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28満州移民②満州移民②こちらの記事は先ほど紹介した小林信悟さんの満州での生活を記したものである。 これを見る限り、渡った先では農耕班として農業をしており、食事に関しても毎日白いお米を食べることができたり、週一でカレーを食べていたりと充実しているように見えた。休日に関しては、月に2~3回と現代と比べればとても少なく感じた。こちらの資料も実際の生活状況が伺える貴重な資料であると感じた。2022-01-27
27満州移民①満州移民①こちらの記事は満州移民として満州へ行った小林信悟さんの話についてである。 当時長野県から満州移民として満州と渡った人数が約31000人で一位だという。第二位の山形県が15000人弱であるからダントツのトップである。 この記事ではここ上田から満州とへの経路で起きた出来事が詳細に語られている。このような詳細な資料は現在体験された方が減少していっているため非常に貴重な資料であると感じるとともに、その生々しさがひしひしと伝わってきた。2022-01-27
26壮行會壮行會こちらの記事は小學校での行事を示した記事である。 今と少し異なるところが5月27日と3月10日に行われた行事だ。 5月27日には海軍記念日として登山を、3月10日には陸軍記念日として記念講話を行っている。これらはどちらも軍を重んじた行事であり、小學校からこのようなことが行われていたと言うことを生の資料から受け取ることができた。 記事はこちらから https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0078.jpg2022-01-25
25勤儉週間勤儉週間こちらの記事は勤儉週間についての記事である。 勤儉とはよく働き、倹約することの意である。戦地にいる兵隊が苦労しているから私たちもきちんと働き倹約しようという意味を込めてのものだと考察した。 標語である「今日の勤儉 明日の極楽」や「家を興して国を富ませ」等は当時の考えを体現したものだと感じた。 また「一銭を笑ふものは一銭に泣く」という標語が個人的に気に入った。今も昔もお金は大事。 記事はこちらから 1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0058.jpg 2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0153.jpg2022-01-25
24徴兵徴兵こちらの記事は徴兵検査の結果についての記事である。やはり戦争ということで徴兵についての記事は多く見受けられた。徴兵検査の結果や徴兵適齢届の存在、また、小学校で兵士の壮行会が行われていたり徴兵検査の心得等々多様なものを発見することができた。 一つ疑問に思ったは、1枚目と2枚目からわかる通り、徴兵令が出されており届出をしないと罰せられるのにも関わらず、結果として31名中10名(6名が無名とあるため16人までの可能性あり)という少し低めな合格率であることだ。徴兵として集められても合格できなかった人は一体何をして過ごすこととなるのだろうか。 記事はこちらから 1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg 2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0016.jpg 3枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0060.jpg 4枚2022-01-25
23現役兵現役兵この記事は塩田の村における現役兵を示したものである。 大勢の方の名前が記されているが、私が疑問に思ったのは左側に書かれている「海軍」についてだ。筆者は横須賀という文字から神奈川に配属された兵だと考察をした。なんとなく海がある県の方が適していると感じているが、長野県は海無し県であるのにも関わらず海軍に任命されるのが少し疑問に思った。 記事はこちらから https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0003.jpg2022-01-25
8新學制の教科について(『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)3頁)新學制の教科について(『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)3頁)この記事には学校で習う教科の変更について書かれている。ここでいう社会科が私たちの思うそれとは異なっている。ここでいう社会科とは「社会生活についての良識と性格とを学ぶこと」が目的になっていて、そのギャップが面白く感じた。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0991.jpg2021-12-12
7禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)まず、タイトルに惹かれた。「禁酒」と書かれていてどうしても気になった。作者が記されておらず、誰が何のために書いたのかすらわからない。どこか唄のような感じで述べられていて読みやすい。この文章の中で「やけのヤン八喧嘩野郎」の語呂とリズムが心地よく感じた。 この文章自体が謎すぎてクスッと笑ってしまった。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2021-12-12
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