小諸の風のサイト

登録リスト(該当:62件)

管理番号写真タイトル説明登録日
3047軽井澤町道路元標軽井澤町道路元標大正11年12月1日長野県告示第636号により、北佐久郡東長倉村の道路元標の位置が、大字長倉2,009番地先と定められた。 大正12年8月1日に東長倉村が町制を敷き、軽井澤町となったことにより、軽井澤町道路元標に作り替えられた。2024-02-09
3046牡丹地蔵牡丹地蔵北佐久郡軽井沢町追分の泉洞寺境内にある、第四次東海浪瑞原義勇隊開拓団 瑞原会が昭和46年9厚26日に建立した地蔵尊 泉洞寺ホームページの説明文 「角背型の牡丹地蔵尊(宝性地蔵)で、全長3.14メートル。元満州東海浪瑞原義勇隊開拓団員物故者の27回忌に当たり、仲間の冥福と、永遠の平和を祈願し、無事帰国することのできた団員が組織した「瑞原会」により昭和46年(1971)9月26日に建立された。」https://sentouji.com/stroll/index.html2024-01-24
3045本町近代化事業完成記念碑本町近代化事業完成記念碑佐久市岩村田本町通りの近代化事業の完成を記念し、昭和47年11月3日に建立された記念碑。題字の揮毫は井出一太郎氏。場所は西念寺に隣接する交差点の角。2023-11-30
3044庚申塔(六供)庚申塔(六供)小諸市乙地籍、六供にある庚申塔 石造物マップ Localwiki小諸2023-03-26
3043十九夜塔(荒堀)十九夜塔(荒堀)小諸市の荒堀地区の薬師堂の前の十九夜塔 石造物マップ Localwiki小諸2023-03-26
3042小諸市井子地区の警鐘楼小諸市井子地区の警鐘楼西小諸地区井子区の警鐘楼 小諸市消防団第7分団 井子部器具置場裏  (写真撮影 赤池氏) 小諸市内の警鐘楼(Localwiki小諸)2023-03-26
3041小諸市糠地地区の警鐘楼小諸市糠地地区の警鐘楼小諸市消防団第7分団の管轄地域(西小諸地区)の糠地地区の警鐘楼(火の見櫓) (写真撮影 赤池氏) 小諸市内の警鐘楼(Localwiki小諸)2023-03-26
3040木村熊二と小諸木村熊二と小諸小諸義塾の会研究紀要 文責 丸山厚至2023-03-04
3039十九夜塔(加増公民館)十九夜塔(加増公民館)加増公民館駐車場の諏訪神社への階段の左に建立されている如意輪観音。きれいな案内板が設置されています。 寛政7年(1795年)建立。 石造物マップ2022-12-20
3038曹洞宗法隆山正眼院曹洞宗法隆山正眼院八満にある曹洞宗の寺院 法隆山正眼院(しょうげんいん 通称しょうごいん) 「運のよくなるお寺」として知られている。 境内には小諸城より移築された黒門があり、本堂前には拈華微笑のお釈迦様が建立されている。2022-12-11
3037海軍一等機関兵勲八等土屋八八郎碑海軍一等機関兵勲八等土屋八八郎碑小諸市大字菱平字稲荷地籍に建てられた土屋八八郎 の碑 土屋八八郎は1883(明治16)年6月10日 北佐久郡大里村生まれ。日露戦争に従軍し、戦艦三笠乗務。1905(明治38)年9月11日佐世保港において火薬庫爆発のため死亡。死亡後勲八等白色桐葉章受章。 三笠の沈没については下記のサイトを参照。 https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p10.html2022-12-09
3036千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑 について知っていることをぜひ教えてください 佐久市岩村田にあるため池「仙禄湖」畔に建つ記念碑。 1972(昭和47)年4月建立。 碑文 千ヶ瀧用水改修記念碑 北に浅間の活火山南に蓼科八ヶ岳連峯 を望む佐久平の中央に位置する岩村田 町は往古より水利に恵まれす灌漑水に 難渋し近代に至っては上水道水源の確 保に悩みこれが根本的解決は町民長年 の願望であった 昭和二十六年町理事者町議会議員は町 民の要望にこたえ岩村田町の事業とし て土地改良法による千ヶ滝用水の改修 を目的として土地改良区の設立を計画 し関係の南大井村御代田村小沼村中佐 都村に協賛を求めたしかしこの用水に 特権をもつと信ずる人人によってその 設立が遅延し遂には変則なる土地改良 区の設立の止むなきに至ったが用水改 2022-12-09
3035武重医院(大正7年1918年頃)武重医院(大正7年1918年頃)大正7年 1918年頃の武重医院の写真を先生から送っていただきました。2022-01-27
3034忠魂碑(御影)忠魂碑(御影)御影区内の成田山境内に建立されている。 昭和27年10月10日再建と刻まれている。 大正4年の『北佐久郡志』の第四編町村篇の南大井村の記述(152ページ)によるとここに再建される以前は和田にあったようである。 「九、兵事  〇忠魂碑 大字和田字北原甲州街道の北側にあり、砲弾形の石碑にして表面明治三十七八年戦役忠魂碑の題字は乃木大将の筆にして、明治四十一年四月の建設。」2021-12-28
3033狛犬(鹿嶋神社)狛犬(鹿嶋神社)鹿嶋神社の狛犬は東京市京橋區月の長谷川昌蔵氏が寄進し、昭和十八年五月に竣工したもの。2021-12-23
3032大里村役場跡記念碑建立のしおり大里村役場跡記念碑建立のしおり平成4年3月に大里村役場跡記念碑が建立されたときのパンフレット。建立趣旨、歴代村長名簿、寄付者名簿など記載。2021-12-01
3031駒形社跡駒形社跡駒形社があった場所。上信越自動車道開通に伴い、八満弓神社境内に移設されている。(参照 駒形社(八満弓神社境内)) 碑文 駒形社跡 裏面 小諸市大字八満字駒形に 鎮座していた駒形社 は創建 年代は詳らかではないが塩野の の牧の西方の駒形として奉齋 されたと伝えらている 現在の祠は貞享元年の再建で ある 此の度上信越自動車道開通 に伴い当初八満弓神社境内 に遷し奉り跡地に石碑を 建立してその名を留めるものなり  平成六年十二月吉日 宮司 金井重忠 筆頭 池田二郎 総代 美齊津卓雄    依田 進    田中三雄    小山春男    美齊津幸一2021-11-18
3030蛇石蛇石蛇石 碑文 蛇石の由来 蛇堀川の南、加増村の字袖川原に、長さ六米、幅 二米、高さ一・五米の巨大な自然石で、その上には 小祠が立てられていて、石の周囲に大きな筋目 二条ついている。この石を蛇石とよんでいる。 伝説によると、近くの堀川に大蛇が生息して おり、夜になると出てきて、その石に横たわり、 通って畑を荒し百姓を苦しめたという。 蛇石様として祀ったので、その後は災がなく なり二条の筋目は大蛇のとぐろの跡だといい 伝えている。子どもの臍の緒をあげると、虫を 痛まないといわれている。 この石は享禄四年(一五三一)十一月二十二日から 二十三日にかけての大雪と浅間の噴火によって 蛇堀川に沿って土石流で押し出し、七尋石などと 同じ時に、ここに流れ着いたものと考えられている。 祭神は蛇で神様の使2021-11-18
3029小宮山荘助翁ものがたり小宮山荘助翁ものがたり小諸の産業に大きな功績を残した小宮山荘助氏を讃える石碑が小諸市鶴巻に立てられている。設置後60年を経て改修がされたが、それを契機に小宮山家の皆さんがパンフレット「小宮山荘助翁ものがたり」を2021年(令和3年)9月30日に発行した。2021-10-03
3028大里時報大里時報北佐久郡大里村青年団の発行物 昭和24年3月10日第1号発行2021-09-28
3027滋野村道路元標滋野村道路元標大正8年の道路法(大正道路法)で、全国の市町村に道路元標が設置されることとなり、長野県は大正11年の長野県告示で各市町村の道路元標の位置を指定しました。 小県郡滋野村の道路元標は、滋野村役場跡(現滋野コミュニティセンター)の敷地の西端に建てられています。2021-07-14
3001二十三夜塔(東御市出場)二十三夜塔(東御市出場)東御市出場の祢津街道沿いにある二十三夜塔。二十三夜塚と彫られています。2021-07-08
2973月神尊(岩村田御嶽神社)月神尊(岩村田御嶽神社)佐久市岩村田の御嶽神社敷地内の「月神尊」。二十三夜講と刻まれている。2021-07-03
2972水車展示場水車展示場懐古園の下、東京電力の水力発電所の敷地に、千曲川の上流小海町の土村第一発電所で使用されていた水車が野外展示されています。2021-07-02
2971二十三夜尊(上田市下和子)二十三夜尊(上田市下和子)鹿教湯へ向かう県道沿い東内に「二十三夜」と刻まれた月待塔をがあります。下和子自治会で設置した「二十三夜尊」という説明板が建てられています。2021-07-02
2520長野県の明治初期の村絵図長野県の明治初期の村絵図 長野県立歴史館のサイトhttps://www.npmh.net/ezu/ で明治初期の村絵図が公開されています。 古い地図と現在の地図を比べてみるとこれまでの変化がわかり面白いです。 小諸市  https://www.npmh.net/ezu/?keyword=&area%5B0%5D=%E6%9D%B1%E4%BF%A1&city%5B0%5D=25&n=18&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&p=1#result 現小諸市・東御市 滋野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-151.php 現小諸市・御代田町 塩野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-93.php2021-03-02
2518六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園)六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園) 小諸市六供区、18号下の中沢川近くに、寛保2年(1742年)8月の戌の満水と呼ばれる大水害で亡くなった無縁仏の墓地。 小諸市のホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/2/6696.html  によると、この水害では 「小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。 六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。」  とのことです。  二十三夜塔も2基あります。2021-02-28
2487芝生田区新家の道祖神芝生田区新家の道祖神新家池下に建立されています。2021-02-22
2462菱野愛宕山の祠菱野愛宕山の祠 (書きかけ) 菱野区で大火事があったときに、京都の愛宕神社から火伏の神様を分けてもらってきて、ここに祀ったとのこと。 そのためか、この付近は愛宕山と呼ばれている。2021-02-13
2114山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑別所温泉の交番から安楽寺へ向かう途中右手上に、建てられている。 説明板のテキスト 山本宣治 高倉・テル 記念碑について 齋藤 房雄 昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成 され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。 これよりまえ、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカ クラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議院議員)は 農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。 一九二九年三月一日、上小農民組合連合会は第二回総会にタカクラ の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士 『山宣』)を招く。 この記念講演は「千名を超える聴衆に深い感動を与えた。 この講演から四日後の三月五日、山宣は治安維持法改悪承認の議2020-12-30
2113菱野温泉郷不動滝菱野温泉郷不動滝「小諸眺望百選12 菱野温泉郷不動の滝 秋の紅葉と冬の氷柱」として小諸市観光協会(当時、現小諸市観光局)認定された。 菱野温泉薬師館の手前を左側に入っていった道の奥の方にある。夏は滝行が行われ、冬は凍って氷柱が出現する。 大里地区の水田を潤す用水は女堰、荒堰そして深沢水系の3つある。荒堰の上流の水源は水出(小姓水源)と観音沢水源の2つあり、この不動滝は観音沢水源からの水路の途中にある。  令和2年度第2期分として小諸ふるさと遺産に認定された。2020-12-25
2074北沢大石棒北沢大石棒佐久穂町 説明板より 北沢川の大石棒  今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。 [石棒] 二.二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石) [石柱] 柱状節理流文岩 昭和六十二年八月  佐久穂町教育委員会  (※当初の説明板の記述は「佐久町教育委員会」だったと思われます。)2020-12-20
2001国立小諸療養所(現小諸高原病院)の旧門柱国立小諸療養所(現小諸高原病院)の旧門柱陸軍軍医学校小諸療養所が前身だったのですね。 病院の沿革はこちらにでています。 http://bit.ly/2JNq6Hn 沿革 昭和18年7月31日 陸軍結核治療研究機関として建物が落成 昭和19年1月19日 陸軍軍医学校小諸診療所として開所し、結核患者を収容 昭和20年12月1日 終戦に伴い厚生省に移管され、国立東京第一病院小諸分院となる 昭和25年4月1日 国立小諸療養所と改称 国立菱野療養所を分院とする 昭和29年12月25日 菱野分院を閉鎖 昭和36年3月31日 精神病棟を併設 昭和38年4月1日 精神療養所に転換 昭和52年7月1日 重症児病棟併設 平成5年11月1日 老人性痴呆疾患治療・研修事業施設の指定 平成6年4月1日 研修施設群による精神科臨床研修病院 平成7年4月1日 老人性痴呆疾患治療病棟開設 平成12年4月1日 精神科救急病院 平成12年8月1日 応急入院指定病院 平成16年42020-12-08
1857路傍の神仏(インター小諸工業団地)路傍の神仏(インター小諸工業団地)小諸市の西北部滝原区にあるインター小諸小諸工業団地の西側、(株)ユウワの上にある石仏2020-11-11
1712小山亮先生像小山亮先生像小諸出身の政治家、小山亮の像。内堀功の作。 糠塚山の中腹に小諸の町、浅間山を望むように設置されている。2020-11-04
1537平和の光像平和の光像1960年4月に在日本朝鮮人総連合会佐久支部から、朝鮮民主主義人民共和国への帰国記念として贈られた像。台座には当時の町田増夫小諸市長の「日朝両国民の友好親善と世界恒久平和万才」と刻まれている。 当初は小諸駅前に設置されていたが、現在は小山敬三美術館へ行く岩石園の奥に、小山松寿氏、小山邦太郎氏の顕彰碑、胸像と同じところにある。2020-10-16
1508千ヶ滝湯川用水温水路(御影用水温水路)千ヶ滝湯川用水温水路(御影用水温水路)御影用水は軽井沢町内の千ヶ滝を水源とする上堰と白糸の滝を水源とする下堰がありますが、下堰の御代田町との境付近に、水温を温める、温水路と呼ばれる幅広い部分があります。景観的にも素晴らしいところです。 https://bit.ly/3nsoOAJ2020-10-08
1494弁天の清水弁天の清水小諸の地名の元となったといわれる諸区の中央にある湧水。良質の水として知られ、多くの人が汲みに来ます。 信州の名水50選に選ばれています。2020-10-05
1483青木の一里塚青木の一里塚小諸市内の北国街道には、平原、唐松、青木の3つの一里塚がある。 青木の一里塚は新町区内にあるが、標柱と案内板が設置されているが塚は見当たらない。2020-10-01
1465小室節発祥の地 碑小室節発祥の地 碑小諸市御幸町の平和公園内に昭和63年11月第10回小室節全国大会を記念して小室節保存会が建立。  平安時代御牧ケ原で朝廷に献上する馬を育てていましたが、馬の飼育を教えてた、モンゴルの人たちの歌が小室節となり、それが全国の追分節になったと言われています。 最近、小室節も小諸馬子唄も聞かれなくなったように思います。 参考 小諸市ホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/3770.html2020-09-16
1464小諸郵便局発祥地モニュメント小諸郵便局発祥地モニュメント(発祥の地コレクションの小諸郵便局発祥地のページ参照) 小諸市本町二丁目の武重医院西隣に、「小諸郵便局発祥地」と書かれた駒札風の木製の碑と「書掟集箱」と書かれた箱が置かれている。 1871(明治4)年に近代郵便制度が制定されると,全国各地に郵便取扱所が設けられた。郵便取扱所は地方の地主など有力者が任命されることが多く,ここ小諸では この地で“巴屋”という旅籠を営んでいた小山六左衛門氏宅に最初の郵便取扱所が設置された。 碑文 小諸郵便局発祥地  明治五年七月一日小諸郵便取扱所がこの地に開設され以来百二十年を記念してここに記念碑を設置する 平成四年七月一日 小諸郵便局長 参考 発祥の地コレクション 小諸郵便局発祥地 https://840.gnpp.jp/komoroyubinkyoku/2020-09-14
1459いちご平停留所いちご平停留所御牧ケ原の小諸市から東御市に入ったところにあるバス停留所 御牧ケ原には原種のイチゴが群生していたと伝えられている。そこからいちご平という地名ができたよう。 http://www.ichigodaira.com/ichigo.htm2020-09-10
1458佐久市浅科八幡神社前停留所佐久市浅科八幡神社前停留所 八幡神社前のバス停。室内の壁面広告がレトロ。2020-09-10
1432高峯財産区、高峯土地改良区記念碑高峯財産区、高峯土地改良区記念碑 菱野の入村の高峯財産区(旧大里村有林を管理する組織)の山林の中、通称ヤカタの峯と呼ばれるところに、高峯財産区、高峯土地改良区の記念碑が建てられています。 https://ja.monumen.to/spots/7378 記念碑 高峯の陽に茂る山林は古くは小諸藩に属し、明治の維新に際して国有に帰せり。朝夕仰ぎて恵澤に浴せし村民は、その払下げを願うこと宛も父を親うが如し。昭和二十七年漸くにして二千百万円を以て六十余町歩の国有林を大里村に払下げられ、更に廿余町歩の農地改革開墾附帯地の賣渡を受けたり。宿願達成の喜や襞うるに物なし。廿九年同村は、小諸町他四ケ村と合併して市制を施くに当たり、同村は高峯財産区と命名されて旧村の保有となる。この山麓に女堰と称するあり。慈母の如く大地を育みて年を経たり。昭和廿八年之が改修の費を財2020-08-24
1428佐久市中込前林の道祖神佐久市中込前林の道祖神佐久市の小海線滑津駅から南方向に進んだ水路沿いにある道祖神。両隣に金精様。2020-08-20
1427県営ほ場整備事業菱平地区パンフレット県営ほ場整備事業菱平地区パンフレット1983(昭和58)年4月4日、国の事業採択となりスタートした県営ほ場整備事業菱平地区のパンフレット。 平成元年4月作成。2020-08-20
1425小諸市菱野区入村の道祖神小諸市菱野区入村の道祖神小諸市菱野区入村にある新旧二組の双体道祖神。 新しい方は安永三(1774)年十一月の建立。2020-08-17
1313小諸市菱野区中村の道祖神小諸市菱野区中村の道祖神菱野区中村の道祖神。新旧2つ並んである。『菱野誌』には 数 1  年号 文化12  形式 起舟後光 丈 90 刻像 双躯立像 銘文 文化十二乙亥年三月大吉祥日 中村氏子 と記述されている。 同じ場所に十九夜塔如意輪観音像が1体ある。 以前は道祖神の前で正月に中村支部内4隣組持ち回りで山の神の飾りを建てたが、2018年を最後に中断されている。 1月15日にどんど焼きが同所で行われていたが、成人の日がハッピーマンデーで月曜日になったことにより、開催日は毎年1月1日午後に中村集会所で開催される中村支部の新年会において決められている。   2020-08-06
1206祝言道祖神(百沢)祝言道祖神(百沢)佐久市望月布施にある道祖神2020-07-26
1205菱平農事実行組合 共有土地維持略歴菱平農事実行組合 共有土地維持略歴菱野区の旧公民館に掲げられていた共有土地維持略歴  ・明治維新により地域の共有林が国有林に編入されたこと、  ・図面作成の請負手となった区民が請負人の立場ではあったが、村民の利益を失うことに異を唱えたこと、  ・国の官吏との折衝に苦労してほぼ主張が認められたこと、  ・菱野区後平区の名義で登記できず、六人の共有名義としたこと、  ・1932年(昭和7)産業組合法が改正され昭和8年農事実行組合が組織されるに当たり、その名義としたこと、  ・菱野公会堂(旧公民館)新築に当たり、共有林からの材木を使ったこと、  ・将来に向かって愛郷の念が益々高まることを祈っていること  がわかる。 菱平農事実行組合    共有土地維持略歴 大里村大字菱平字宇坪入 一四六八番イ号              2020-07-26
1204佐久市有形文化財万治の石造大日如来佐久市有形文化財万治の石造大日如来万治の石仏では下諏訪の諏訪大社春宮の石仏が有名ですが、佐久市望月にも有ります。 下諏訪町の石仏は阿弥陀如来、望月のは大日如来。年数は望月の方が1年古いようです。2020-07-26
1170『菱野誌』第五章社寺『菱野誌』第五章社寺平成4年5月31日刊2020-07-21
1169龍野咲人龍野咲人詩人 明治 44 年~昭和 59 年(1911~1984) 明治 44 年小県郡川辺村築地(現上田市築地)に生まれる。 本名 大久保幸雄。 地元の校歌の作詞も多く手がけている。 小諸市立芦原中学校校歌 小諸市立美南ガ丘小学校校歌 小諸市立水明小学校校歌 長野県小諸高等学校校歌 佐久市立平根小学校校歌 上田市立丸子北小学校校歌 山ノ内町立東小学校校歌  上田市ホームページより https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/13662.pdf2020-07-21
1032臼田橋の由来臼田橋の由来【もろもろ小諸】臼田橋の由来 本町から相生町に抜ける「おふらや小路」、松井川に架かる「臼田橋」は個人で開道、架橋された。小諸商人の心と力を感じる。由来がレストラン車留夢の入口に掲げられている。 「おふらや新道と臼田橋の由来 明治二十一年信越線が開通した頃は小諸驛へ直行する主要道路がなく、 本町方面から停車場への往来は現在の東電前からパリの湯前を経て筒井町へ抜ける迂回路に頼っていた。 因って明治三十六年当時本町在住の呉服太物商臼田彦五郎義敬が、菱野、六供、本町地区から停車場への交通の便を図るため私有地を開鑿(かいさく)して本町より現在の相生町への開道と中間を流れる松井川への架橋を計画したが、たまたま日露両国の開戦により延計し開道と架橋の完成は明治四十四年七月、道路はおふらや2020-07-16
1009日向吉次郎翁記念碑日向吉次郎翁記念碑日向吉次郎翁記念碑 島崎藤村識選文 大正11年6月建立 謡曲の師匠。「千曲川のスケッチ」にも描かれている。 荒町光岳寺境内 http://www.komoro.or.jp/hinata.html http://www.asamadake.co.jp/kanko/toson_07.html2020-07-15
9861975年菱野区中村のどんど焼きのときの獅子舞1975年菱野区中村のどんど焼きのときの獅子舞1975年(たぶん)1月15日に菱野区中村の道祖神のところで、中村支部のどんど焼きのときの獅子舞。 菱野区には支部ごとに獅子舞が行われていたが、中村支部では当時、各戸を回らず、1月1日の新年会のときとどんど焼きのときに獅子舞をやっていました。 (下村支部は今も1月2日に各戸を回り、最後に長泉寺の本堂で舞います。)2020-07-14
963藤村舊栖地 碑藤村舊栖地 碑藤村の小諸時代の住まいのあったところの碑 昭和28年4月 藤村会建立 有島生馬書2020-07-13
954大里村役場跡碑大里村役場跡碑碑文 大里村役場跡  小諸市長 塩川忠巳書 大里村役場沿革誌 明治二十二年市町村制実施により大里村発足       諸二〇七番地に役場開設 大正十五年大里尋常高等小学校隣接地諸字矢鼻       二六番地ー二近代的役場新築 昭和二年新役場により事務執行 昭和二十九年市町村合併法により小諸町になる 同    年四月小諸市となり諸支所となる 昭和三十八年諸出張所となる 昭和四十四年諸出張所廃止 平成四年三月吉日記念碑建立         記念碑建立実行委員会2020-07-13
911西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西光寺近くの橋のところにある菱野薬師への道標2020-07-06
902六供中沢川仲乃橋のところの道標六供中沢川仲乃橋のところの道標「右浅間山 左菱野冷泉」2020-07-01
896小諸町道路元標小諸町道路元標旧小諸町の道路元標。光岳寺の前にあります。 小諸市内には、旧南大井村、旧三岡村の道路元標が残っています。2020-06-29
8851963年11月の小諸駅前1963年11月の小諸駅前父のアルバムより。1963年昭和39年の小諸駅前。2020-06-29
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