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1塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと2024-02-19
2旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/17旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/172005/05/17の記録。 旧国立長野病院が上田市にあったことが人々の記憶からも遠ざかっています。長野病院が2011年、旧国立東信病院を統合し「信州上田医療センター」に改称しました。現在の施設自体は2005年当時と殆ど変わりませんが、名称が変わりました。病院名がシンプルで一度聴いたら忘れません。「信州上田~」は少し長く覚えにくいのは否めません。建物に記された「長野病院」のシンプルな病院名をご確認ください。 参考資料:信州上田医療センター https://shinshuueda.hosp.go.jp/  Wikipedia/国立病院機構信州上田医療センター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC2024-02-15
3安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔は、全国で唯一の八角形の塔で、国宝に指定されています。建築様式は禅宗様で、鎌倉時代に仏教が入ってきた時期を示しています。このような八角の塔は中国では一般に見られるものということから、信州上田の地では、外国の文化を積極的に取り入れ異文化交流を行っていたのかと想像しました。また、禅寺である安楽寺は本当なら本尊は釈迦如来ですが、この塔の内部には大日如来が安置されています。このことから、やはり降水量が少なく日射量が多い上田という地で、幅広い人たちから大日如来は信仰を集めたのかと感じました。2024-01-26
4「信州学サミット2017」プレイバック「信州学サミット2017」プレイバック長野県内の県立高校で実施された地域学「信州学」のお披露目の場として「信州学サミット」が2017年10月21日、長野駅コンコースを会場に開催されました。 初めての信州学サミットに各学校から意欲的な発表と展示がなされました。次の記事は信州学サミットの様子を具体的に伝えていてふり返りの参考になります。 ▼信州学サミット~信州・学びの旅に出ように参加しました 2017年10月21日 https://manabitojichinohiroba.hatenablog.com/entry/2018/12/12/143956 私が学習支援をしていた蓼科高校の「蓼科学」の成果もパネル発表の形で展示に供されました。商業高校など地域の商品開発に取り組んでいる高校は実践がまさに地域学のねらいに合致して成果をPRしている一方、全体としてはいまひとつ活気が2023-10-10
5常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで昭和40年 1   新年の賀詞交換を行う。(以後毎年実施している。) 3   太郎山に山火事が発生して4時間余り燃え続け自治会館が消防詰所となり、炊き出しをする。 8   台風のため町内にも被害が発生する。 昭和41年 3   町内道路舗装促進の陳情書を市に提出する。 3   郵便ポスト設置実現の陳情書を上田郵便局へ提出する。 6   急行バスの生塚停車実現の陳情書を川中島バス会社へ提出する。 12  社会部と西小PTA支部共催で「ママポリスさんと語る夕べ」が開かれる。 12  道路簡易舗装第1期工事180mが団地入り口から始まる。 昭和42年 2   山火事が発生し、3時間余り燃え続ける。 3   町内下水路改装(100万円)がしゅん工する。 4   米寿会(初期は老人クラブと称した)2023-08-09
6黄砂の風景黄砂の風景信州上田の早春の風景。3/18の午後、遠くがかすんでいます。黄砂の影響です。2023-03-11
7真田村③ 長村真田村③ 長村明治前期。 小名真田といった小名というものがよく見られる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080180 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
8真田村② 傍陽村真田村② 傍陽村ここで「字」と書かれた記号が現れる。おそらくその領土主の苗字だと考える。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080200 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
9真田村① 本原村真田村① 本原村真田村に関しても1958年10月1日に長村、傍陽村、本原村が合併しているため三つの地域を調査する。 明治18年。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080170 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
10武石村② 下武石村武石村② 下武石村山脈まで細かく有地別に記録されていることが分かる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080410 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
11武石村① 上武石村武石村① 上武石村明治前期。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080420 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
12丸子町③ 上丸子町丸子町③ 上丸子町明治前期。下部分の色で分けられた部分は何なのだろうか。細かく何かが明記されている。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080380 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
13丸子町② 中丸子町丸子町② 中丸子町明治前期。江戸時代の名残?細かく区分分けされているのが分かる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080390 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
14丸子町① 下丸子町丸子町① 下丸子町明治前期の下丸子町。現代の下丸子の姿に近い。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080400 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
15上田町上田町上田町の明治時代前期の姿である。寺や神社が多いことが分かる。現在の上田町と比べても全く同じ名前の寺や神社が残っておりその中には江戸時代から姿を変えず残っているものもある。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080250 (信州デジタルコモンズ)2023-01-27
16上田市の自然文化について上田市の自然文化について別所温泉は、信州最古の歴史を持つ七久里の湯と呼ばれる温泉を持ち、平安時代の有名な和歌集にも記されている。安息の場として栄えた別所温泉は、かつて真田幸村の隠し湯があったとも言われていて、1500年以上の歴史を持っているとされている。 また別所を含む塩田平は、信州の鎌倉とも呼ばれ、温泉に限らず多くの文化財が残されている。 「幕宮池」と呼ばれる池は、日本で最も降雨量が少ないとされる位置にあり、多くのため池が作られた場所である。 〈参考資料〉 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/others/01DD001H230003 https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh0555002023-01-26
17まとめまとめ今回私は災害というテーマでキュレーションしてみましたが、この長野県だけで一般的な災害はほぼ全て起きていることが分かりました。そして、昔からのこうした経験により今の川の工事や耐震工事などのできるだけ被害を出さない工夫に繋がっていると思うとやはり昔の記録を知るというのは重要な側面があると私は改めて思うことが出来ました。今回の記録は信州デジタルコモンズを使用させていただきましたが、本当に多くの資料があり、災害というテーマだけでまだ今回紹介しきれない記録書がたくさんありました。現代までその記録書を残してくれた人々にここで感謝をしたいと思います。 善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210007002023-01-18
18洪水対策(2)洪水対策(2)明治1911年になると本格的な洪水対策に入っていくことになる。方法として砂防工事が採用され、これで少しでも洪水の発生を抑えようと工夫しました。 利根川信濃川澱川木曽川山地砂防工事歴(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01021628232023-01-18
19火の用心の徹底火の用心の徹底災害に関するものとして火災というものもある。これは人のミスによることが原因で起きるものであり、人々の意識が対策として重要になってくる。ここでは1780年にしていた夜警による火の用心の厳重の徹底についての記録を紹介する。 (夜警達)(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD50205000002023-01-18
20幕府からの復興指示幕府からの復興指示これは1861年に幕府から指示された命令についての記録書である。その中に江戸大火や江戸城の火災の復興指示に関するものもあったのでここで紹介します。 秘鑑松用備忘録 全(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041319582023-01-18
21建物復興建物復興災害の復興として人だけでなく、そこ人たちが住む建物の復興も大事になってきます。その中でも長野県内での歴史的価値が高い善光寺の復興記録があったので紹介します。 善光寺霊応記(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041303072023-01-18
22災害給付金災害給付金また被害の復興において国からの支援も欠かすことはできません。それなしでは、被害に遭った箇所の住民にかなりの負担がかかってしまうからです。この給付金ですが1852年には既に概念が生まれています。その証拠に写真の記録書に給付金の明細が記録されていました。 御救金明細(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD50801300002023-01-18
23洪水量水計測洪水量水計測明治27年になると洪水が起きた際、どれくらいの水が上昇してくるのかを実際の上り幅を計測してまで具合的に計測しました。その記録個所の目印がこの写真のものです。 千曲川筋下高井郡立ケ花村洪水量水表建設箇所実測図(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03PLNS000690002023-01-18
24洪水対策(1)洪水対策(1)明治15年になるとどこで洪水が起きるのか、実際に起きた際の被害について調べられた。こういった取り組みは、洪水被害を食い止める第一歩だといえる。 洪水調(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06221018002023-01-18
25洪水の記録洪水の記録災害といえば、洪水も置いておけないものである。洪水は、地震の土砂崩れの影響でも起きるが、本来台風や大雨など比較的起こりやすい自然状況で発生するので災害頻度的にはかなり危険な部類の災害となる。写真の歴史書ではその被害についての苦しさについて書かれている。 松代町地誌略(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041319332023-01-18
26浅間山噴火と江戸幕府浅間山噴火と江戸幕府浅間山噴火の際、奉行所などの幕府側も大いに焦り、なんとか被害を最小限にしようと動いていた痕跡があります。それがこの写真の届書などです。 御觸並廻状類[写](信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD50202902002023-01-18
27浅間山噴火の被害の歴史浅間山噴火の被害の歴史浅間山が噴火したのは1909年だけではありません。江戸時代、1783年にも噴火しており、2000人の被害と飢饉を招き、さらに多くの死者を出すこととなりました。 浅間山焼候節書附(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041681332023-01-18
28浅間山噴火の記録浅間山噴火の記録長野県の災害は地震だけでなく火山の噴火被害も大きな災害といえます。実際に1909年には浅間山が噴火し大きな被害をもたらしました。写真はその記録書になります。 浅間山噴火記録及焼岳踏査報告書(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01019151712023-01-18
29地震を元にした民謡本地震を元にした民謡本これは逆に地震の被害を文字で伝えるのではなく、歌や音楽にして伝えようと作られ、編纂された少し変わった民謡本です。このようなものが作られていることから当時の民衆にとっても忘れるに忘れることができない地震であったことが推察できます。 志ん板地震くどきぶし 上・下(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041679942023-01-18
30凄惨な記録書(2)凄惨な記録書(2)これも当時の被害状況やどういった死因が多かったなどの具体的なことが書かれた記録書になります。 新板地震口説(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041681092023-01-18
31凄惨な記録書(1)凄惨な記録書(1)これは、同じく善光寺大地震の記録ですが、より村人視点、つまり被害者目線に感情移入できるように書かれている記録書になります。 震洪鑑(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041678872023-01-18
32水害・火災についての地図水害・火災についての地図これは、先ほどの洪水被害と同時に起きましたが、別の地域の被害情報です。火災についての被害も書かれています。 善光寺大地震火災水難地方図 木版2枚(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210010002023-01-18
33山崩れが引き起こす洪水山崩れが引き起こす洪水これは、山崩れが起きたことで川が塞き止められ洪水を引き起こし、村などを飲み込んだ時の絵です。おおよその死者は270人にものぼると記録にあります。 信濃国大地震犀川出水絵図(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02MP01041725642023-01-18
34地震で引き起こされた二次被害地震で引き起こされた二次被害これは、善光寺大地震の際地震の影響で山崩れまでもが連続して起きてしまった記録です。 善光寺大地震岩倉山崩れの図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210009002023-01-18
351847年代の地震が起きた場所の記録書1847年代の地震が起きた場所の記録書これは1847年に制作された記録書であり、善光寺大地震の記録などの地震についての長野県の被害や情報を確認することができます。 地震場所書上(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041679372023-01-18
36善光寺大地震災害(地方図)善光寺大地震災害(地方図)過去には善光寺に大地震が到来したことがあります。この写真はその時の善光寺大地震のことを地図に表したものです。 善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210007002023-01-18
37上田探検 まちなか 信州アップルパイ研究所上田探検 まちなか 信州アップルパイ研究所ここは信州アップルパイ研究所という店であり、信州上田のりんごのおいしさを広めるために活動しているアップルパイの研究所です。2022-10-31
38はじめましてはじめましてはじめまして。信州上田学の講義の一環で投稿していきたいです。 最初の投稿は、最近写真を撮りに行った、新潟県新潟市の沼垂地域の写真です。2022-10-13
39真田丸編真田丸編真田ゆかりの地である上田城や、上田市観光会館に訪れました。上田城には、かつて信州上田真田丸大河ドラマ館がありました。信州上田真田丸大河ドラマ館は、2016年1月17日~2017年1月15日まで営業していたテーマパークです。当時は真田丸のファンが大勢上田城に訪れ、渋滞が起きていました。地元民としては、地元に訪れてくれる人が増え、誇らしく思っていました。しかし、上田城にあったプールが取り壊され、大河ドラマ館の駐車場になってしまったのは残念でした。惜しむ声が上がっていたのを覚えています。 ロケツーリズムのために、その地域の人の交流の場がなくなってしまったり、そこで暮らしている人の生活が変わってしまう恐れがある点が、ロケツーリズムのデメリットだと思いました。 また、大河ドラマ館は2017年に閉館しており、長2022-08-10
40ガソリンの価格差:信州と茨城ガソリンの価格差:信州と茨城▲上:長野県上田市 ▲下:茨城県かすみがうら市 7/22、茨城に行った際の記録。 長野県上田市のGSではレギュラー175円、ハイオク186円。 茨城県かすみがうら市のGSではレギュラー161円、ハイオク172円。レギュラー、ハイオクとも茨城の方が14円も安い。 長野県内でのガソリン価格が高いのは内陸故のハンディか、特にガソリンの価格差は常に大きいと感じます。2022-07-24
41みすず飴食べ比べみすず飴食べ比べみすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店で購入したみすず飴、みすずあられ、生みすず飴を食べ比べてみました。 お馴染みのみすず飴は、ねちねちとした食感のゼリーと、ぺりぺりしたオブラートの食感が特徴的なゼリー菓子です。果物の甘さが強く、噛んでいくとジャムを食べているような濃厚さがありました。 みすずあられは、みすず飴の半分ほどの大きさで、オブラートが粉状になっているゼリー菓子です。みすず飴よりも食感が柔らかく、あっさりしているため、軽い食べ心地でした。 生みすず飴は、フルーツのフレッシュ感が強く、 表面はツルツルしていました。通常のみすず飴と比べてプルプルしており、果物を食べているようでした。 3つのみすず飴を食べ比べてみて、私が一番好きだと思ったのはみすずあられです。みなさんもみすず飴を食べ2022-05-10
42鬼女紅葉伝説鬼女紅葉伝説この伝説は諸説あるが、その中の一説を紹介する。 会津の子供に恵まれなかった夫婦が子どもを授かった。幼名を呉葉(くれは)といった。京にのぼり源経基(みなもとのつねもと)公に仕えたが、美貌と 才気が公の心をとらえ寵愛を受けるようになり懐妊した。紅葉は公の愛を独占するに御台が邪魔になると、魔性を現わし、御台を殺そうとした。そのことが発覚して、信州に流され、戸隠山麓の荒倉山に棲むようになった。信州では京を恋う毎日だったが、或る朝、顔を洗おうとしてふと水面を見ると角が生えた鬼の形相に映った。そこで紅葉は、心を鬼にし、武力を貯え都に力づくで押しのぼろうと決意、盗賊の頭となり、悪事を働いた。あたりの人々を悩ませる鬼女紅葉のことは京にも伝えられ天朝に達し平惟茂(たいらのこれもち)が勅命を受けて紅葉2021-12-21
43別所温泉別所温泉温泉地では日本で3番目の歴史を持つと言われている信州最古の温泉。日本武尊が東征の際に出会った老人から「この山中に七つの湯が沸き出て、人々の7つの苦を助ける」と教えられ、7つの湯が見つかった。そこで東征の兵士たちが、この湯につかって疲れを癒やすことができたことから「七苦離の湯」、その後この湯が永く栄えるようにと「七久里の湯」と呼ばれるようになったとされている。2021-12-21
44醋屋本チラシ醋屋本チラシこの写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵しているチラシである。 明治23年11月信州上田海野町のチラシで、醋屋呉服店の広告が掲載されているほか、干支や節分・お彼岸などの行事が書かれている。 現在とは全く異なったチラシに価値を感じる。2021-07-04
45別所線開通別所線開通令和3年3月28日上田~城下間が開通し別所線全線開通しました。上田~城下間は台風19号により橋が落ちていた。そのため約1年半の間代行バスによって運行していた。2021-05-26
46ダム湖ダム湖長野県東御市和にある金原ダムです。とても標高が高く景色もきれいでした。2021-05-25
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