お菓子の歴史(洋菓子輸入時代)

お菓子の歴史(洋菓子輸入時代)

明治頃に、文明開化が始まり、外国の文化が日本に取り入れられ生活が変化していったが、それは菓子も含まれる。明治10年に洋菓子の輸入が5千円であったが、20年には1万円、30年には2万5千円で、38年には一躍して23万5千円とまで上昇し、短期間で需要がかなり増えた。洋菓子製法技術や洋風食材が導入され、相手先もオランダ、ポルトガルから、イギリス、フランス、アメリカに変化した。
ビスケット、キャンディ、チョコレート、キャラメル、クッキーなどが輸入され、日本での消費が増えると国内生産の方が儲かると考える人が出てきて、製造が始まった。日本で最初に作られた洋菓子は明治8年のビスケットで、東京京橋の風月堂が始めた。明治中期になると森永太一郎が森永製菓会社を作り、ビスケットやドロップス、キャラメルなどの洋菓子生産、大量生産を行った。東京菓子(現在の明治製菓)はキャラメル、ビスケットの生産を行い、大正15年にはミルクチョコレートが販売された。大正11年に江崎商店(現在の江崎グリコ)は牡蠣の煮汁からとれるグリコーゲンを配合したグリコが販売され、この後も互いに製品の品質や価格の競争で日本のお菓子メーカーの技術は向上していった。
喫茶店「カフェー」が出てきてから、コーヒーを飲みながら洋菓子を食べるようになり、パイ、ケーキ、シュークリームなどが作られるようになり、洋菓子専門会社が作られるようになった。
洋菓子の国内大量生産は和菓子界にも大きく影響を与え、洋菓子を非難する声もあったが、洋菓子の良い所を取り入れようと努めた。大正の終わりごろから昭和の初めにかけて、和洋両菓子の並立時代であり、菓子店には上菓子店、西洋菓子店、麺麭店、蒸菓子店、餅店、せんべい点、駄菓子店など、多種の菓子が販売された。
洋菓子の輸入が与えた大きい効果は、製菓原料の科学的統一、衛生思想の発展の二つであり、現代まで菓子は進化し続けた。


守安正 著『お菓子の歴史』,白水社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2507981 (参照 2023-01-28)

登録日:2023-01-29 投稿者:宮下
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