大正8年の道路法(大正道路法)で全国の市町村に設置されることとなった道路元標。規格まで国で定められ、「大正の道祖神」とも呼ばれいます。 長野県では大正11年の長野県告示で各市町村の道路元標の位置が指定されました。 比較的残されているものが多いので、少しずつ調べていきたいと思います。
★クリップ旧小諸町の道路元標。光岳寺の前にあります。
小諸市内には、旧南大井村、旧三岡村の道路元標が残っています。
大正8年の道路法(大正道路法)で、全国の市町村に道路元標が設置されることとなり、長野県は大正11年の長野県告示で各市町村の道路元標の位置を指定しました。
小県郡滋野村の道路元標は、滋野村役場跡(現滋野コミュニティセンター)の敷地の西端に建てられています。
大正11年12月1日長野県告示第636号により、北佐久郡東長倉村の道路元標の位置が、大字長倉2,009番地先と定められた。
大正12年8月1日に東長倉村が町制を敷き、軽井澤町となったことにより、軽井澤町道路元標に作り替えられた。