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登録リスト(該当:8件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
水月園の花見
お花見、女性や子どもたちの服装が当時をしのばせる。中には三味線をもった男性も見える。ごちそうは重箱に詰められている。昭和5(1930)年撮影。
2020-03-06
2
蕉鹿庵前の酒宴
写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。
2020-03-06
3
お花見新道の桜並木
明治32~3(1899~1900)年ごろ桜が植えられたというお花見新道、そのお花のトンネルが大戦中に切り残された一部を写した写真。現在では一般的に「花見新道」と呼ばれる。
2020-03-06
4
夜のお花見
大正3(1914)年水月会の主唱によって水月園と花見新道に初めて電灯をつけた。写真は夜のお花見、三味線を持った芸者さんもいる。
2020-03-06
5
水月園お花見
観月堂前。三味線を弾く芸者さんを大勢の人が取り囲んでいる。お花見の人出は相当だったと思われる。
2020-03-06
6
水月園お花見
水月園は「水月会」により開発され、明治35(1902)年に命名。明治40(1907)年旧月見堂が落成。その後昭和28(1953)年に町に移管され、昭和56(1981)年現在の観月堂が作られる(月見堂は写真の左になる)
2020-03-06
7
水月園お花見
河西政常氏撮影 昭和初期のお花見の雑踏。後ろに観月堂が見える。
2020-03-06
8
お花見風景
御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。
2020-03-06
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