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自分の「上田探検1」計画
上田の製糸業を金融面で支えた第十九国立銀行について調べることを目的とする。それが終わり、時間に余裕があれば製糸業関係で上田と世界とのつながりに関わる調査を行う。
2020-06-23
2
第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)
八十二銀行上田支店。これまで、上田は生糸業の発展によって栄えたが、第一次世界大戦後に続いた慢性不況と1929(昭和4)年の世界恐慌により生糸価格が崩壊するなど、その繁栄にも暗い影が忍び寄ってきた。このような不況により、当時、県内の最大銀行であった信濃銀行の倒産などが発生し、長野県は「全国一の不況県」と言われるまでになった。このような中、1931(昭和6)年、第十九、六十三銀行が合併し、それぞれの行名の数字を足した呼称である「八十二銀行」が誕生した。
2020-06-23
3
第十九国立銀行について-4
黒沢鷹次郎の碑。黒沢鷹次郎の業績を称え建立された。
2020-06-22
4
第十九国立銀行について-3
黒澤鷹次郎像。黒沢 鷹次郎(嘉永2年(1850年) - 大正8年(1919年)1月27日)は、明治-大正期の銀行家で、明治10年(1877年)に第十九国立銀行の設立に参加した。黒沢鷹次郎は当時の常識を破り動産(原料繭)担保の融資で製糸業者を支援し、また、債権の保全と繭の品質向上のため、明治42年(1909年)1月、自ら諏訪倉庫建設に着手するなど、製糸業発展に貢献した。第1次世界大戦の後、不況に見舞われた岡谷の製糸業界は黒沢の金融政策によって救われ、更なる躍進を遂げた。
2020-06-22
5
第十九国立銀行について-2
八十二銀行上田支店(旧:第十九国立銀行)。国立銀行の説明は「第十九国立銀行について-1」を参照
2020-06-22
6
第十九国立銀行について-1
第十九国立銀行跡(現在の八十二銀行上田支店)を示す説明文。第十九国立銀行は、1877年(明治10年)、長野県の佐久地方の豪商であった黒沢鷹次郎らを中心に設立され、養蚕、生糸事業を中心に事業を拡大した。明治から昭和の初めに至るまで、長野県はわが国の生糸生産量の約3割を占め、外貨獲得に多大に貢献するが、第十九国立銀行は、金融面において生糸商人を支え続けた。
2020-06-16
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第十九国立銀行(6)
八十二銀行上田支店(5)
黒沢鷹次郎(2)
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