外地との行き来

外地との行き来

志津衛の三男、祖父の俊三は大柄で、運動神経抜群。
京城中学校が甲子園に出場した時、ホームランも打っています。
外地の学校も、船で日本に遠征していた時の写真です。
甲子園での第12〜14回に出場し、成績も残っています。
12回大会は大正15年(1926年)なので、志津衛殉職の後7年後のこと。写真には手書きで、1927年とありますので、13回大会の時のものと思われます。
大正天皇は12月25日崩御なので、この年はすでに昭和2年の和暦となっています。
日本と京城間は、頻繁だったことに驚きます。

登録日:2022-02-24 投稿者:スピカ85
ハッシュタグ
(キーワード)
    ライセンスこのライセンスは原作についてあなたに対するクレジットの表示を行う限り、あなたの作品をリミックスし、改変し、あなたの作品を使って新しい作品を作ることを許すものです。これはもっとも懐の広いライセンスです。ライセンスされた資料の流通・利用の最大化のためにお勧めしています。 表示(BY)
    投稿者スピカ85
    管理番号16
    カテゴリ名人物伝
    トップにもどる
    地図で見る
    情報を探す
    キーワード
      同じキーワードを持つ記事