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1別所線鉄橋2006/03/19別所線鉄橋2006/03/192006/03/19の記録。 別所線鉄橋のありし日の姿です。当時さりげなく撮った地域の風景でしたが、後からふり返ると今とは違っています。 赤い鉄橋であることが別所線鉄橋のシンボル。この当時は塗り替えられる前でペンキが薄紅色に色褪せていました。さらに2019/10/12、この鉄橋は台風19号の豪雨で一部が崩落しました。崩落以前の「当たり前」に存在していた時の橋の姿です。2024-03-16
2別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05NHK大河ドラマで『真田丸』が放送されたのは2016年1月~12月のこと。当時、上田市内には『真田丸』の広報媒体が多数ありました。別所線のラッピング車両もその一つ。2017/01/05の時点ではまだ『真田丸』ラッピング車両が走っていました。2024-01-02
3長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学の前にセブンイレブンがありました。 <写真・上から順に> ①2005/04/27の記録 ②2005/05/18の記録 ③2005/12/15の記録 ④2006/03/29の記録 たまたま私のデジカメ画像に記録されていたものです。大学からは地の利がよく大変重宝しましたが、閉店となってから久しくなります。現在はカーショップに代わっています。 別所線大学前駅周辺、長野大学周辺にはコンビニが数店あり、栄枯盛衰を繰り返しています。セブンイレブン、ファミマ、ローソンなどコンビニ業界の競合も激しいことに加え、大学は夏休み、春休みなどの期間が長く、コンビニを営業するには売り上げが少ない期間が長く続くことも大学前立地のハンディになったのではないでしょうか。 私が当時書いた記事があるのでご紹介します。 ★2023-12-24
4丸窓電車丸窓電車昭和61年まで別所線を走っていた上田電鉄の車両「モハ5250」が別所温泉駅に展示されていました。 「丸窓電車」はかわいらしい丸窓から付けられた愛称です。 愛称があったということは今と同様、別所線は地域住民に愛されていたのでしょうね。2023-11-10
5別所温泉駅別所温泉駅上田電鉄別所線の別所温泉側の終点に当たる別所温泉駅は大正10年に「別所駅」として作られた長い歴史を持つ駅。大正13年に「信濃別所駅」と改称され、現在の駅名になったのは昭和5年だそうです。 西洋風のレトロな見た目ですが、不思議と和風建築が並ぶ別所温泉に調和してるように感じました。 長い歴史を持つため、時間をかけて地域文化の中に溶け込んでいったのでしょう。2023-11-10
62019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森2019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森台風19号の大きな衝撃の一つは別所線の鉄橋の崩落です。2019/10/13、全国にも大きく報道されました。鉄橋は崩落したものの堤防は間一髪のところで崩壊を免れています。もしこれが崩落したら広大な川沿いの住宅地が浸水被害になるところでした。この画像はそれから数日後10/19の記録です。 ここで注目いただきたいことは河川敷にあった樹木の森が全く消滅していることです。数多くあった大きな樹木が根こそぎ流され、堤防や鉄橋に激しく衝突した結果、堤防と鉄橋の崩落をもたらしたのではないかと推察します(誰も崩落の要因を語る人はいませんが)。2023-10-16
72005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。2023-10-14
8電車が通る赤い鉄橋電車が通る赤い鉄橋別所線の千曲川橋梁を電車が通過していきました。信号待ちでこのような情景に出会えるとはラッキーです。 2019年、台風でこの鉄橋が崩落した時、長野大生らによる「別所線かけはしプロジェクト」に、歌手のユーミンこと松任谷由実さんが「あの赤い鉄橋に再び電車の走る姿が見たい」とのメッセージを残されたことが後日話題になりました。その時の情景を思い起こします。2023-03-11
91970年の上田駅1970年の上田駅上田駅の開業は別所線開業の更に昔 1888年である。 添付画像は1970年頃の上田駅の様子だ。 (地方私鉄1960年代の回想より引用  https://umemado.blogspot.com/2019/06/blog-post_28.html ) 現在の上田駅とは駅舎の雰囲気含め、大きく違う事が窺えるだろう。 次の記事では更に過去に遡り、1950年代の上田駅を見ていこうと思う。2023-02-01
10別所線開通別所線開通私達が普段使う別所線 かつて上田盆地には全長57.2kmもの鉄道が張り巡らされており、別所線以外にも営業が行われていた。 現在上田盆地を走る鉄道は、1921年に開通した別所線11.6kmを残すのみである。 別所温泉駅は1921年に温泉客の交通手段として開通 当初は川西線としての開通であった。 その後1924年に川西線から別所線に改名されている。2023-02-01
11別所線開通別所線開通令和3年3月28日上田~城下間が開通し別所線全線開通しました。上田~城下間は台風19号により橋が落ちていた。そのため約1年半の間代行バスによって運行していた。2021-05-26
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