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1舌喰池舌喰池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌2024-02-13
2水の移動経路水の移動経路 川やため池の水は、直接そこに雨が降ったものだけでなく、周囲の高地から流れ込んできたものも多い。高い山があれば、雪解け水も入ってくる。このため、降水量が少ない地域であっても、上流の降水量が多かったり、山脈に面していたりすれば、十分な水を確保できる。  水底は田より低いため、水位が低いときは用水として使いにくい。洪水のリスクが高まるため、底を上げればよいというものでもない。水位が低い場合は、ポンプを使うようだ。  しかし、近代的なポンプは、ため池が造られた江戸時代にはなかった。現在のため池を見ると、当時は底近くに水路を引いたり、水位が一定以上のときのみ水を水路に送っていたと考えられる。現在も、水位が高いときはポンプとは別に排水するようだ。2024-02-11
3男池、女池男池、女池上田にある殆どのため池が戦国時代から江戸時代に作られた物である。男池、女池は江戸時代の仙石氏が上田を治めているときに作られた。次に男池の貯水量は約五万㎥で、満水面積は約二万六百㎡。一方で女池の貯水量は約一万八千㎥で、満水面積は約八千八百㎡。男池と女池を比較してみると、男池の方が貯水できる水の量が多い。現在は農業用水として使用されており、隣の産川から池に貯水されている。2024-01-31
4保明水保明水 保命水と呼ばれるこの井戸は1881(明治14)年に海禅寺の湧き水を地下の木簡で柳町に引いたものである。当時の生活用水、非常用水として利用された。  1922(大正12)年には上田市に上水道が開設されたが、市内には良質な飲料水が少なかったため、町民の負担で修理改修を行い管理されてきた。  それから約30年後の1949(昭和24)年、上田市で全域で断水してしまう事故があった。その際には前肢の水源として活躍した。  現在は生活用水としては利用されず、井戸のみが形として残っている。  信州の水50選にも選ばれるほど水質がきれいで、運が良ければカニがみられるかもしれない。2023-12-21
5男池男池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。  男池が作られた背景を知る2023-11-30
6男池男池 中塩田駅の近くにあるため池。    同日に訪れた中野前池とは異なり、干上がっておらず十分な水量があった。ただ、水量があるというのは、用水に使われていないという可能性がある。  町中にあるため池としては非常に大きい。2023-11-10
7尾根川尾根川 大学前~下之郷付近を流れる川。大学前駅の辺りで産川と合流する。  周辺の土地と比べて低いところを流れているため、農業用水には使いにくそうだ。ポンプやパイプと思われるものはあり、農業用水に使う場合はそれらを通すのだろう。排水口のようなものは高い位置にあるため、排水の放出先にも使われるようだ。2023-11-07
8瓢箪池(塩田運動公園)瓢箪池(塩田運動公園) 長野大学の隣の、塩田運動公園(上田自然運動公園)内にある。公園として整備されているため、田に囲まれたものと比べて行きやすい。  用水路はつながっているようだが、ため池として現役で使用されているかは不明。2023-11-07
9長野大学付近のため池(夫婦池)長野大学付近のため池(夫婦池) 長野大学の近くにある、その付近では比較的大型のため池。降水量の少ない塩田平では、このようなため池が多く存在する。  あふれないようにするためか、高い土手で囲まれている。土手の下からは用水路が出ている。ここから田へ取水するのだろう。  撮影日の数週間前から雨が降っていなかったが、水量は多いように見えた。撮影時点ではすでに稲刈りが終えられていたため、水の消費量が少ない時期と考えられる。2023-11-07
10番外編:湯の橋番外編:湯の橋大正橋からさらに堤防を通って上流へ...と進むことはせず、少し回り道して戸倉の温泉街に。 以前の上田での調査の際、入り組んだ街並みには案外面白い発見があると学んだため、いざ温泉街へ。 そこで見つけたのが、この「湯の橋」。温泉に相応しい名前ですね。橋と言って良いのかと首を傾げるくらいにはこぢんまりとした橋でしたが、下を覗くと蔦まみれの建物に草の茂った用水路...とレトロさが味わえてなんとも気に入ってしまいました。 風景をより魅力的にする、というのも橋の利点なのかもしれません。2023-05-07
11千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑 について知っていることをぜひ教えてください 佐久市岩村田にあるため池「仙禄湖」畔に建つ記念碑。 1972(昭和47)年4月建立。 碑文 千ヶ瀧用水改修記念碑 北に浅間の活火山南に蓼科八ヶ岳連峯 を望む佐久平の中央に位置する岩村田 町は往古より水利に恵まれす灌漑水に 難渋し近代に至っては上水道水源の確 保に悩みこれが根本的解決は町民長年 の願望であった 昭和二十六年町理事者町議会議員は町 民の要望にこたえ岩村田町の事業とし て土地改良法による千ヶ滝用水の改修 を目的として土地改良区の設立を計画 し関係の南大井村御代田村小沼村中佐 都村に協賛を求めたしかしこの用水に 特権をもつと信ずる人人によってその 設立が遅延し遂には変則なる土地改良 区の設立の止むなきに至ったが用水改 2022-12-09
12発見③畑より田んぼ発見③畑より田んぼザ・日本の田舎 実際に水が流れてる用水路初めて見た2022-10-24
13塩沢 農業塩沢 農業塩田平と似て、稲作が盛んである。山沿いには畑作も多少見ることができる。塩沢の農業の特徴は何より、稲作がとても盛んであることだ。塩沢は日本有数の豪雪地帯であり、稲作の時期は雪解け水が供給される。塩田平とは違い、ため池はほとんどなく、灌漑の方法としては用水路などで灌漑がされている。 写真をみると、農業用に整備された用水路が見えることがわかる。2022-02-02
14ため池の必要性ため池の必要性そもそもなぜ塩田平にはため池が必要だったのでしょうか。それは、全国でも有数の寡雨地域であったからです。雨が少なく年間の降水量は890mmであり、稲作をするときに必要と言われる降水量である1000mmを下回ります。そのため、稲作をするためには厳しい土地でした。幸い、土壌は元々塩田平は湖であったことなどから肥沃だったため、水が足りないという課題を灌漑で解決すれば稲作ができました。用水路を使った灌漑などが長野では多いですが、塩田平を流れる川は、どれもたくさんの農地を潤すほどの水量はありませんでした。そこで、塩田平ではため池灌漑という長野県では珍しい灌漑方法がとられています。 参考:ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館 2022-01-26
15山田池(やまだいけ)山田池(やまだいけ)山田池は1938年に沢山池が造られるまで塩田平一の大きなため池だった。 池の歴史は古いため増築年は不詳だが、1650年にそれまで並んでいた2つの池を1つにまとめ現在の池ができた。 この池では、1840年頃に養鯉を試みたり、上田藩の事業として薬草の栽培をしたりしていた。古くから農業用水の確保としてだけでなく、様々なことに利用されていたことが分かる。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php2022-01-26
16ため池の歴史②ため池の歴史②ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。 例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。 〈参考文献〉 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf2022-01-26
17ため池の歴史①ため池の歴史①塩田には多くのため池がみられる。その理由は降水量と土地が関係している。上田市は年間降水量が全国で最も少なく、その中でも塩田平は最少の地域であった。しかし、気温も低すぎず肥沃な土地で、水田農業に最適の地域だった。そこで農民は農業用水を確保するためにため池を作ることにしたのだ。この地域の土壌が粘土質で、ため池の土地を作るのに好都合だったことも影響していたのだろう。 〈参考文献〉 信州上田の里 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php2022-01-26
18保命水とは?保命水とは?柳町の路地にある水場。明治14年に付近にある海善寺の湧き水を木管を繋いで引いてきたもの。上田市に上下水道が開設される大正12年まで生活用水・非常用水として、地域住民や北国街道を往来する人々に多く利用されていた。利用されている時も、生活用水として使われなくなってからも、地域住民が価値を見出し、長年、維持してきたことが感じ取れた。2021-11-22
19岡谷探索-2岡谷探索-2天竜川と諏訪湖の河口である釜口大橋で撮影した諏訪湖。信州で最大規模の湖であり、天竜川と同様にその豊富な水量で岡谷の製糸業を支え続けた。特に明治期など日本の産業革命が始まったころは、蒸気機関による電力供給技術が確立されていないため、製糸工場に必要な電力は主に水力発電が主流であった。そのような点から、天竜川及び諏訪湖からなる工業用水はまさにうってつけであったのである。2021-07-04
20樋之詰(とよのつめ)樋之詰(とよのつめ)別所温泉石湯から森林公園へ至る道の最中に突如として現れる野湯(?)。 これは正式名称を樋之詰(とよのつめ)と言い、湯川をボーリングした源泉をポンプによって揚湯し、近隣住民の生活用水として供しているもののようです。 水温はおよそ20.4℃、pHは8.95。泉質はほかの別所温泉群と同じく、単純硫黄泉と思われます。 民家の真横という立地も相まって浴びたり入ったりはまず不可能。 開湯時期は不明。 別所温泉の歴史は古く、その多くの期間を源泉の自然湧出のみで乗り越えてきました。 しかし、別所温泉源泉の湧出量は年々減少し、それに対する策として昭和30年頃からボーリングによる掘削が行われました。樋之詰もその開発の一環で開発されたものだと思われます。2021-05-06
21河童除けのお地蔵様河童除けのお地蔵様 住宅街の一角に、大きな欅と祠があって一体のお地蔵様が祀られている。実はこのお地蔵様、河童除けのお地蔵様なのである。  妖怪がいるかいないかの議論はさておき、この上田という地域は降水量が少なく、田んぼにはため池の水を使う。現にため池がたくさんあり農業用の用水路もたくさんある。子どもが誤って落ちる、などの被害が頻繁にあったということは容易に想像ができる。  今日も近くで遊ぶ子供たちを守りながら、お地蔵様はひっそりとたたずんでいる。2021-05-05
22ため池とは?何故塩田にため池が作られたのか?ため池とは?何故塩田にため池が作られたのか?画像は上田市の「舌喰池」 ため池とは、雨量が少なく河川がない地域などで、灌漑用水を確保するために人の手によって作られた池である。また、ため池の多くは江戸時代以前に築造されたものである。 塩田に数多のため池が作られた理由も、降水量の少なさが原因である。しかし、降水量が少ないという事は、晴天の日が多いという事でもある。塩田は気温や肥沃が良好で、用水さえ確保できれば水田農業に適している土地であった。従って、農民達は塩田にため池を造成したのである。 参考文献 ため池のれきし - 信州上田|塩田の里|とっこ ため池:農林水産省2021-01-25
23菱野温泉郷不動滝菱野温泉郷不動滝「小諸眺望百選12 菱野温泉郷不動の滝 秋の紅葉と冬の氷柱」として小諸市観光協会(当時、現小諸市観光局)認定された。 菱野温泉薬師館の手前を左側に入っていった道の奥の方にある。夏は滝行が行われ、冬は凍って氷柱が出現する。 大里地区の水田を潤す用水は女堰、荒堰そして深沢水系の3つある。荒堰の上流の水源は水出(小姓水源)と観音沢水源の2つあり、この不動滝は観音沢水源からの水路の途中にある。  令和2年度第2期分として小諸ふるさと遺産に認定された。2020-12-25
24北国街道の足元北国街道の足元北国街道を歩いているとき、足元を見たらこんな用水路があった。北国街道の街並みに合うように用水路まで整備されているのが驚いた。 細部までこだわることがその街並みを、風情を重んじる行為であると思った。2020-11-01
25千ヶ滝湯川用水温水路(御影用水温水路)千ヶ滝湯川用水温水路(御影用水温水路)御影用水は軽井沢町内の千ヶ滝を水源とする上堰と白糸の滝を水源とする下堰がありますが、下堰の御代田町との境付近に、水温を温める、温水路と呼ばれる幅広い部分があります。景観的にも素晴らしいところです。 https://bit.ly/3nsoOAJ2020-10-08
26ため池:男池ため池:男池塩田平は降水量の少ない地域で、農業用水のために水を貯めた「ため池」が多く存在しています。その中の一つの「男池」を見つけました。2020-08-05
27昭和のため池「沢山池」昭和のため池「沢山池」「ため池百選」に選ばれた「塩田平のため池群」の中でも最大のため池が沢山(さやま)池です。沢山池はため池群の中では群を抜いて新しく、1938年の竣工です。 ため池の多くは江戸時代以来のものです。その中にあって昭和という時代には、問題をより根本的に解決する対策として地域の最上流にダム湖を作り、大容量の用水を蓄えることができるようになりました。このため池が現在も使われていることも感動的です。この時期、田んぼの収穫も済んで農閑期に入ります。その間、ため池は池干しをするようです。沢山湖の湖底がむき出しになった風景は私も初めて見ました。 このような大規模なため池が果たす効果も大きい一方で、維持管理などの問題もあるようです。湖の底に泥が溜まり続け、その浚渫に多額の費用がかかるようです。その昔2020-07-30
28青木村から見える上田市青木村から見える上田市辺り一面、山林と田んぼが広がっています。 目の前に広がる田んぼの奥に見えるのは、上田市です。 この場所から眺める上田市の景色は昼夜、四季を通じて美しいです。 10日ほど前、この場所の用水路で蛍を目撃しました。数匹いたようで、暗い田んぼの中で元気に飛び交っていました。蛍はきれいな水に生息するとのことで、目撃できたことに喜びとともに誇りを感じました。2020-07-12
29道路下になった用水路道路下になった用水路近くの用水路。数年前はこの先の用水路が地上からも見えたが、道路幅を広げたために地下となっている。2020-05-26
30琵琶湖疎水琵琶湖疎水琵琶湖疎水。ライトアップされていて実に綺麗でした。2020-05-08
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