番化しているため、地域の人に愛されているメニューである。 うつくしの湯に訪れたらぜひ食べていただきたい逸品だ。
2021-11-16
17
博物館訪問 蚕糸
撮影が不可だったため見せることは出来ないが、昭和43年4月に上田蚕糸専門学校が開校された際に記念として残された袱紗(ふくさ)が展示されていた。 また、明治から昭和戦前にかけて上田で発行されていた蚕業雑誌類が8点ほど展示されていた。色つきで可愛かったし、この頃に蚕糸が盛んだったことがよくわかった。
2021-11-15
18
珍しい自販機!?
いつもの学校への通り道にあって思わず撮っちゃいました 毎日通ってるのに気づかないコトってあるんですねー この時は買わなかったんですが機会があるときに買ってみようかなと思います けっこう数が減ってたりするんで人気なんですかね? カードに使うんでしたら回復アイテムになりますかね~
2021-11-15
19
明治二十四年上田全図
この図面は、上田の町を印刷により表わした初期の地図だ。実測図ではないため、縮尺や距離感は不正確である。地図の周囲にとは、明治維新後の近代化した上田の姿を、建築物を中心に表している。「上田尋常小学校」「高等小学校(旧藩主屋敷)」、「上田女学校」、「上田停車場」、「第十九国立銀行」、「上田橋」などが見られる。図面の中央の上田城本丸には「松平神社」がある。また、本丸には櫓が2基残っていたことがわかる。二の丸は「監獄」となっている。また、大手門の堀が残存していた。明治21年に鉄道の駅「上田停車場」(現在の上田駅の前身)が営業を開始するとともに、駅と「海野町」「原町」をつなぐ「松尾町」も開通した。
2021-11-14
20
安政年間上田城下町絵図
松平氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。基本的には元禄年間の上田城下町絵図と変わっていない。上田城の本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸には、堀や石垣・土塁は描かれており、櫓や門などの建築物がない様子が分かる。 二の丸東虎口の外には、「文武学校」・「稲荷宮」がある。ここは、元禄年間の上田城下町絵図では、家臣の屋敷地だった。また、「御作事」と記載されている場所は、元禄年間の上田城下町絵図では「御中屋敷」だった。現在の清明小学校の敷地となっている。
2023-05-06
21
元禄年間上田城下町絵図
仙台氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。上田城は、本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸は「二御丸」と書かれており櫓や門などの建築物がない様子が分かる。「御中屋敷」と記載されている場所は、現在の清明小学校の敷地となっている。「追手口」(大手口)からが城内だ。 城下町全体を見渡すと、城下町と家臣の屋敷は城の東側に偏っていいることが分かる。また、絵図の所々に赤く塗られた四角形の印があるが、これは、「番所」で、武家屋敷と町屋の境・藩主屋敷・お城の虎口(入口)などの要所に設置されている。
2023-05-05
22
講演「GIGAスクール時代における小諸の新しい学び方」
講演資料をPDFで、講演記録を動画で公開しました。 ▼講演ダイジェスト版 4分36秒
▼講演全長版 41分
前川道博@長野大学 「【渋沢栄一小諸講演】~フォーカス読み解き会」(2021/11/03、糸のまち・こもろプロジェクト主催、会場:相生会館)で掲記講演を行いました。
2021-11-05
23
上田染谷丘高等学校
この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 明治34年「小県郡立上田高等女学校」として設立された。写真の建物が建てられたのは、現在の上田城跡公園の東側、清明小学校がある場所である。 明治42年には女子中等教育の充実を図るため、郡立から県立へ移管され、「長野県立上田高等女学校」と変更された。 大正 5年に校舎は、上田城近くの丸堀校舎から、上田町鍛冶町裏の新校舎へ移転となった。 現在の「上田染谷丘高等学校」になったのは、昭和 23年4月である。
2021-07-24
24
上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)
『
上田市史・下巻(1940)
』の「社寺古墳及人物誌/
人物篇
」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸
真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之
真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊
先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
25
地域メディアの在り方
地域メディアの種類、特徴、課題を調査し、在り方を探る。 地域メディアとは、一般的には日本全国ではなく、特定の地域を対象として情報を伝達する媒体とされている。 「地域」の範囲として、都道府県や市区町村を1つの範囲とする分け方だけでなく、東北地方・九州地方といった広範囲な地域ブロックや、尾張地方・三河地方、県北・県南のような地理的・文化的背景で分けた地方、小さいものでは学区まで様々な分け方が存在している。 「メディア」の種類には、新聞やフリーペーパーのような紙媒体、ラジオやテレビなどの音声を含むもの、ブログのようなwebが存在しており、それぞれ情報の発信者や情報量などに特徴がある。 メディアの種類と特徴として、 ・新聞は、一般的に情報の信憑性が高いと思ってもらいやすい、情報
2021-07-17
26
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
27
西部地区の考究と学習支援(中間報告)
私は「西部地区の考究と学習支援」というテーマで研究しています。内容としては、西部地区という私自身が住む地域についての歴史や資料の深掘りを行い、それをデジタルマップを通じて情報発信をするということと、小学校でタブレットを使用した授業が行われているということで、それを活かした地域学習の支援を行いたいと思っています。
2021-07-07
28
中間発表~山本鼎の部屋資料のデジタル化~
「山本鼎資料のデジタル化」をテーマに研究を行っています。私の母校である神川小学校山本鼎の部屋は課題がいくつかあり、それらを解決するためにはデジタル化するのがいいのではないかと考えました。提案書を作成したので今後はデジタル化を進めていこうと考えています。
2021-07-05
29
上田蚕糸専門学校-1
上田蚕糸専門学校は1910(明治43)年に小県蚕業学校の隣接地に設立された。小県蚕業学校が中等教育機関であったのに対し、上田蚕糸専門学校は蚕糸業の高等教育機関として機能した。蚕糸業の中・高等教育機関が続けて建てられたことは、上田が蚕糸業の中心地であったことを表す1つの事例となっている。当学校の後継に当たる信州大学繊維学部は、全国の大学機関で唯一繊維学部の名を残していることが、その歴史を後世に伝えている。
2021-06-20
30
山本鼎と神川小学校児童の自由画
上田市マルチメディア情報センターのHPから、山本鼎と児童の作品を閲覧しました。神川小学校の児童の作品660作品が載っていて数の多さに驚きました。自分の目で見て感じ取ったものを描くことが大切という「児童自由画教育」を提唱した山本鼎により、同じ家を描いていても児童によって白黒の絵であったりカラフルな絵であったり角度が違ったりと、児童が自由に描いている様子が見て分かりました。お手本の絵をまねする必要はなく、自分の思ったように描けば良いということが山本鼎が伝えたい思いなのかなと私は感じました。
2021-06-20
31
提案書
山本鼎資料のデジタル化について提案書を作成しました。デジタル化によって学校側にどのようなメリットが生じるのか、学校に是非やってもらいたいと言われるような提案書になるように書いてみました。
2021-06-20
32
小県蚕業学校-2
小県蚕業学校では、生徒の出身地が広範囲にわたっているという特徴があった。具体的には、岩手県から鹿児島県に至るまで範囲内にあった。その背景には、小県の蚕種製造業者がそれだけ広範囲に販路を広げていたことが挙げられる。卒業生の動向としては実家での養蚕・蚕種業の従事や養蚕指導者になったものが多い一方で、遠く清国や朝鮮、アメリカにまで人材を輩出している。また、蚕糸業だけでなく上級学校への進学や教職員、官公吏、銀行員となる者も存在していることから、教育機関としての機能も果たしていたことが分かる。このような点から、小県における蚕糸業はたんにそれのみで存在しておらず、金融業や教育業などあらゆる業界と密接に結びついていることが分かる。あるいは、蚕糸業を基盤としてあらゆる業界が幅広く発達したと
2021-06-13
33
小県蚕業学校-1
小県蚕糸学校は日本初の中等教育機関としての蚕糸学校として1892(明治25)年に設立されたが、その初代校長となった三吉米熊は、坂本龍馬と行動を共にした活動家として知られる三好慎蔵の子として生まれ、1881(明治14)年に長野県に出仕した。農芸化学専攻で当初は蚕糸業の知識が全くなかった米熊であったが、上塩尻村の藤本家で実習を重ね、微粒子病における顕微鏡使用法の提唱及び指導など実績を残した。またこうした実績を基に1888(明治21)年にはイタリア・フランス蚕糸使節団の一員としてヨーロッパに赴き、現地の試験場や製糸場などを徹底的に視察してその実情を知る。こうした中、小県郡では郡長の中島精一を中心に蚕業界で蚕業学校設立の機運が高まり、その初代校長に米熊を推薦する声が蚕種業者らの間で広がった。これにより前述の
2021-06-06
34
ひっそり公園3
時間 18時 天候 晴れ 馬場町にある公園です。隣には川が流れており、建物の間にひっそりとありました。ここも遊具は少ないですが、小学生が帰りに寄ったりしていました。学校終わりに友達と過ごす家に到着する前の時間は大人になってからもかけがえのないものです。
2021-05-06
35
上田原合戦の中心地・石久摩神社
武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦(1548)の中心地。境内にはその歴史を伝える上田原古戦場の碑が置かれている。現在の静かな住宅街の様子からは、そのような戦いがあったということはとても想像できない。
2021-05-05
36
楽器専門店ブリリアント(福島市)
ふくしん夢の音楽堂、古関裕而記念館の道路を挟んで向かい側にある楽器店です。ここは、音楽に関係する施設やお店が集まっている場所です。 以前は、近くの別の場所にあり、店舗も狭く知名度も低かったようですが、新しい店舗になり音楽教室なども開くようになりました。コンサートホールの目の前にある楽器店なので、本番直前に寄ることもできて便利だと思います。 福島市の吹奏楽部、管弦楽部の学生たちはお世話になったことがある人も多いのではないでしょうか。学校に来て、修理をしてくれたり新しい商品を見せてくれたりする地域に密接した楽器店です。
2021-05-05
37
古関裕而記念館
福島市出身で福島市名誉市民第1号である大作曲家、古関裕而さんの業績を称え建設されました。全国の小学校の校歌の作曲や、「夏の全国高等学校野球選手権大会の歌」としてつくられた「栄冠は君に輝く」など現在にも残る多くの楽曲を世に残しました。外観は名曲「とんがり帽子」がモチーフになっています。 2020年に放送された連続テレビ小説「エール」の反響は大きく、観光客が古関裕而記念館を訪れたり、撮影セットの展示がされたり、「エール」に合わせてデザインされた路線バスが運行したりと、地域の活性化に繋がったようです。 自分の出身小学校の校歌も古関裕而さんが作曲されたので、「エール」で生涯を知ることができて良かったです。
2021-05-05
38
松川(福島県)
松川は、山形県米沢市および福島県福島市を流れる一級河川です。写真は福島市で、国道4号線の上を通る松川橋とともに撮影したものです。近くの中学校の校歌の歌詞に入るほど、昔から身近な川として、花火大会が開かれるなど地元の人々に利用されてきました。 また、1600年に起きた関ヶ原の戦いとともに松川の戦いが展開された地でもあることを初めて知りました。上杉景勝率いる西軍上杉軍と、福島に攻め込んできた伊達政宗率いる東軍伊達郡による戦いが「松川の戦い」です。 登下校で毎日通っていた橋の下で、過去には戦いがあったことを知ると、これまでとは違った思いで通ることができます。
2021-05-05
39
笹野一刀彫
材料となるコシアブラの木をサルキリと呼ばれる独特の刃物で彫り上げていく伝統工芸品。鷹をかたどったおたかぽっぽが有名ですが、その他に鶏や梟、干支などその種類は数十種類になります。小学校の授業で体験を行ったりします。
2021-05-05
40
しなの鉄道線路
しなの鉄道の線路を上田自動車学校の近くの道路から撮影した写真。私の地元では、真上から線路を見るためには駅構内に入らなければならないが、上田では駅に入らなくても線路がはっきりと見える。このような場所でも上田の特徴が表れているのではないだろうか。
2021-05-05
41
謎の動物
4/23に大学から自宅アパートに向かう途中に通った川にいた動物の写真。本物なのか偽物なのかは未だに分からないが、おそらく鹿か何かだと考えられる。川にこのような動物が横たわっていることに衝撃を覚え、思わずカメラで撮影した。
2021-05-05
42
松本神社
松本城の真北に位置する松本神社は、暘谷大神社を前身に持ち、1797年以降そこに5つの神社が合祀する形で現在の松本神社となったそうです。そのため地元の人々からは「五社」という呼称で親しまれています。 松本城と隣接していることからもわかる通り、松本城主松平康長をお祀りしている社であり、国の重要文化財にも指定されています。 つつましやかな造りの社殿が厳かな雰囲気を醸し出しています。 画像引用:「新まつもと物語」https://visitmatsumoto.com/spot/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ 画像アドレスhttps://visitmatsumoto.com/spot/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE/attachment/sp_3291/
2021-05-05
43
上田蚕種-1
上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。
2021-05-05
44
上田飛行場跡
第二次世界大戦中、軍用機の訓練場として利用された飛行場。現在は上田千曲高等学校などになっており、元関係者、地元住民により「碑」が建てられた。今現在は町とし上書きされてしまっており、面影もなくなっている。飛行場があったということを伝えるためにも、碑はとても重要だと感じた。
2021-05-05
45
本当に緑色 緑橋
上田原の合戦の地は、今は県営球場や小学校になっている。辺りを散策していると何やら緑色で塗られた橋が。 その名も緑橋。住宅街から産川を渡り小学校に行くためにかかっている橋で、ペンキでベタベタに塗られている。渡ってみると鉄板の音が心地よく何か懐かしい気持ちになる。自然の中にケミカルな人工物、異質な感じが面白い。 筆者は上田市立川辺小学校の卒業生なのでよくこの橋を渡っていた。学校の始まりと終わりにいつもわたるこの橋は、行くときは嫌で帰るときはウキウキだった。
2021-05-05
46
上田育英館
上田電鉄別所線中野駅から徒歩5分程度の場所にあります。 文献(地図)を調査しましたが,見つけることが出来ませんでした。しかし,少なくとも建物の状況から数十年前であると考えられます。現在は,市の空き家対策課によって,バリケードが設置されています。 昔の子どもたちが学校以外の場でどのように学習するのか知ることができました。
2021-05-05
47
榛名湖
上毛三山の一つ、榛名山の火山活動によって生まれた、標高1,100メートルにあります。年間を通じて美しい景観と自然を満喫できる高崎市で一番人気のアウトドアスポットです。爽やかな空気の中、ボートや遊覧船、オートキャンプなどが楽しめます。アニメ:頭文字Dの聖地です。 学校の行事で訪れたことがあり、キャンプファイヤーや登山、カッターなど楽しかった思い出があり今回訪れてみました。湖は大きいので広々とボートで遊ぶことができます。また、湖だけでなく近くに榛名山もあり登山をすることも、ロープウェイで上ることもでき、美しい眺めを見ることができました。 この場所にたどり着くまでに展望台があったり、CMに使われるような参道もあり、来るまでに退屈しないと思います。 写真引用アドレス https://www.gunlabo.net/images_
2021-05-04
48
榛名神社
群馬県高崎市にある神社です。創建は6世紀後半といわれ、1400年を越える歴史を持ちます。主祭神として火の神である「火産霊神(ほむすびのかみ)」と、土の神である「埴山毘売神(はにやまひめのかみ)」を祀り、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。 一人暮らしや久しぶりの学校で疲れた心を癒やすために訪れました。自然豊かで空気がとても澄んでいて、神社だけでなく不思議な形をした岩や小さいですが滝も有り、自然を楽しむことができると思います。山にあるので運動不足の人には坂がきつく感じると思います。
2021-05-04
49
中塩田小学校 盈進学校・本郷学校跡
現在の上田市立中塩田小学校の敷地内にある盈進学校・本郷学校跡です。盈進学校は1873年に開校し,1886年から本郷学校になりました。 ぱっと見ただけでは学校の歴史がわからない中,思っていたよりも歴史が長いことに驚きました。 【参考】 上田市立中塩田小学校 「中塩田小学校のあゆみ」 (2009) http://www.school.umic.jp/nakashioda/syoukai/cat19/20090730-114954.php
2021-05-04
50
[14/09/11]長小学校周辺を通る
傾斜地に広がる真田の集落は私には迷路のようです。「上州街道石碑群」を次の目的地に移動してみましたが、入る道がわからず山家神社・長小学校周辺をぐるぐる回ってしまいました。道が意外に狭く、曲がっていて、わかりにくい。
2021-05-01
51
塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])
小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。
2021-03-22
52
上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)
下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)
109頁/21MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル] ZIP形式で圧縮
109ファイル/25MB
▼上田市公文書館資料情報 写真アルバム・上田築城三百五十年祭記念写真帳ほか しゃしんあるばむ・うえだちくじょうさんびゃくごじゅうねんきねんしゃし
2021-03-07
53
上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
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上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
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▼上田市公文書館資料情報 上田町会議案綴 うえだちょうかいぎあんつづり 請求番号 01-M35-01-1356 文書の種類 旧役場文書 地域 上田町 作成年度(和暦) 明治35年
2021-03-07
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明治35年 常磐城區有土地建物寄附之件
『明治35年上田町会議案綴』(上田市公文書館所蔵)より 土地や建物の寄附について、土地の広さや建物の見積もり金額が記されている。 「前記ノ土地建物ハ上田町大字常磐城ノ所有ノ処上田尋常高等小学校ノ用ニ供スル為左ノ条件ヲ付シ上田町ヘ寄附スルモノトス」 年代や地名から推測すると、上田尋常高等小学校常磐城分教場(現上田市立西小学校)に使用された土地や建物と思われる。 【参考資料】 『上田市誌 近現代編(8)学校教育のあゆみ』上田市誌編さん委員会/編(上田市 2003年)
2021-02-27
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山本鼎の部屋
神川小学校には「山本鼎の部屋」が設置されており、山本鼎が描いた絵や手紙などが展示・保管されています。 しかし山本鼎の部屋の中は狭く暗く資料が保管される環境にはふさわしくありません。 学校側もこの部屋があることが負担になっていると思います。 そこで私はこの部屋に残されている資料をデジタル化すればいいのではないかと考えています。 デジタル化することによって学校側の負担も減り、地元の小学生たちが地域学習をする際にこれらの資料が活用されるからです。 そうすれば今はただ保管されている資料が地域を活性化させる材料にもなるかもしれません。 このデジタル化の案を神川小学校に提案するために今提案書を作成しています。 来年以降のプロジェクト研究はこのデジタル化を主に進めていこうと考えています。
2021-02-01
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山本鼎による児童自由画教育
この写真に書いてある言葉は山本鼎の言葉です。 山本鼎は「児童自由画運動」と「農民美術運動」のパイオニアです。 児童自由画運動は児童が絵を描く際にお手本をまねて描くのではなく、自分の思うままに好きなように描くことが大事であると伝える運動です。第1回の自由画運動が行われた神川小学校には児童による多くの自由画が残されています。
2021-02-01
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サントミューゼ美術館概要
〈美術館概要〉 常設展示室、企画展示室を2階に配置し、ゆったりと作品をご鑑賞いただける空間としました。大ホールとの行き来もしやすく、公演の前や後にもお立ち寄りいただけます。 1階には、市民アトリエ・ギャラリーや子どもアトリエなどを設置。貸し出しも行っており、誰もが気軽に創作や発表を行うことができます。 〈美術館施設〉 ◆企画展示室 鑑賞しやすいシンプルな形状、自由度が高く広い展示壁が特徴の展示室です。 5枚の可動壁と2箇所の展示ケースを設置し、大型の作品や資料まで多様な展示計画に対応できます。 ◆常設展示室 常設展示室では、作品・資料などの展示を通じて郷土上田にゆかりのある作家の顕彰を行います。 ◆市民アトリエ・ギャラリー 市民の誰もが気軽に、日ごろの創作活動の成果を発表できる場と
2021-02-01
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山本鼎に関する資料
神川地区を研究するに当たり、山本鼎という人物について調べました。図書館や神川小学校を訪問し資料を集めました。また、山本鼎の会の方にもお会いしお話を聞くことができ大変良い機会でした。
2021-01-31
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翼賛壮年圑・青少年圑(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁)
翼賛壮年圑:緊急食糧增産確保並労力対策協議会の記事。食糧増産のために中学校から動員するなどの内容。 青少年圑:食糧增産運動の記事。 緊急と名付けられるほどのひっ迫している状態であると考えられ、荒廃地を改善し生産しているがそれでも不足しているのが伝わる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #947
『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁
2021-01-27
60
木やりと岩万燈
亀田の祭りで行われている木やりという掛け声である。これは古くは水路を利用する船頭による歌だが、亀田をたたえ、奮い立たせるような節回しは、祭りのために作られたような感覚さえする。 亀田の夏祭りの大きな特徴はこの木やり及び亀田大岩万燈(以下岩万燈)にある。大きなみこしをぶつけ合うその姿はまさに喧嘩祭りである。 おおむね一日目に亀田甚句流し、二日目にこの岩万燈が行われる。動画では岩万燈の一連の流れが記録してある。大きな声で木やりをかけるむさくるしい様子をぜひ見てほしい。 そもそもこの祭りが行われるようになった経緯にも、もちろん土地が関
2021-01-27
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六月の常會(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁)
食糧增産國民皆働ノ件の記事。 中学校や市街地、工場などからも食糧増産のために人が集められていることが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #941
『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁
2021-01-27
62
上田駅周辺の変化
今回中心として見ていく上田駅は、1888年(明治21年)に官設鉄道の長野駅-上田駅間の開業に伴い、終着駅として開業した。 いままで様々な線の始発駅や途中駅、終着駅として昔から現在まで活躍している。 上記の画像は2021年(令和3年) 1月26日にGoogle Mapで上田駅周辺を見た状況となっている。現在どのようになっているのかが分かる。 今回発見した1922年(大正11年)の上田市全図では、市役所や小学校・中学校などの主要な建物が上田駅周辺に集まっていることが資料から分かった。 また、上田駅が上田停車場と記載されている。この上田停車場という言葉で調べてみると、上田駅お城口を出てすぐの長野県道162号上田停車場線が出てきて、日本一短い県道とされているという情報を知ることができた。 次に発見した1928年(昭和3年)の大日本職業別明細図
2021-01-27
63
上田わっしょいサマーウォーズ連
一九七二年(昭和四十七)より開催されている市民のお祭りである上田わっしょい。中心市街地を会場に、真夏の夜空に響く「わっしょい!」の掛け声の元、約一万人の上田市民が集い爽快に歌い踊り、市民有志による生バンドの演奏も見どころの一つ。自治会やグループ、学校、企業などが「連」になって踊りと衣装を披露し、神輿や太鼓も祭りを盛り上げる。 数年前からアニメ映画「サマーウォーズ」に関連した当日参加できる飛び入り連が登場し、お祭りがより一層にぎやかになっている。
2021-01-27
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高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
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旧上田情報ビジネス専門学校3号館・現有料駐車場
1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 2012年の時点であった上田情報ビジネス専門学校3号館は現在1号館の横に建てられており、そして、写真からも分かるように、今は有料駐車場になった。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)
2021-01-24
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小県郡上田町全図(1901~1910年頃)
小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★
小県郡上田町全図(PDF)1.3MB
2021-01-10
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上田市と岡谷市における蚕業の比較
・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧
2020-12-21
68
群馬県から出土した歴史的遺産
〇地域探求テーマ ‐群馬県から出土した歴史的遺産 〇選んだ理由 ‐群馬県は国宝・国指定重要文化財に指定されている埴輪の45%を出土していたり、大型古墳数が全国4位を誇る程歴史的遺産が多く出土していたりと県民が誇れるほどの古墳県である。実際私が通っていた小学校の敷地内にも古墳があり、『蛇塚古墳』といいおおよそ6世紀後半の遺跡であった。そこから出土した馬型埴輪は重要文化財に指定されている。そのため群馬から出土した歴史的遺産は他にどう言ったものがあるのか興味を持ったから。 〇探求・アウトプット化内容 ‐出土した遺産(文化遺産等に指定されているものを中心に)の種類・そのものの歴史的背景・それから考えられる地理的歴史的特徴 ‐出土したモノから歴史を辿る面白さ・個人の地域の歴史的遺産について知る
2020-12-21
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伊那の昆虫食
伊那市では、昆虫食というと学校給食において提供されるほど身近なものですが、その文化を詳しく知りません。そのため、このテーマを設定しました。 伊那市の昆虫食文化の背景や特色について、市報やウェブサイト等の資料を活用し、探求していきたいと思います。
2020-12-20
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西塩田時報第4号 大正13年4月1日
村役場の、土木に関する調査の結果や、小学校で入学した生徒の人数などが記載されている。これにより、この時の西塩田の様子や、どれだけの学生が存在していたかを知ることができてとても興味深いと思う。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0022.jpg
2020-12-19
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卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2020-12-16
72
入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)
この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976
『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁
2020-12-14
73
桑樹栽培法(『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1貢)
蚕都上田と呼ばれるほど蚕業が盛んであった上田であるが、餌となる桑の品質管理の大変さや飼育の苦労さが書かれている。 長野県は春は掃立と呼ばれる附加した蚕を蚕座に移して飼育する作業が遅く、秋は早く寒くなってしまうため成長期間が短い。長ければ長いほど良いため改正する必要がある。 小学校の時に蚕を飼育したことがあるのでこの記事に興味を持った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #207
『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1頁
2020-12-14
74
學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)
保護者の方から小学校児童の体格が良くないといわれたらしく、それに対し学校側が全国平均と比較することで問題ないと回答している記事である。 ここで掲載されている身長・体重・胸囲ともに数字の単位が現在私たちが用いるメートル法とは異なり尺貫法を用いているようだ。以下が私なりに調べて出した数値と現在の全国平均との比較である。 ・身長の単位:分(1分=3.0303㎜) -当時7年生:106㎝(男)105㎝(女) -現在(令和元年)小学1年生:116㎝(男)115㎝(女) ・体重の単位:匁(1匁=3.74g) -当時7年生:17㎏(男)16㎏(女) -現在(令和元年)小学1年生:21㎏(男)20㎏(女) ▼この記事は以下から参照できます。 #7
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁
2020-12-11
75
国立小諸療養所(現小諸高原病院)の旧門柱
陸軍軍医学校小諸療養所が前身だったのですね。 病院の沿革はこちらにでています。 http://bit.ly/2JNq6Hn 沿革 昭和18年7月31日 陸軍結核治療研究機関として建物が落成 昭和19年1月19日 陸軍軍医学校小諸診療所として開所し、結核患者を収容 昭和20年12月1日 終戦に伴い厚生省に移管され、国立東京第一病院小諸分院となる 昭和25年4月1日 国立小諸療養所と改称 国立菱野療養所を分院とする 昭和29年12月25日 菱野分院を閉鎖 昭和36年3月31日 精神病棟を併設 昭和38年4月1日 精神療養所に転換 昭和52年7月1日 重症児病棟併設 平成5年11月1日 老人性痴呆疾患治療・研修事業施設の指定 平成6年4月1日 研修施設群による精神科臨床研修病院 平成7年4月1日 老人性痴呆疾患治療病棟開設 平成12年4月1日 精神科救急病院 平成12年8月1日 応急入院指定病院 平成16年4
2020-12-08
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地元をフィールドにした地域の学び研修会2020/11/06
長野県総合教育センター/長野大学連携講座2020 総合的な学習・探求の時間 基本III 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 2020/11/06、長野大学にて
①地元をフィールドにした地域の学び
【資料】
①地元をフィールドにした地域の学び
②デジタルコモンズによる地域学習支援+③フィールドワーク実習「地域探検」
【資料】
②デジタルコ
2020-11-15
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上田市立第二中学校
今まで見てきた中学校の中で1番か2番を争う程の美しさ。校内も覗いてみたいものだった。調べたところ、現在の場所には上田藩の藩校明倫堂があったそうだ。また、元内閣総理大臣である羽田孜の出身校だそうだ。
2020-11-05
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災害アーカイブ展~令和元年東日本台風から1年
令和元年東日本台風台風19号災害から1年目を迎えるにあたり、災害の記録や記憶を保存・継承し災害を自分事として捉え備える事を目的に「災害アーカイブ展~令和元年台風19号から1年~」が長野市役所や長野県庁、信州大学、長野駅で開催された。私は10月15日に長野市役所に訪れた際の記録をまとめていく。 令和2年9月18日現在の長野県内被害状況は、人的被害による死者が15名、重傷者14名、軽傷者136名にのぼり、住宅被害は全壊が920棟、半壊2515棟、一部損壊が3535棟にのぼる。また長野県内の被害額は、公共土木施設や都市施設、農業や商工業関係が被害の多数を占めており、被害総額は2766億7400万円にのぼる。 また信州大学で行われている災害デジタルアーカイブの記事について、かつては災害の記録や写真は図書館や博物館などが災害関連資料として記
2020-10-31
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別所温泉遊歩道展望台
別所までなんと自転車で来たのだが、道中長い坂が印象に残っているが登ってきただけにとても見晴らしが良いところが多い! 写真の右側に写る少し低い山地は僕の実家の上田駅方面と塩田方面を見事に遠回りさせているものである。 あれがなければもっとはやく学校に行けるのに・・・!と思った一枚です。
2020-10-20
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「信州の学海」碑
かつて塩田を「信州の学海」と呼んだのは、鎌倉時代の高僧・無関普門。遠地へのアクセスも困難であった当時、遠方から学問を修めに塩田の地まで人々がやってきたことを象徴する呼称です。「学びの海」、なんとまた意味深い言語化かと思います。 塩田中学校に「信州の学海」碑があります。 「信州に却回して塩田に館す乃ち信州の学海なり」 確かに碑にその謂れが刻まれています。 cf.塩田中学校のホームページにも紹介されています。
http://www.school.umic.jp/shioda/2008/0603-104114.php
2020-09-12
81
アイナン
愛知県美浜町にある養鶏場。 鶏糞の臭いが強く、近くの小学校まで臭いがくる。夏場や、雨の日の前後は特に臭い。 えびを餌として与え、産ませた玉子が、えびもっこりという名前でブランド化されている。黄身に爪楊枝が立つことで有名。
2020-08-09
82
やなし潮干狩り場
私が小学生の時には、たくさんアサリがとれ、他の地域からも訪れる人が多かった。しかい最近では、うんね貝というアサリの天敵が大量発生し、アサリの数が減少している。母校である河和南部小学校には潮干狩りの行事が毎年ある。
2020-08-09
83
日露戦役忠魂碑
田市立中塩田小学校の横に日露戦役忠魂碑がありました。 日本のために戦った人達と新しい世代の子供たち。考え深いものがあります。
2020-08-07
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こんな所に忠魂碑が
中塩田小学校のすぐ隣に鳥居が立っているのが気になって寄ってみました。どうやら日露戦争で亡くなった方々を祀っているようでした。長野県では慰霊碑を見たことがなかったので、こんなに身近にあるのは驚きでした。
2020-08-05
85
神川小学校
上田市国分にある神川小学校です。 この学校は私の出身校です。 先日地域の資料を集めにお邪魔させていただきました。 神川小学校は山本鼎が児童に自由な絵を描かせるという「児童自由画教育」や「農民美術運動」の拠点となっていて、校内には山本鼎の部屋があり多くの作品が残されています。 Web上にいくつか作品が載っているので興味がある方はぜひ見てみてください。
2020-07-27
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菱平農事実行組合 共有土地維持略歴
菱野区の旧公民館に掲げられていた共有土地維持略歴 ・明治維新により地域の共有林が国有林に編入されたこと、 ・図面作成の請負手となった区民が請負人の立場ではあったが、村民の利益を失うことに異を唱えたこと、 ・国の官吏との折衝に苦労してほぼ主張が認められたこと、 ・菱野区後平区の名義で登記できず、六人の共有名義としたこと、 ・1932年(昭和7)産業組合法が改正され昭和8年農事実行組合が組織されるに当たり、その名義としたこと、 ・菱野公会堂(旧公民館)新築に当たり、共有林からの材木を使ったこと、 ・将来に向かって愛郷の念が益々高まることを祈っていること がわかる。 菱平農事実行組合 共有土地維持略歴 大里村大字菱平字宇坪入 一四六八番イ号
2020-07-26
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信州上田から夢を追った山本鼎
明治大正昭和を走りぬいた美術家山本鼎は、大正8年に児童自由画運動・農民美術運動をこの神川村の神川小学校から始めた。両運動は大正デモクラシーの風にのり、長野県下をはじめ全国に広がった。両運動を支えた上田の人々上田の風土についての興味は尽きない。 今回は鼎の児童自由画に焦点をしぼり、鼎の自由画思想がどのように広まっていったのか、児童はどのように反応したのか関心を寄せてみたい。 地図は山本鼎の作品展示のサントミューゼ上田市立美術館です。
2020-07-24
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龍野咲人
詩人 明治 44 年~昭和 59 年(1911~1984) 明治 44 年小県郡川辺村築地(現上田市築地)に生まれる。 本名 大久保幸雄。 地元の校歌の作詞も多く手がけている。 小諸市立芦原中学校校歌 小諸市立美南ガ丘小学校校歌 小諸市立水明小学校校歌 長野県小諸高等学校校歌 佐久市立平根小学校校歌 上田市立丸子北小学校校歌 山ノ内町立東小学校校歌 上田市ホームページより https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/13662.pdf
2020-07-21
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野球と蚕糸業
1927年に建設された上田市営野球場。蚕都上田の隆盛があって、地元に野球場が出来る。キモノマルシェで旧常田館製糸場の鉄筋繭倉庫を現存する長野県最古の鉄筋コンクリート造の建物(1926年=大正15年)として紹介したばかり。なるほど、この野球場の建物に接する鉄筋コンクリート造の橋はその竣工年がその翌年(1927年=昭和2年)になっています。蚕都上田の隆盛を背景に当時としてはまだ数少なかった鉄筋コンクリートの建造物が建造されたことがわかります。 野球と蚕糸業。この視点で知り得ているのは諏訪蚕糸学校(現岡谷工業)の甲子園での輝かしい準優勝の記録。校名に「蚕糸」とあることからもはっきりとその学校の背景がわかります。蚕糸業による経済的繁栄があって、野球が盛んになったことが物語られています。 (2016/10/28投稿
2020-07-18
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旧小県蚕業学校の校歌
2017/01/28投稿、マイブログからの転載。 長野大学に赴任した最初の年、まだ蚕都上田や小県蚕業学校などの予備知識がなかった頃、上田東高校を視察で訪れ、たまたま目にしたこの校歌に驚愕しました。「校基百年」碑の裏面に刻まれています。 作詞 土井晩翠 作曲 岡野貞一 小県蚕業学校は1892年の創立です。明治以後の唱歌で最も著名な作詞家、作曲家の名前を見て、何という歴史のある学校かと。さらには歌詞がただ事ではない。 3番まで歌詞がありますが、2番の歌詞は少し来るモノがあります。 ♪国の富増し 世を利する わが蚕業の 尊きを あけくれ常に 胸にして 青春の子ら 励み合う 富国の中核産業であった蚕業を担う人材を育成する使命が謳われています。蚕業の尊さを明けても暮れても胸にして励まし合う。土井
2020-07-18
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信大繊維学部、上田蚕糸専門学校の遺産
2018/05/10、1年生ゼミで上田探検。旧常田館製糸場に続き、信大繊維学部を見学しました。見学というよりもキャンパスを通り抜けたという感じの見学です。旧上田蚕糸専門学校講堂の内部を見学させていただくともっと感じるものはあったかもしれません。とは言え、見学行程全体のバランスを考えると時間がかかる一方なので、内部見学の事前予約はせず「じっくり見るのはまたの機会にしてね」と外観だけ見て内部見学はパス。 本当は感性工学科H棟内にある「疾走するファイバー展」も、赤レンガ造りの資料館(旧貯繭庫)の蚕糸関係の展示も面白いのだけれど。知的好奇心の高い学生たちにパスさせたのはもったいなかった! 時間の兼ね合いを考慮することもやむを得ない選択です。 キャンパスを通り抜けながら、長野大学よりも大学らしいキ
2020-07-18
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小県蚕業学校(上田東高)の校歌
2018/05/10、1年生ゼミでの上田探検。信州大学繊維学部に続き、上田蚕種へ。信大の裏口から実にアクセスしやすいミニマムパスを見つけ、そのパスを抜けると旧小県蚕業学校(上田東高校)の真ん前に出ました。 小県蚕業学校は全国で営まれていた養蚕を各地で指導する養蚕教師を養成していた中等教育機関です。全国からここへ養蚕を学びに生徒が集まっていました。国の基幹産業でもあった蚕糸業(養蚕)を支える人材を育成していた学校です。このような言い方が適切かどうかわかりませんが、現在は全国のどこにでもあるいわゆる「普通高校」と化してしまいました。かと言って蚕業学校のまま、現在に残るわけにもいきません。普通高校と化したのはやむを得ない。 この学校の歴史の重さはその校歌にも刻まれています。通過する道路際から
2020-07-18
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地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園
地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。 先日、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというのがメイントピックです。過去に上塩尻の記録がまとめられたものとしては『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』(1999年、塩尻地区写真刊行会)があります。 Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同
2020-07-18
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山本鼎の「本来の自由画」昭和初期の子どもたちの絵に思うこと
★神川小学校 昭和初期の子どもたちの絵―児童自由画教育運動の流れをくんで―
https://museum.umic.jp/kangawa/
『山本鼎物語』の著者、神田愛子さんから神川小学校の昭和初期の子どもたちの絵を上田市マルチメディア情報センターがデジタル化したというお話を聴き、同センターを訪れました。神川小学校の「山本鼎先生の部屋」に保管されている600点の児童画があり、それらがデジタルアーカイブ化され、ネットに公開されています。 この絵たちを見て、小中学生が描いたとは思えないほどに大人びていて、「えっ、これが自由画なの?」という疑問を抱きました。写生の技術がしっかりと指導され、「いい絵はこう描くんだよ」という模範的作品が並んでいます。その当時、絵の具をふんだんに使い、模範的
2020-07-18
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尾澤木彫美術館の外観
尾澤木彫美術館は長野県上田市に位置する農民美術の美術館。館長の尾澤敏春氏およびその先代である尾澤千春氏の作品を数多く展示している。また世界各地の木彫人形も展示している。建物は新潟の豪雪地帯から移築した寄棟中門造の民家を改装したもの。 農民美術とは 長野県上田市を中心とした大正時代の工芸運動。東京美術学校を卒業し、パリで留学していた画家・山本鼎(1882~1946)が提唱した。冬場の副業として取り組み、農村の経済水準と文化水準を高めることを目指したもの。器や小物入れといった日用品から人形や木版画といった美術品、また手縫いや刺しゅう等その領域は多岐に渡る。 【参考文献】 石川義宗、禹在勇(2018)『長野県の木工文化:デザイン史から見た農民美術の意義』日本デザイン学会デザイン学研究概要集 神田愛子『
2020-07-15
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大里村役場跡碑
碑文 大里村役場跡 小諸市長 塩川忠巳書 大里村役場沿革誌 明治二十二年市町村制実施により大里村発足 諸二〇七番地に役場開設 大正十五年大里尋常高等小学校隣接地諸字矢鼻 二六番地ー二近代的役場新築 昭和二年新役場により事務執行 昭和二十九年市町村合併法により小諸町になる 同 年四月小諸市となり諸支所となる 昭和三十八年諸出張所となる 昭和四十四年諸出張所廃止 平成四年三月吉日記念碑建立 記念碑建立実行委員会
2020-07-13
97
神田愛子さん、山本鼎の自由画を語る
信州上田学Aの受講生のお一人、神田愛子さん(『山本鼎物語』著者)に山本鼎の自由画についてお話をお聴きしました。
<参考サイト> ★
山本鼎アーカイブズ
(上田市マルチメディア情報センター) ★
神川小学校―昭和初期の子どもたちの絵
(上田市マルチメディア情報センター) 話中、話題になった自由画運動の流れを組む子どもたちの絵はこのサイトに公開されています。
2020-06-29
98
『上田市誌』(全31巻 2004年)目次
『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。
第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌
第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖
第03巻 自然編(3)上田の動物と植物
第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの
第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代
2020-06-27
99
【バリアフリー】赤い車道
車道が赤く塗装されている部分があった。 これは注意喚起という意味だそうだ。 なぜこの周りだけ赤く塗装されているのか、地図で確認したところ、上田市立東塩田小学校や甲田クリニック近くの車道だけが赤くなっていた。 小学校は子供が多いため注意、クリニックは高齢者や子供、病人が集まるため注意してくださいという意味だと考えられる。
2020-06-23
100
神畑公園
学校の校庭ほどの大きさがある多目的グラウンドがあります。ゲートボールもできる場所もあります。
2020-06-22
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