登録リスト(該当:13件)

写真タイトル説明登録日
1中井遺跡中井遺跡田地にある遺跡。 発掘された出土品は信濃国分寺資料館にあるようです。2023-11-30
2上田飛行場跡(上田千曲高校)上田飛行場跡(上田千曲高校)上田千曲高校に足を運び、戦前に上田市に存在した「上田飛行場跡」の碑を見に行った。 碑には戦時中の上田地域での主な出来事などが記されており、飢饉があったことなどがわかった。2022-05-17
3戦争を伝える松(東山)戦争を伝える松(東山)第二次世界大戦末期に、枯渇している航空機の燃料を松脂から作ろうとして傷つけられた松。大戦末期の日本はここまで追い詰められていたのかと実感させられた。自身が見たモノは大分傷が見えなくなってきており、写真や映像などでしっかり記録し伝える必要があると感じた。2021-05-05
4上田飛行場跡上田飛行場跡第二次世界大戦中、軍用機の訓練場として利用された飛行場。現在は上田千曲高等学校などになっており、元関係者、地元住民により「碑」が建てられた。今現在は町とし上書きされてしまっており、面影もなくなっている。飛行場があったということを伝えるためにも、碑はとても重要だと感じた。2021-05-05
5上田警察署保野分署跡上田警察署保野分署跡塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。2021-05-03
6半過古墳群10号墳の石室(移築復元)半過古墳群10号墳の石室(移築復元)バイパス工事に伴い、平成18~19年度に発掘調査が行われました。遺跡は2つのトンネルの間にあり、弥生時代から平安時代の住居のほか、半過古墳群の4つの古墳が発掘調査されました。古墳からは人骨や青いガラス玉の首飾り、金銅製の耳飾りなどの多くの副葬品が見つかりました。また、棺桶に入った遺体が骨となってそのままの形で残っていました。2020-11-14
7活文禅師遺跡1号毘沙門堂跡活文禅師遺跡1号毘沙門堂跡文政12年(1829)岩門の大日堂から毘沙門堂へ移り、寺子屋をつづけた。活文禅師の著名な門弟に佐久間象山・高井鴻山・赤松小三郎らがいる。活文禅師は、禅学は勿論、和漢、彫刻、詩歌、蘭学、世界情勢に通じ、子弟の指導に尽力した。2020-06-23
8上田市に古墳?(二子塚古墳)上田市に古墳?(二子塚古墳)前方後円墳です。はっきりと形が残るものは小県策地方唯一であり、大変貴重とされています。発掘調査が行われていないため、内部の様子は不明ですが墳時代中期のものとされています。発掘調査が行われていないため、全貌が見られず残念ですが、どちらが前方部でどちらが後円部なのかを考えてみると楽しかったです。また、上田市に古墳があることはあまり知られていないため、もっと多くの人に知ってもらえるといいと思います。2020-05-26
9戌立石器時代住居跡戌立石器時代住居跡縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。2020-05-26
10土偶広場土偶広場朝日山系の麓に位置し、周辺では旧石器時代から戦国時代に至るまで数多くの遺跡が見つかっています。 忠実に拡大、再現されたたくさんの土偶が設置されています。2020-05-25
11登呂遺跡登呂遺跡日本で初めて発見された弥生時代の水田跡の遺構です。 火起こしなどを体験することができ、弥生時代の人の生活を感じることが出来ます。 第二次世界大戦中の軍需工場建設の際に発見されたということに驚きました。2020-05-25
12古代の丘資料館古代の丘資料館長井市内の考古資料を中心に収蔵、展示している資料感じてです。主に縄文時代の遺跡から発見された土器、石器を展示しています。縄文人の生活について学ぶ事ができます。2020-05-25
13長者屋敷遺跡と四本柱長者屋敷遺跡と四本柱西山山麓にあり、縄文中期のムラの跡が発見されました。住居跡は、発掘した場所に4棟そのまま復元されました。4棟のうち1棟は発掘したままの姿が保存されています。 また、ハンセツモクシュウイコウと呼ばれる大型の柱跡が4基発見されました。縄文の人たちは柱からのぼる日の出を観察し、季節を感じていたのかもしれません。2020-05-25
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