上田の蚕業について①
上田の蚕業の発展について記された書籍では、「町村誌をみると、『男、農桑を業とす、農隙養蚕、山稼をなす、。女、養蚕をなす。余間生糸及び縫織をなす。』とあるように、上田地方では桑が稲作に次ぐ重要な作物であり、男女とも養蚕を手掛け、」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」37ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より抜粋)と述べられています。そのことから、男女が同じ事柄について役割分担を行い、分業して働いていたことがうかがえます。また、上田の女性の人権の確立について記録された書籍によると、江戸時代は仕事の線引きはあまりなく、必要とあれば一家が協力して家を回すという文化だったとのことです(「人権の確立と女性のあゆみ」134ページ(平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)。しかし、明治以降、男は外に出て働く、女は家を守るという明確な線引きを行ったことで、江戸時代以前の協働のシステムが薄れ、互いに孤独感が増し、心身の負担が増大したなど、様々な問題点もあると考えます。上田の蚕業が発展した時代は、明治以降の民法が社会に広まっていた時代で、江戸時代以前に家族全体で行っていた仕事が、男女それぞれに偏った時代と言えるかもしれません。そこには、男性が外で働き、女性が仕事・家事・育児を担う現在の社会状況と重なる部分を見出すことができます。蚕業が発展、そして衰退していく中での人々の暮らしを検討することで、約100年前の社会から私たちはどれほど発展することができたのか、過去から学ぶべき問題点は何か、これからの課題などについて考察することができると思います。
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投稿者 | tohu |
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