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13Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化3Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化上塩尻にある藤本蚕業歴史館の新しい情報空間のご紹介です。 ★藤本蚕業歴史館ウォーク https://d-commons.net/fujimoto-walk/ 資料館はとても行きにくいし、行っても資料を見るのも大変です。このたびデジタル技術を使って、資料館まで行かなくても館内をバーチャルに歩き回り、資料にアクセスできるバーチャル空間にしました。本物の資料館がそこにあるかのように再現する技術を「デジタルツイン(デジタルな双子)」と呼んでいます。その試みです。長野大学前川ゼミの協力により藤本蚕業プロジェクトが制作しました。 皆さんもどうぞバーチャルな体験、資料へのアクセスをお楽しみください!2024-02-27
2北向観音堂、本堂北向観音堂、本堂別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価2024-02-13
3生島足島神社、本堂生島足島神社、本堂生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
4生島足島神社、西鳥居生島足島神社、西鳥居生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
5安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔日本最古の禅宗様建築で、長野県内では松本城とともに最初の国宝指定を受けた文化財である。また、日本で現存する唯一の八角塔である。高さ18.75mで、内部の天井や八角の仏壇も他に類を見ないものである。しかし、その希少価値の高さや歴史の深さなどが観光客に最大限伝わっておらず、一連の観光資源として活用できているようには感じられなかった。特に、別所温泉には数多くの寺社が建てられており、古くから中国の高僧や全国の学僧が訪れた。だからこそ、地域として関連性のある遺産が多い。それをもっと有効に活用するべきだろう。2024-02-13
6上田城上田城真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。桜の時期の祭りや、秋のライトアップなど一年を通して様々なイベントも行われ、地元の人たちにも愛される観光名所となっています。歴史ある上田の遺産に、皆さんもぜひ足を運んでみてください。2024-02-13
7国宝安楽寺国宝安楽寺神聖な雰囲気に包まれた安楽寺。長い年月をかけて育った杉の大木に囲まれながら、階段を上るとそこには見事な八角三重塔。とても素晴らしい歴史文化財である安楽寺は地域観光財として大きな価値を持ち、上田&別所地域に大きく貢献している。少し立地は悪いが、この一つだけでも観光が成り立つ資源としての強みは、地域観光の在り方を考える際の軸としての意味も担っているだろう。2024-02-13
8サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館・交流芝生広場が併設された複合文化型施設です。入学式や卒業式も開かれます。内装もきれいで 人をひきつけます。2024-02-13
9舌喰池舌喰池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌2024-02-13
10生島足島神社生島足島神社遠くからでもわかる様な赤い神社と鳥居。 上田の日本遺産にとって中心的存在2024-02-13
11上田合戦の上田城上田合戦の上田城上田城は二度の徳川軍の襲撃を耐え、撤退に追い込むことができた。徳川軍との戦いは上田合戦と呼ばれ、1585年と1600年に勃発した。 1585年の第一次上田合戦は真田と徳川の間で領地問題が発生したことで起きた。徳川軍7000に対し、真田軍は加勢込みで2000弱しかいなかったが、上田城の急な崖と千曲川の増水、狭い道におびき寄せて叩く様々な策略を用いたことで死者を抑え、撤退に追い込んだのである。 第二次上田合戦は関ヶ原の戦いの前であり、石田か徳川のどちらにつくかで石田についたことで起きた。返答と面会を遅らせた上に、あえて徳川軍をおびき寄せてから反撃する策によって、徳川軍に打撃を与え、関ヶ原への到着を遅らせたのである。 上田城のように大きな合戦に二度も勝利した事例は少ない。この勝利は知恵と地の利がもたらしたも2024-02-12
12真田神社について真田神社について上田城跡に存在している神社である。真田神社は明治時代、旧藩主の松平氏に対する恩義から藩主を祀るため、民衆によって建てられた。また、報恩だけでなく、上田城が遺した栄光や功績を後世に伝えるためでもある。 もともとは松平神社として松平氏のみを祀っていたが、戦後、歴代の藩主も祀るべきという声が上がり、真田神社と名を改め現在に至る。2024-02-12
13千曲川橋梁千曲川橋梁千曲川橋梁は、上田電鉄別所線の鉄道橋である。かつて、上田盆地には、多くの地方鉄道が存在していた。多くあった鉄道路線の中で、「川西線」を現在の信濃鉄道に乗り入れるために、建設された。今も長く愛される上田電鉄別所線を支えている。2024-02-11
14信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺は、天平13年の国分寺建立の詔により、上田に建てられた。信濃国分寺は、承平8年に平将門と平貞盛の戦いで焼失した歴史がある。上田地域の雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由の一つとされている。2024-02-11
15梅花幼稚園2008/06/22梅花幼稚園2008/06/222008/06/22の記録。 梅花幼稚園は上田市内にあるキリスト教主義の幼稚園です。1900年に開設されました。現在の園舎は1903年に建てられた歴史的建築です。現存する全国の幼稚園の園舎の中では大阪市立愛珠幼稚園の園舎(1901年竣工)に次いで日本で2番目に古い園舎です。幼稚園の隣には蚕糸業の発展に貢献した三吉米熊(1860-1927)邸があり、クリスチャンでもあった三吉米熊は梅花幼稚園との関わりもあったようです。蚕糸業で古くから栄えた上田の歴史を物語る歴史的スポットです。 参考資料: 学校法人梅花学園梅花幼稚園http://www.baikayouchien.com/ Wikipedia:大阪市立愛珠幼稚園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E7%8F%A0%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%922024-02-10
16常楽寺石造多宝塔常楽寺石造多宝塔石造多宝塔は1262年の作で、総高274㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品である。国の重要文化財に指定されている。 多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけている。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てている。 塔が建てられている所は北向観音の出現地といい、境内でもっとも神聖な場所とされる。 常楽寺本堂から石造多宝塔まで向かっていくと徐々に神聖な雰囲気が感じられた。 周りを木や緑に囲まれており、空気がとても澄んでいる印象だった。 また、石造多宝塔のすぐ右側には上田市指定文化財である常楽寺石造多層塔が建っている。2024-02-09
17常田館製糸場について常田館製糸場について これは大浴場と炊事場になります。2000人に及ぶ従業員の食事を作るためかなり大きいです。浴室は男女両方ありました。(写真は男性のみですが…)当時はこの場所にはありませんでした。すぐ横にある道路開発によって退去を命じられたそうで曳家さんに依頼してここまで引っ張ってきたそうです。すごいですね。残念ながらその際、内装は埋め立ててしまいないのですが、今もその姿を残し、後世に蚕都上田の歴史を伝えています。2024-02-07
18常田館製糸場について常田館製糸場について これは、みそ樽です。当時、従業員は住み込みで働いており、なんと2000人ほどいたそうです。その際の食事に使うみそなどを作っていたそうです。上田市はみそも有名ですが、ルーツは製糸場で作っていたみそだと社長さんが言っていました!!!みそは師弟制度で作っており、ここで修業した職人が独立して、上田市内外でみそを作っていったそうです。 ※立ち入り禁止エリアだったのですが、社長さんが特別に許可してくれました。2024-02-07
19常田館製糸場について常田館製糸場について これはボイラー室の煙突です。主に従業員の生活のために使われいました。当時は個々の横に物資搬入用のトロッコが走っていたそうです。燃料となる石炭を搬入していました。また、トロッコは上田駅までつながっていて、製糸場でできた絹を上田駅まで届けていました。2024-02-07
20北向観音堂北向観音堂北向観音堂は別所温泉街だけでなく上田地域を見渡すことができる位置にある。境内には藍染カツラをはじめとした様々な文化財があり、その一つ一つから地域に根差した歴史を感じることができる。2024-02-06
21長野の観光地の持続性 泥宮長野の観光地の持続性 泥宮泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。2024-02-05
22長野の観光地の持続性 長福寺長野の観光地の持続性 長福寺長福寺には信州夢殿や菩薩像などがあり、それは昭和17年からできていたとされる。その建築方法は奈良の物を使用するといった当時の匠の技がたくさん施されていて、昭和を代表する建築ということが分かった。また観音像は菩薩立像とも言うが、法隆寺にならい救世観音という。 とても歴史を感じる建築で、その当時の文化や歴史が直接伝わってきたような気がした。2024-02-05
23丸窓電車丸窓電車別所線のシンボルともいも言える丸窓電車(モハ5252)。昭和2年に製造された。それから昭和61年まで使用され、別所温泉駅構内に保存されている。 訪れたことで別所線の歴史を学ぶことが出来た。また車内をのぞき込むと木造でできているところが多く驚いた。2024-02-02
24上田交通真田傍陽線廃線跡上田交通真田傍陽線廃線跡上田駅と真田駅を結んでいた路線。1927年に開業し1972年に廃止された。現在では遊歩道として整備されている。 実際に訪れたことで上田の繁栄の歴史や当時の姿を感じることが出来た。2024-02-02
25蚕都上田 常田館製糸所 煙突蚕都上田 常田館製糸所 煙突この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今2024-02-01
26蚕都上田 常田館製糸所 味噌・醤油蔵蚕都上田 常田館製糸所 味噌・醤油蔵常田館製糸所敷地内には味噌・醤油蔵がある。2500人の従業員のお腹を満たすためには毎日、大量の食材が必要になる。そこで上田で有名な味噌と醤油は他の場所から購入するのではなく、自社で作っていたそうだ。大きな樽の細部に年季を感じた。2024-02-01
27蚕都上田 常田館製糸所 食堂蚕都上田 常田館製糸所 食堂常田館製糸所の食堂は敷地内に1ヵ所で特に広いわけではなかった。2500人分の3食を毎日用意していたことを思うと驚きだ。この建物の天井は特徴的で、三角屋根であるのだが、てっぺんが外気と接していて、換気扇の役割をしていたという。木造の建物で温かみがあり、当時この小さな食堂が大人数で賑わっている状況をイメージするだけでも上田市が養蚕業・製糸業で盛り上がっていたことがわかる気がした。2024-02-01
28蚕都上田 常田館製糸所 風呂場蚕都上田 常田館製糸所 風呂場常田館製糸所の風呂場だ。上田駅からイオン上田店に行く大通りに建てられているのだが、当時は今の道路の中央くらいに位置していたそうだ。しかし、その後道路の設置が行われることが決まり、建物ごと移動させたそうだ。技術者に委託し、5000万円近くの自己負担で建物の移動を行ったそうだ。 風呂場内は今は平らになっているが、話を聞くうちに当時の湯舟やシャワー場が浮かび上がってきた。2024-02-01
29蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家常田館製糸所はオーナー宅が敷地内にあったそうだ。オーナーも従業員もともに生活していた。今は当時の従業員の住宅地はないので、このオーナー宅は現存している当時の住居としての重要な意味があるそうだ。2024-02-01
30蚕都上田 常田館製糸所 天皇来訪蚕都上田 常田館製糸所 天皇来訪2016年8月23日に天皇皇后両陛下が視察に来られたそうだ。現存する大規模製糸場はここ、常田館製糸場と富岡製糸場だけであり、大変価値がある場所だということが改めて分かった。その際に天皇皇后両陛下の対応にあたった笠原工業の社長に今回お話を伺った。2024-02-01
31蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所この蚕保管場所は4階の建物に見えるが実際は5階立てだという。中は風通しを良くする面から窓が特徴的だったり、床に秘密が隠されたりしているそうだ。今回の訪問時は見学できなかったが春以降、見学ができるようになったらまた視察にきたい。現在の建築物で木造5階建ての建物は珍しいという。とても大きく迫力のある建物だった。2024-02-01
32蚕都上田 笠原組常田館製糸所蚕都上田 笠原組常田館製糸所2024年1月24日、笠原組常田館製糸所を訪れた。 笠原工業の社長から様々な説明を受けた。 これから、施設の写真とともに説明の要約を記載し、自分の考えたこと・感じたことを中心に投稿していく。 笠原組常田館製糸所は現在も施設見学や職員による概要の説明など、現地調査が十分に行える場所であった。 製糸業の最盛期には当時、2500人近くの従業員がここ、笠原組常田館製糸所で働いていたという。2024-02-01
33北国街道北国街道上田城の城下町、上田宿として発展した昔ながらの街並みを残している。昔ながらの街並みの中には昔からあるお店だけでなく、モダンなお店も並んでいた。大変趣深かった。2024-02-01
34西丸子線西丸子線下之郷と西丸子を走る電車で全長8,6キロメートルの間に11の駅があった。大正15年に開通した。マッチ箱電車の愛称で人々に親しまれた。昭和36年の豪雨により、線路が破損し38年に廃止になった。写真は下之郷駅の跡である。2024-02-01
35白山比咩神社白山比咩神社 白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。  白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。2024-01-30
36信濃国分寺跡信濃国分寺跡 信濃国分寺跡は、平将門の乱により消失した当時の国分寺が立っていたとされる場所である。昭和38年から46年にかけて行われた7回の発掘調査では、僧寺や尼寺が並ぶ伽藍配置と瓦、陶器などの遺物が発掘されている。全国の国分寺においても僧寺と尼寺が近接して建設されることは稀であり、10世紀頃の国分寺衰退の痕跡も確認できるなど歴史的価値の大きい遺産である。現在は、史跡公園として整備されている。  上田市が地元でありながら国分寺跡まで、足を延ばす機会がなかった。行くことがあっても道路沿いまでで、線路を挟んだ向こうにも続いていることを知らず驚いた。併設されている信濃国分寺資料館では、発掘時の釘や瓦を見ることができ当時の歴史を知ることができる。また、安楽寺八角三重塔の模型もあり細部まで構造を確認するこ2024-01-30
37石造多宝塔石造多宝塔 信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。  三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった2024-01-30
38生島足島神社生島足島神社生島足島神社には生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられている。 この日は七五三の撮影が行われており、以前行った際は結婚の撮影をしていた。行事で地域の人から親しまれる場所なのだと感じた。また、この神社のステッカーを車に貼っている人をよく見かける。これも地域の住民から親しまれている証拠だと思う。2024-01-30
39北向観音北向観音日本遺産の一つである北向観音を訪れた。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願う。祈祷では厄除・家内安全・商売繁盛・身体健全・交通安全をお願いすることができる。 率直に、想像していた場所よりも高いところにあると感じた。割といきなり北向観音が現れたように感じたが、周りと調和していると感じた。また、別所の街並みを見渡すことができた。2024-01-30
40安曽神社安曽神社鈴子、石神、柳沢の3地区の産土神(うぶすながみ)であり、地域の守り神。社伝によると、崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、御震筆阿曾山舎社(がしゃ)阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。境内入口は東向き。参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。門をくぐると、砂利の境内。境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿がある。 実際に訪れてみて、一歩境内に入ると、風情を感じられるような空間であった。特に印象に残っているのは、随身門である。とても立派な木造建築の門で、左右の随身像は守り神の様な存在感だった。2024-01-29
41炭焼き小屋炭焼き小屋炭焼きや薪取りなどの山の仕事は主として冬の仕事であったため、冬の山は賑やかであった。良い炭を焼くには経験と勘が大切で、体力的にも大変な仕事であった。窯の造り方も経験を要するもので、窯の良し悪しで炭の出来具合が分かると言われていた。 実際に訪れてみて、石積みの作りから歴史と時代の流れを感じられた。訪れた時期が秋であったこともあり、周辺の紅葉がとても綺麗だった。2024-01-29
42生島足島神社生島足島神社長野大学の近くにある神社で、日本遺産にも指定されています。赤い鳥居が特徴的です。上田市に来たら訪れてほしいスポットの一つです。2024-01-29
43常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900年創業の製糸工場である。 笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存していて、そのうちの明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。 上田駅から歩いて15分くらいで行くことができる。 たくさんの歴史が感じられる製糸場に関連する施設があり、国の重要文化財がこんなに近くにあることに驚いた。2024-01-28
44上田城上田城上田城跡公園は、上田駅から徒歩12分で行くことができる。 上田城は1583年に真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地の中央に位置している。 堀と土塁で囲まれ、出入口に石垣が使われている簡素な城であるが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名が知られる有名な城となった。 春は桜が咲いており、とても綺麗で上田城の見どころのひとつである。 四季によってさまざまな上田城の姿を見ることができる。 上田城 桜2024-01-28
45舌喰池の伝承舌喰池の伝承塩田の里交流館「とっこ館」の正面道路を挟んで向かい側にある大きな池のお話。 伝承の内容 舌喰池が作られたころ、土手から水が漏れてしまっており、人柱を入れないと水が貯まらないという話がどこからか伝わっていた。(人柱とは、人を生き埋めにして祈ること。)結果的にくじ引きで、村外れの娘が人柱として選ばれた。その娘は、自分の不運を嘆き、舌を食い切り池へ身を投げ、死んでしまったそうだ。その後、村人たちはその出来事を受けて、この池を「舌喰池」と呼ぶようになった。   現在の舌喰池は、とても綺麗で、決してそこで人が死んでいるような印象は受けなかった。池周りの「憩いの広場」の芝も短く刈られて整備されており、とても大切にされているような印象を受けた。そのことから、地域の人々がその悲しい出来事2024-01-26
46前山塩野神社の伝承前山塩野神社の伝承この神社は独鈷山の麓にある神社で、独鈷山の山岳信仰から生まれたとされている。境内は木々に囲まれており、外界と隔てられたような神秘的な印象を受けた。 伝承の内容 昔、この神社に彫られている彫刻の竜が、夜に御神木で遊んでいたそうだ。そのうちにその木の枝が折れて枯れそうになってしまい、村人たちは困っていた。そこで、その竜を掘った人に頼んで、目玉を取ってしまった。その後のある夏に大夕立が起き、御神木に雷が落ちて煙が上がり、折れてしまった。村人たちは、竜の目玉を取らなければ、竜が雨を降らせて御神木の火を消してくれたのにと後悔したそうだ。  実際に前山塩野神社に行ってみると、御神木には柵と屋根がついており、この伝承の出来事以降、大切に守られてきたのかなと感じた。竜が雨を降らせてくれる2024-01-26
47上田城上田城上田城を訪れた際に、桜を見ました。 桜にお城の風景が相まってとても美しかったです。 今まで、歴史文化スポットに興味がなかったのですが、これを機にお城や文化スポット巡りをしてみたいと思いました。 上田城は四季折々の催し物が開催されているので、大学在学中に見に行きたいです。2024-01-25
48北向き観音堂北向き観音堂平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場。厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになった。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、御利益があるとされる。 手水舎には境内から湧出している温泉が使われていて、とても温かい。 ここでは上田市の景色を眺めることが出来る。 北向き観音堂に行くまでの道中も、魅力があふれているためおすすめスポットである。 日本遺産に登録されている北向き観音堂はぜひ訪れるべき場所だ。2024-01-25
49上田城内上田城内上田城は、真田昌幸が真田氏当主であった1583年 に築城が開始された平城である。1585年の第一次上田合戦では攻め寄せた徳川軍を撃退し、その後、関ヶ原の戦いの第二次上田合戦でも東軍別動隊の徳川秀忠軍を退けた。のちに天下統一を成し遂げた徳川軍を二度も退けたことにより、「落ちない城」として現代でも語り継がれており、受験シーズンには合格祈願をする受験生で賑わうことが多い。2024-01-25
50信濃国分寺三重塔信濃国分寺三重塔寺伝では1197年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたという。建築様式から、室町時代に建立されたものと推定され、「和様」の外観は堂々と落ち着いた雰囲気を呈している。 周りに住宅や道路が多くあったが、生島足島神社と違って信濃国分寺は、お寺に近づくにつれ景観が古風になり、落ち着いたものになっているように感じた。生島足島神社も地域に根差している神社だが、信濃国分寺は上記のような繋がりで町と調和していたように感じた。2024-01-25
51眞田神社眞田神社東虎口櫓門を抜けると眞田神社がある。案内板によると上田城を築いた真田父子を主神とし、民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とした神社だという。眞田神社には合格祈願に訪れる学生の姿が見られた。日本一の智将といわれた真田幸村は今でも智恵の神様としてあがめられていることがうかがえた。2024-01-25
52信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺本堂は文永12年に起工、万延元年に竣工され、彫刻・絵様は江戸時代末期の特徴が表れている。住宅街の中にあり、訪問した時は人があまりおらず静かな雰囲気だった。思っていたよりも大きく立派で本堂だけでなく周りの石畳や石造からも歴史を感じた。三重塔の前には紅葉が見られ、とても映えていた。上田地域の、雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由のひとつと考えられる。日本遺産のストーリーにある「太陽」というワードに関連する文化財であると考える。2024-01-25
53生島足島神社生島足島神社太古より国土の鎮守と仰がれ、国の中心にある神社。生島大神・足島大神が鎮座されているとされ、神池に囲まれ、台地そのものの土間が御神体となっている。参道は、夏至に東鳥居・東御門から朝日の太陽が昇り、冬至には西鳥居・西御門に夕日の太陽が輝くため、「太陽」と「大地」を結ぶ神社と呼ばれている。 美しい神池に囲まれ、朱色の生える神社だった。長い歴史のある神社だが、それを感じさせないほどきれいであり、長い間丁寧に管理や修繕されてきたことが見受けられた。2024-01-25
54上田城の観光ポイント上田城の観光ポイント上田城といえば大河ドラマ「真田丸」の舞台となったことで有名である。上田城はドラマの影響で観光客が増加し上田に大きな経済効果を及ぼした。ほかにも上田市を舞台とした「サマーウォーズ」では上田城の東虎口櫓門が作中でモデルになっており聖地として親しまれている。また上田城周辺ではマンホールに真田六文銭が描かれていた。上田地域の人々にとって上田城や真田はシンボル的存在になっているのではないかと感じた。2024-01-25
55常楽寺 石造多層塔常楽寺 石造多層塔常楽寺境内北向観音の出現地にある石造多宝塔のすぐ右がわに、総高168cm、五層のよく整った層塔が一基建っています。これが多層塔といわれる石造塔です。 鎌倉時代に建てられたものです。 一時はこの石造塔群がどこかに流出して、一基も無くなってしまいました。しかし、研究家が捜索する中で滋賀県に一基あることを見つけ、上田市に戻ってきました。 説明には「多層塔の各層の笠の反り、軒の厚み、相輪の形、一層から上層へ次第に減らした安定感など、鎌倉時代の特徴をよくそなえたりっぱな多層塔です。」とあります。 実際に見た感想としては、素朴な感じながらも安定したような、重厚感があるなと思いました。2024-01-25
56長福寺長福寺長福寺はその八角のお堂は信州の夢殿と称されている。奈良の法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦なども奈良のものを使用するなど、当時の匠の技術が集結した昭和を代表する建築である。実際に見てみて、これまで見てきたものと比べて、八角形が珍しく、感じた。縁起のあるものとされているのだから、もう少し、存在感を強調したほうがいいと感じた。この時は見ることができなかった、長福寺銅像菩薩立像があるのだが、これは国の重要文化財にもなっていて、飛鳥時代の歴史遺産として、いつかは見てみたいと感じた。2024-01-25
57生島足島神社 西鳥居生島足島神社 西鳥居生島足島神社の西鳥居は、前回投稿した泥宮とのつながりがある。昔は、西鳥居と泥宮が直線でつながっていた。また、太陽は東の鳥居~西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道の先へと沈んでいくのは非常に幻想的である。 この鳥居は日没の光が鳥居を抜けて差し込むように計算されている。大地をご神体とする生島足島神社にこの仕掛けが施されていることは、太陽と大地の聖地であることを象徴しているように思わせる。2024-01-25
58生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 初めて訪れた際に感じたことは、全体が赤で統一された建築に魅了された。赤くそびえたつ鳥居がとても印象的だった。 創建の年代は明らかではないが、平安時代の天皇からの崇敬が厚く、鎌倉時代の北条国時や戦国時代の真田昌幸からも寄進があり社殿を修築するなど古くから日本の歴史に関わってきた神社である。2024-01-25
59上田レイライン 泥宮上田レイライン 泥宮泥宮は字のごとく大地をご神体として、生島樽島神社が建設されたときに、遺霊をここに残したという歴史がある。 かつては生島樽島神社の西鳥居とまっすぐな道でつながっていたといい、ご神体と同じくこの二つの神社は、深いつながりがある。実際に見に行き、感じたことは目の前にため池があり、周りが住宅に囲まれており、地域住民に大切 にされながら今日まで保存されてきたんだと感じた。2024-01-25
60石久摩神社石久摩神社石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。2024-01-25
61常楽寺常楽寺別所温泉・北向観音の本坊。鎌倉時代には天台教学の道場として栄えました。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があります。 階段を上がって最初に目に飛び込んでくるのは茅葺の本堂です。平成15年に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改めました。 堂内には当時そのままの色彩を残す格天井が美しく、ご本尊の妙観察智弥陀如来は、阿弥陀如来には珍しい宝冠を頂く阿弥陀です。 授業の課題で訪れました。2024-01-23
62北向観音堂北向観音堂厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。善光寺と合せてお参りするとさらにご利益があるといわれています。 北向観音は825年(天長2)、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場です。 現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし、本堂に祀っています。 坂道が多いので、足腰が弱い人は訪れづらいなと感じました。2024-01-23
63安楽寺安楽寺境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定されました。中国宋時代の禅宗様(唐様)という建築様式で、一番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたります。当時の国宝、重要文化財など、多くの鎌倉時代の文化遺産を貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっています。 坂道が多かったので、高齢者が訪れるには大変だと感じました。2024-01-23
64生島足島神社生島足島神社生島足島神社の鳥居です。 式年祭として、御柱祭が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 駅から近いため、だれでも訪れやすいと感じました。2024-01-23
65旧上田市立図書館旧上田市立図書館旧上田市立図書館 信州上田学の農民美術の授業でお話しされていた 旧上田市立図書館を見に行ってきました。 初め旧上田市立図書館を見かけた時、教会かなとかんちがいしていました。 洋風な美しい建物だったため、図書館であると気がつきませんでした。 現代には少し珍しい建物で、白い壁に赤色がとても映えていました。2024-01-22
66上田城 二の丸橋 線路上田城 二の丸橋 線路上田城にある二の丸橋の下はかつて線路が通っていたそうです。 電車が通っていれば、上田城の美しい自然の景色を見ることができるためとても楽しそうだと感じました。 ぜひ今でも電車が通っていて欲しかったなと思う限りです。 上田城は春には桜が綺麗なので電車の中から見てみたかったです。 二の丸橋は今でも趣がありました、2024-01-22
67上田天満宮上田天満宮 上田駅近くの高架下にある小さな天満宮。ご本尊は菅原道真の座像で江戸時代中期に作られたとされている。  1894(明治27)年に初代上田駅長の上村条治郎が旧高田藩が歴代所有していた天神様を譲り受け祀った。 1950(昭和25)年に上田駅拡張に伴ってここへ移動させられた。  菅原道真公を祀っているため、合格祈願などのご利益があるが、受験前にも関わらす参拝者は誰もいなかった。穴場スポットのようだ。近くには真田十勇士の筧十蔵のモニュメントがある。2024-01-20
68紺屋町 八幡神社紺屋町 八幡神社 上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。  市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。2024-01-20
69塩田城跡塩田城跡塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。2024-01-11
70塩野神社塩野神社平安期より続く歴史ある神社で、楼閣造りと呼ばれる二階建ての拝殿が、とても非日常感を感じられる歴史的建造物だ。 周辺は深い森に囲まれ、境内へと入ると、一層神秘的な空間が広がっている。2024-01-11
71生島足島神社生島足島神社太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりに祀られる大八洲(日本列島)の神、 ”生島大神”と”足島大神”が鎮座している。 歴代の上田城主の北条氏、武田氏、真田氏などからも厚く崇敬されたという。 夏至には東鳥居から朝日が昇り、冬至には西鳥居に夕日が沈む神秘的なスポットでもある。 朱色の立派な建造物(本殿は県宝に指定されている)が印象的だ。 神社とは少し離れた位置にある大鳥居は来訪者の目印となっている。 境内はそこまで広くないので回りやすい。 七五三や神前挙式などに選ばれる神社なので、タイミングが合うとより幸福感を 味わうことのできる場所である。 大地と太陽を結ぶと言われる所以を是非体感しに訪れてみてほしい。2024-01-02
72上田城跡上田城跡真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。2023-12-26
73上田大神宮上田大神宮 1870(明治3)年、明治天皇は神道を全国に広める旨の詔を発布した。それにより伊勢皇大神宮では、神宮教院を設置し全国を31の教区に分類した。その第十九教区として上田の地に本部を設け、教活動とお神札の頒布の拠点としたのが上田大神宮の起源だ。  1889(明治24)年、現大神宮が完工、伊勢神宮より大宮司を迎え、鎮祭式典を行った。  また、境内には猿田彦神社、上田西宮恵比寿神社、三峰神社が内包されている。  神妙づくりの建築様式を採用しているが、現在は元の大きさから3分の一に縮尺されている。2023-12-22
74保明水保明水 保命水と呼ばれるこの井戸は1881(明治14)年に海禅寺の湧き水を地下の木簡で柳町に引いたものである。当時の生活用水、非常用水として利用された。  1922(大正12)年には上田市に上水道が開設されたが、市内には良質な飲料水が少なかったため、町民の負担で修理改修を行い管理されてきた。  それから約30年後の1949(昭和24)年、上田市で全域で断水してしまう事故があった。その際には前肢の水源として活躍した。  現在は生活用水としては利用されず、井戸のみが形として残っている。  信州の水50選にも選ばれるほど水質がきれいで、運が良ければカニがみられるかもしれない。2023-12-21
75水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
76超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
77泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
78生島足島神社生島足島神社2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。2023-12-21
79生島足島神社生島足島神社生島足島神社は、生島大神と足島大神を祭っている神社である。御神体は「大地」であり、日本の真ん中に位置している神とされている。中世以降は、武田信玄や真田氏など歴代の上田藩主に守られたとされている。2023-12-19
80生島足島神社生島足島神社平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世末期以降には「下之郷大名神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けていたという歴史がある。2023-12-07
81夜の上田城跡公園夜の上田城跡公園ここは上田城の門をくぐった先にある絵馬のアーチです。夜になるとライトアップされてとても綺麗なのでぜひ行ってみてください。2023-12-07
82上田の文化財 前山寺上田の文化財 前山寺前山寺は独鈷山の山麓に位置しており、塩田平が望める寺である。812年に空海によって開かれたという歴史を持つ。境内には国の重要文化財に指定されている三重塔や天皇陛下の当寺参拝に合わせて作られた長い石段があり、非常に見どころがあった。石段にそっておかれている石碑には心にしみる格言が書かれていた。山麓にあるため寺にたどり着くまで険しい道が続くが、境内に休憩所や売店があるため疲れを癒せる。2023-12-05
83男池男池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。  男池が作られた背景を知る2023-11-30
84上田のシンボル 上田城上田のシンボル 上田城上田城は真田昌幸が1583年に築城を開始した城である。関ヶ原の戦いで、真田昌幸が敗れたことにより天守は解体されたが、石垣や櫓は今でも現存している。また、明治時代初頭には陸軍の分営が置かれたが、その後払い下げられた。何度も戦いの拠点となり、時代によって様々な利用をしてきた上田城だが、現在では観光地と上田の歴史資料として利用されている。春の桜は見どころで、満開の季節には全国から多くの観光客が訪れる。2023-11-30
85上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡かつて上田市から真田地域、菅平高原方面に繋がっていた真田傍陽線(さなだそえひせん)は、上田城のすぐ横を走っていたとされる。今では、上田城のケヤキ並木遊歩道となっている。他にも、街中には路線の跡が残っており、昔の菅平高原開発の名残が見て取れる。2023-11-30
86上田市の玄関口 上田駅上田市の玄関口 上田駅上田鉄道別所線、しなの鉄道、JR北陸新幹線が乗り入れる上田駅は、まさに全国からの観光客を迎える玄関口と言えるだろう。昔は、丸子地域や真田地域へ向かう鉄道もあったようだが、今では3路線だけとなっている。時代とともに移動手段が変化しているが、これからも上田市の玄関口として、そして上田の住民を支える足として今後も活躍するだろう。2023-11-30
87上田城跡公園上田城跡公園夜の上田城跡公園。上田城跡公園は真田氏の居城、上田城跡を中心とした公園で、休日は多くの人々が訪れる。夜はライトアップされており、日中とは違った魅力を感じられた。2023-11-30
88ここが日本の中心!? 生島足島神社ここが日本の中心!? 生島足島神社上田を代表する神社の生島足島神社は、生島大神と足島大神を祀る神社である。周りを水に囲まれた神社の本殿は、独特の神聖さを感じることができる。昔の地図を見ても周りは水と木に囲まれ、神社の姿は変わらない。変わった点を挙げるとするならば駐車場ができた点で、昔と今では足を運ぶ手段が変化していることが分かった。2023-11-30
89北向観音堂北向観音堂北向観音堂は825年に開創された霊場である。本堂が北に向いていることが大きな特徴であり、これと向かい合っている善光寺と両方をお詣りすることが良いとされている。地域の人々に愛されている場所だと感じた。2023-11-30
90歴史を感じる別所の湯 石湯歴史を感じる別所の湯 石湯別所温泉は古くから温泉街として栄えた町で、その名残を残す建物が多くある。温泉は貴重な資源で、一家に一つお風呂が引けない時代には、外湯という共同浴場が住民の憩いの場となった。別所温泉には外湯が三か所あり、その中の一つが石湯である。国土地理院の地図などを調べると、昔からその場所に石湯が存在していることが分かる。昔からの風情を残す別所温泉にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。2023-11-30
91北向観音堂北向観音堂別所温泉にある観音堂。名前の通り、本堂は北向きに面していて、全国的にも珍しいそうである。この本堂に安置している本尊は、千手観音菩薩であり、南向きに面している善光寺阿弥陀如来に相対している。そのことから、善光寺だけでは片参りなると伝えられており、また古くから厄除観音として知られているそうだ。付近には他の文化財もあって、上田の歴史を感じることのできる場所になっている。別所地域を見渡せるところに立地しているので、温泉巡りのついでに立ち寄って、景色を堪能してはどうだろうか。2023-11-30
92生島足島神社 諏訪神社生島足島神社 諏訪神社諏訪神を祭神としている。上田藩主真田信之が建てたことがわかっている。社殿の軸部は朱漆塗、羽目板や軒裏板は胡粉塗彫刻は極彩色とするなど全体に彩色を施してある。これは塗り直しによって塗られたものだが当初から同じように塗装されていたと考えられる。 生島足島神社の少し奥まった場所にあるためはじめは気づかないこともあるかもしれないが美しい朱色でありとても美しい建物であるため是非訪れてほしい場所である。2023-11-29
93北向観世音道(別所街道)北向観世音道(別所街道)塩田平保野辺りをはしる別所街道を一本南にずれると、そこには旧別所街道が通っている。この石碑が置かれている場所は(昔の)別所街道と善光寺街道が交差した地点で、市が立ち並び賑わったようだ。 あの武田信玄がこの地を治めた時代があったようで、信玄は保野の3集落をこの道沿いに集め、宿場風の街にしたと伝えられているそうだ。 上田築城以降は上田城下から別所温泉までの重要な交通路となり、湯治・観音様詣、そして集落に繋がる生活道路として使われたようだ。 保野、そして別所街道に、中世から続くこのような歴史が存在したことを知らなかった。たくさんの人がこの道を往来していたこと、そして今も大事に使われていることを感じながら、実際にこの道を通って、別所温泉を訪れるのもよいだろう。2023-11-28
94泥宮泥宮日本遺産の泥宮。 周りには人気がなく、交通量の多い道路も少ないため、静かに楽しめます。 山々が360度見渡せるため、とても景色が良く、穴場スポットです。 別所線に乗っていける距離であるため、観光客も楽しめます。 上田市には多くのため池があります。2023-11-27
95上田駅上田駅上田駅 真田の紋章が大きくあしらわれた 特徴的な駅の見た目は 初めてみた時はとても驚きました。 新幹線も通っているのでアクセスがよくとてまありがたいです。 これからもたくさん利用していきたいです。2023-11-27
96上田市 海野町商店街上田市 海野町商店街海野町商店街を散策しました。 たくさんのお店が賑わっており、また何度でも訪れてみたいと感じさせられました。 柳町も訪れました。 柳が特徴的で美しかったです。2023-11-27
97別所温泉別所温泉初めて別所温泉を訪れました。 5つほど温泉施設があるらしいのですが、 私は大きな綺麗な温泉に入ってきました。 とてもリラックスできました。 温泉街は高台にあったため、上田の街をみわたすことができました。 また訪れたいです。2023-11-27
98上田城の紅葉上田城の紅葉上田城に紅葉を見に行きました。 黄色や赤、緑、茶色など色とりどりの植物を見ることができました。 とても美しい風景を見ることができて、心が浄化された気がします。 秋を楽しみことができました。 見に行けてよかったです。2023-11-27
99サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田駅の近くにあります。 ここサントミューゼでは、イベントが多く行われており、今年、長野大学の入学式も行われました。 また、サントミューゼという名前は、かつて蚕糸業の中心であったという「蚕都(さんと)上田」からきています。 サントミューゼを訪れると、蚕都上田を肌で感じることができます。2023-11-19
1002023/11/04開催「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」2023/11/04開催「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」に参加しました。丸山平八郎家を始めとした上田の歴史的景観を持った民家をいくつか訪れることが出来た他、その様子を撮影することが出来、改めて上田の街に対する観念が変わりました。こうした出来事は他の地域でも良く起こるのですが、それだけ地域の歴史が周知されていないという意味でもあり、こうした魅力をどう面白く発信できるかを考える必要性を認識させられました。2023-11-19
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