曾祖父との関係

曾祖父との関係

人物伝にあるように、鈴木志津衛には4男2女の子供がいました。私は三男の俊三の孫にあたります。祖父が生まれた後、上田から京城(現ソウル)に渡り、日本人学校の
校長を務めていました。大正7年12月の学校火災で、殉職しますが、その後も家族は、京城に暮らしていたようです。1937年生まれの父、敬之(ひろゆき)が小学校1年の時、終戦で日本に引き揚げるまでです。
聞いた話だと、京城から釜山経由で、山口県仙崎へ戻ってきたようです。その後、祖母の実家に縁のある岐阜などで過ごした後、銀行に勤めていた祖父の関係で大阪に暮らすことになりました。

写真は、子どもたちの写真です。
陽一さん・はるさん・忠雄さん・愛さん・俊三(祖父)
俊三の出生地は明治四十四年小県郡上田町二千百九十九番地となっています。

登録日:2022-02-21 投稿者:スピカ85
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