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1別所温泉でのイベントと交通別所温泉でのイベントと交通 別所温泉で、「上田氷灯ろう夢まつり」が開催された。開催期間中、特定の時間にticketQRで別所線に乗車して別所温泉駅まで乗車すると運賃が無料になる施策が行われた。しかし、当日は善光寺でも氷灯ろう祭りが行われていたこともあり、別所温泉では観光客の姿は見られたものの善光寺ほどではなかった。鉄道の運賃が無料になっても、不随するイベントの効果が薄いと効果も弱まってしまうことがわかった。これは公共交通だけの問題だけでなく、祭りの運営の匙加減になってくる。他のうえだわっしょい祭りや花火大会では、満員電車になっていたので、ポテンシャルはあると思う。  前述の通り、別所温泉では駅から温泉街(ここでは祭りの会場)まで延々上り坂で、シェアサイクルが電動アシスト自転車であることを加味しても漕ぐのは大変な坂2024-02-13
2【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、そんな上田市の銭湯の分布を、2つの大正期の地図から探っていきましょう。 (画像は最盛期の銭湯をGISアプリで国土地理院の地理院地図にプロットしたもの) 2024-02-12
3丸子の蚕業を支えた鉄道丸子の蚕業を支えた鉄道かつて上田小県では蚕業が盛んだったことは有名です。現在は廃線のため存在しませんが、当時それを支えた鉄道路線がありました。丸子では製糸業者によって丸子鉄道という会社が設立され、丸子線が建設されました。この路線は旅客だけでなく、丸子で生産された生糸などを東京に輸送する役割がありました。しかしモータリゼーションによって衰退し、廃線になりました。写真は丸子駅跡地とその名残です。2024-02-10
4傍陽駅傍陽駅傍陽駅は傍陽線の終着駅でした。こちらも真田駅のように野菜を大都市に輸送するための拠点でした。現在駅跡には当時からある農協の倉庫のみが残されています。2024-02-10
5真田駅真田駅真田駅は真田線の終着駅でした。この駅では菅平高原で栽培されたキャベツやレタスなどの高原野菜を貨車に積んで上田駅を経由して東京、大阪などに輸送されていました。 現在はバスの停留所、転回場に転用されています。2024-02-10
6北本原駅と駅前食堂北本原駅と駅前食堂北本原駅は真田線の駅です。この駅では野菜など貨物の取り扱いが行われていたそうです。駅の跡地前には駅前食堂という食堂があり、廃線となってから50年以上たった現在でも地元住民に愛されている。20年近く真田に住んでいる私ですが、ここのもつ煮は食べないと損です。2024-02-10
7下之郷下之郷上田市の塩田地区に属する。 産川支流の尾根川が形成する扇状地の扇端部にあたる。生島足島神社横の十字路を中心に形成された塊村で、格子状の道路網を骨格として形成された交通の要地である。 天文22年(1553年)武田信玄が生島足島神社に下した安堵状に「下之郷上下社」とあるもので、上本郷(現・本郷)に相対する地名と考えられている。 駅から徒歩ですぐのところに生島足島神社があるため、観光に訪れる際には別所線がとても便利だと感じた。駅の待合室の外観も神社に似た赤と白が基調となっていて、駅に着いた時点から神社の雰囲気を人々に感じさせるという工夫がなされているのではないかと考えた。2024-01-29
8My trip memoriesMy trip memories1人で別所線に乗って別所温泉に行ってきた! 北向観音や常楽寺にゆったり行くことができてよかった! 今年3回目の訪問であったけれど、四季の移り変わりが目で確認できるため有意義な時間になったと思う。 今度家族を観光案内できたらいいなと感じた。 写真は常楽寺の松の隣で撮ったものです。 ここまでの移動手段は徒歩でしたが,坂が急な場所が多く学生でも息切れる程でした。また交通の便が非常に良くないため駅から遠い所にこんな歴史的建造物があることを知らない人が多いと考えました。  よってタクシーの配置や看板マップの充実などの対応をしていけばもっと観光客だけでなく地域住民も行きやすいそんな観光地作りができると考えられます。2023-11-23
9通学路の鳥も使う歩道橋通学路の鳥も使う歩道橋この大きく存在感のある歩道橋は、交通量の多い下の通路と近道になる上の通路を支えるため作られました。長い年月からか植物も巻き付き歩道橋内部の鉄線には鳥も生息しています。このような自然との調和からここに興味を持ち記録させていただきました。2023-04-27
10上田城の知られざる歴史上田城の知られざる歴史上田城の入り口はいくつかありますが、市役所に最も近い入口は橋になっています。橋の下は昔堀がありましたが、ちょうど50年前までは、この場所に電車が走っていました。「上田交通 真田傍陽線」という路線で、写真の場所には「公園前」という駅がありました。橋の裏側には電車の架線の跡が残っています。2022-10-25
11[22/10/07]東銀座から初台へ[22/10/07]東銀座から初台へ2022/10/07の記録。 17:10、歌舞伎座の上演が終わり、地下鉄で京王線の初台駅へ。このアクセスは交通事情のわからない者には少しばかり難しい。東銀座駅の日比谷線2番線に移動し、東日本橋駅で都営新宿線に乗り換えればいいらしい。「東日本橋」という駅は全く馴染みがありません。地下鉄に乗り、日本橋駅の次の人形町の次が東日本橋駅。東日本橋で乗り換えるのですが、乗り換えの通路が意外に長い。都営新宿線は京王線と相互乗り入れしており、行き先と降りる駅が共に確認しにくい。ホームで待つと「橋本行」が到着。ホントに初台を通り止まるのか不安なまま乗り込みました。 新宿駅に来ると次の駅は「初台」と車内にも表示され一安心。余談ながら韓国語の駅名は하쓰다이(ハスダイ)です。韓国語に「ツ」の音はなく、チュとするよりはス2022-10-09
12[22/10/07]雨に濡れず上田から歌舞伎座へ[22/10/07]雨に濡れず上田から歌舞伎座へ2022/10/07。久しぶりに東京へ。肌寒い雨降りの一日。特に東京は雨脚も強く、当初予定していた雨に濡れることが確実な国会図書館、国立公文書館行きを変更し歌舞伎座で歌舞伎鑑賞をしました。『祇園恋づくし』『釣女』の2本立て。楽しい演目でした。また久しぶりの歌舞伎座を堪能。 経路をふり返ると、新幹線で上田駅を発ち上野駅へ、地下鉄に乗り換え東銀座駅へ。東銀座駅は歌舞伎座に直結し、大雨の中、雨には濡れずに切符引取機でチケット発券。何の問題もなく歌舞伎を鑑賞しました。その後、東京オペラシティのある新宿の初台へ地下鉄で移動。しかも傘いらず。何という快楽かと思いました。 大雨でも傘不要で目的地へピンポイントで移動できる東京という都市環境の凄さを今さらながら実感しました。地下鉄による移動=地下の移動2022-10-09
13常楽寺までの一本道常楽寺までの一本道常楽寺と別所温泉の駐車場を結ぶ一本道の写真。 歩きやすい道だが交通量が少し多いので注意が必要。2020-10-15
14吉福横断地下道(宮島交差点)吉福横断地下道(宮島交差点)上田と松本をつなぐ国道143号にあるとても交通量の多い交差点の地下道です。 交通量が多い交差点ですがこの地下道を使うことで歩行者がスムーズに移動できます。 また、地下道の幅も広く階段の一段一段が広くとられているのでお年寄りも利用しやすくなっていて良いと思います。2020-05-26
15別所街道の道標(上田市本郷)別所街道の道標(上田市本郷)別所方面、上田方面、塩田方面へ行く道の交差点であったことを示す道標。 現在の県道はこの交差点を東西に貫くが、別所方面の旧道はここから北西方向へ分岐する。かつての塩田平の交通の要衝であったのだろう。 道際の草むらに飲み込まれつつあるが、道路拡張時にも撤去されずに残された道標である。2020-05-25
16大学前駅踏切大学前駅踏切普段は立ち止まっての撮影は危険ですが 今回は車も少なく、始発電車よりも前の 早朝に撮影してきました。 特に特徴もない踏切ですが、早朝に訪れると いつもとはどこか違う雰囲気です。 ここから隣の下之郷駅の手前まで、 線路はまっすぐに伸びています。2020-05-25
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