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12019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森2019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森台風19号の大きな衝撃の一つは別所線の鉄橋の崩落です。2019/10/13、全国にも大きく報道されました。鉄橋は崩落したものの堤防は間一髪のところで崩壊を免れています。もしこれが崩落したら広大な川沿いの住宅地が浸水被害になるところでした。この画像はそれから数日後10/19の記録です。 ここで注目いただきたいことは河川敷にあった樹木の森が全く消滅していることです。数多くあった大きな樹木が根こそぎ流され、堤防や鉄橋に激しく衝突した結果、堤防と鉄橋の崩落をもたらしたのではないかと推察します(誰も崩落の要因を語る人はいませんが)。2023-10-16
22019年、台風19号/避難先の混乱2019年、台風19号/避難先の混乱2019/10/12、台風19号、上田市では警戒レベル4となり避難指示が発令されました。問題は住まいが安全かどうか、避難先はどこかです。私は千曲川に近い低地に暮らしていることもあり、高台に移動した後、最寄りの避難先の一つ、泉田の防災センターに避難しました。 避難所は多くの場所が大勢の人々で大変だったと聞いています。泉田のこの施設は避難先としての周知が行き届いていなかったせいか、避難者が少なく済みました。市の職員の方が丁寧に就寝用マットを配られるなど対応されていました。 翌日深夜2時頃、よく寝付けず、スマホで見る情報を見ると千曲川の水位が徐々に低くなる状況を確認し、家に戻ることにしました。途中、川辺小学校の前を通過しました。校庭に避難した方々の車が多数停まっているのを目撃しました。 後から2023-10-16
32019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019/10/12、22:00頃の千曲川の状況を記録した画像です。古舟橋の情景です。暗くて見えにくいですが、横に伸びる黒い帯が橋、その下に延びるやや白い帯が波です。危険水位まで水が上昇し川面が激しく波打って橋桁の下にぶつかっていました。周囲にはゴーッという川音が遠くからでも響いていました。 この個所は幸いにして越水や洪水の被害からはまぬがれました。その後まもなくそれぞれの橋は通行禁止になりました。私もこの後安全な高台に車で移動しました。2023-10-16
42019年、台風19号/上田で千曲川の越水発生2019年、台風19号/上田で千曲川の越水発生2019/10/12、台風19号は大雨をもたらし特別警告が発令されましたが、より深刻な状況は千曲川の異常なほどの増水です。千曲川の上流で発生した豪雨により千曲川の水位が危険水位に達しました。国分では越水が起こり、住宅が浸水の被害に合いました。 当日直面した問題は状況の把握、行動の判断に必要な情報の取得の困難です。上田市役所のホームページは常時つながらない状況が続き全く役立たずでした。最も参考になったのはCATV(上田ケーブルビジョン)の地元に密着した情報、国土交通省の河川ライブカメラの映像です。20時過ぎ、国分は既に越水した状況がわかります。2023-10-16
52005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。2023-10-14
6”川”と共にある上田市御所”川”と共にある上田市御所上田市には千曲川が流れている。 上田市の災害の歴史を語るには欠かせないだろう 千曲川が流れている御所では、昔から大きな洪水の被害を受けてきた。その被害を少なくするために当時の村人達は「水天宮」を奉納し、「天御中主神(あめのなかぬしのかみ)」を祭ってきた。 向かいにも「水神宮」がある。 今、ここで生活出来ているのは当時の人々が、こういった「信仰」によって水害が少なくなることを願い、どうすれば安全になるのかを考えて対応をした、それらの「堤防」の積み重ねの結晶であると考えられる。 昔の人々の想いに馳せながら、こういった史跡を巡ってみるのも面白いのではないだろうか。2023-01-30
7水害・火災についての地図水害・火災についての地図これは、先ほどの洪水被害と同時に起きましたが、別の地域の被害情報です。火災についての被害も書かれています。 善光寺大地震火災水難地方図 木版2枚(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210010002023-01-18
8戌の満水とは戌の満水とは長野県千曲川流域の歴史的な洪水として、仁和4(888)年の洪水、弘化4(1874)年の善行寺地震の後の洪水がよく知られている。ところが、寛保2(1742)年の洪水「戌の満水」は、全国的にも近世以降最大の水害と呼ばれているのに知らない方が多い。 その理由の一つとして、昭和16(1941)年に連続堤防が完成、大きな水害が激減し流域住民の洪水への恐れ、関心が急激に薄れてきていることが挙げられる。しかし、寛保の洪水が「未曽有の水害」「前代未聞の水害」といった表現のまま、流死者など具体的な被害実態が集計されてこなかったため、訴える力が弱かったこともある。 流死者は2800人前後に達することが明らかになり、長野県内で被害が大きかった「三六災害」の死者は107人、不明が29人である。現在の2022-01-24
9「つながれ いのち」「つながれ いのち」長沼地区を散策していると、国道の歩道の足元に地蔵があることに気が付いた。そこには「つながれ いのち」と書かれていた。2021-07-05
10三ツ池公園三ツ池公園毎年4月の第一度土曜日に開催される水源祭の会場となる公園である。この水源祭では水の恵みや水害防止、五穀豊穣などを祈願。餅つきや宝探しなど、子供からお年寄りまで楽しめる。野猿という渓谷を楽に渡るための乗り物がありスリリングな気分を味わえる。2021-05-03
11六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園)六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園) 小諸市六供区、18号下の中沢川近くに、寛保2年(1742年)8月の戌の満水と呼ばれる大水害で亡くなった無縁仏の墓地。 小諸市のホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/2/6696.html  によると、この水害では 「小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。 六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。」  とのことです。  二十三夜塔も2基あります。2021-02-28
12木やりと岩万燈木やりと岩万燈 亀田の祭りで行われている木やりという掛け声である。これは古くは水路を利用する船頭による歌だが、亀田をたたえ、奮い立たせるような節回しは、祭りのために作られたような感覚さえする。 亀田の夏祭りの大きな特徴はこの木やり及び亀田大岩万燈(以下岩万燈)にある。大きなみこしをぶつけ合うその姿はまさに喧嘩祭りである。 おおむね一日目に亀田甚句流し、二日目にこの岩万燈が行われる。動画では岩万燈の一連の流れが記録してある。大きな声で木やりをかけるむさくるしい様子をぜひ見てほしい。 そもそもこの祭りが行われるようになった経緯にも、もちろん土地が関2021-01-27
13千曲川とりんご栽培千曲川とりんご栽培かつて長沼地域では養蚕業が盛んに行われていました。しかし明治末の度重なる千曲川の氾濫によって、養殖していた蚕を破棄するほどの被害を受けました。その中で水害に強いりんごを栽培する農家が徐々に広まっていき、信州リンゴ発祥の地と呼ばれるまでになりました。2021-01-25
14台風19号災害ボランティア活動台風19号災害ボランティア活動12月に行った災害ボランティア活動について、また現地に訪れる事で分かった事などをまとめていく。災害ボランティア活動は新型コロナウィルスの影響から長野市役所に集まり、自身の車で各自現地に訪れて朝の9時〜16まで活動していく。今回訪れた住宅では台風19号により住宅が浸水してしまった後に床や畳等を変えたのだが、畳の下の地盤が未だに浸水の影響から水を含んで泥のようになっていたため畳が湿ってしまっていた。そこで当日、ボランティアの方々が畳の下の泥を住宅外に掃き出していく活動を主に行っていき、またガラス戸などに付いた泥の清掃等を行った。1度は住宅を整備した後に、1年以上浸水から経過した住宅の地盤が未だに湿っている事があるのだと気づからされた。また現地の方々や長野市に長く定住している方は、当時の浸水2021-01-25
15別所の水害別所の水害今回、別所線の歴史を知るうえで、台風被害で赤い橋が崩落したあの出来事をなくして学びが深まることは無いと思い、上田市立博物館へ行ってきました。 今回の水害を被害を確認するうえで、1つ大きな手掛かりになる水害がありました。。それが近代最大の水害と呼ばれた、上田の「戌の満水」です。この時にも越水した水が上田地区を飲み込み、計2800人が亡くなったと記録に残っていました。 戌の満水の時も、台風19号も被害を受けた地区で重なるところがあるということ、逆に戌の満水からの復興時に建設したり、増築したところが台風19号では壊れなかったところなど二つの水害を通して、上田の歴史を少しだけ深く知れました。 この展覧会は前回展覧したのち、住民から再度やってほしいとの声が多かったため二回目の開催でした。 上田2020-11-16
16災害アーカイブ展~令和元年東日本台風から1年災害アーカイブ展~令和元年東日本台風から1年令和元年東日本台風台風19号災害から1年目を迎えるにあたり、災害の記録や記憶を保存・継承し災害を自分事として捉え備える事を目的に「災害アーカイブ展~令和元年台風19号から1年~」が長野市役所や長野県庁、信州大学、長野駅で開催された。私は10月15日に長野市役所に訪れた際の記録をまとめていく。 令和2年9月18日現在の長野県内被害状況は、人的被害による死者が15名、重傷者14名、軽傷者136名にのぼり、住宅被害は全壊が920棟、半壊2515棟、一部損壊が3535棟にのぼる。また長野県内の被害額は、公共土木施設や都市施設、農業や商工業関係が被害の多数を占めており、被害総額は2766億7400万円にのぼる。 また信州大学で行われている災害デジタルアーカイブの記事について、かつては災害の記録や写真は図書館や博物館などが災害関連資料として記2020-10-31
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