群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。
○だるまの歴史○
だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬県は養蚕が盛んであったから、だるまを信仰の対象としたのだと考えられる。現在では「必勝だるま」として選挙や受験の際に願い事がかけられて飾られるようになっている。
実際わたしが「高崎だるま」を初めて見たのは大学受験のときで、学校の体育館で目入れをするのがわたしの高校では恒例だった。高崎だるまの特徴は、目が書かれていないところである。また、倒してもすぐに立ち上がる起き上がりだるまで、色鮮やかで眉毛には敦賀、髭には亀が描かれている。
○なぜだるまに「目」が書かれていないのか○
群馬県で売られているだるまには目が無い。白くあいているのだ。これは高崎だるまだけでなく関東のだるまにはよく見られる。目の無いだるまは、安永のころに疱瘡が流行ったことがきっかけで作られるようになった。疱瘡を患った場合目がつぶれてしまう恐れがあったため、だるまがまじないとして利用されたのだ。人々はできるだけ縁起を担ごうと目がうまく書かれているだるまを好むようになったため、売り手は目無しだるまを作り、販売する際に直接目を入れるようになったのである。現在では、個人が祈りごとをする時に自ら目を書き、その願いが叶えば残っている片方にも目を書き完成させるという使われ方をしている。
だるまはこれまで人々の手によって、目を無くす、縁起物として飾る、燃やすなど変化されてきたということがわかる。
画像は上から
・高崎駅に飾られているだるまの像(2枚)
・高崎だるまの説明
・だるまの実物(投稿者が今年1200円購入したもの)
☆だるまとつながりのある群馬県の主なお祭りについてはこちら↓(実際の写真あり)☆
だるまとつながりのある群馬県の主なお祭り
【参考文献】
1)峯岸勘次.縁起だるま 高崎だるまとその商圏.上毛新聞社.2001
2)高崎市 高崎だるま(R)の歴史
地区コード | 群馬県 |
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カテゴリ名 | 私の地域探究 |
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