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1崖沿い・千曲川沿い道路の記録2007崖沿い・千曲川沿い道路の記録20072007/10/25の記録。 上田市・千曲川右岸の岩鼻から坂城町に抜ける県道77号線は、絶壁のような崖沿いに展開していました。一部、崖の崩落などもあり、2007年頃はその修復工事が行われていました。 現在この区間は通行禁止となり、国道18号線がバイパスされて岩鼻の岩盤を貫通するトンネルを抜けて坂城町側につながる安全なルートに代替されました。2024-01-16
2軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト上田方面から軽井沢町風越に向かうため、久しぶりに信濃追分駅の前を通過しました。この道筋は「借宿バイパス」と呼ばれています。道が整備され、さらには国道18号線バイパスとはラウンドアバウトで接続されていました。この周辺を通るのはコロナ禍以前のこと、久しぶりです。軽井沢の都市環境が改善に向かっている状況を目の当たりにしました。 観光シーズンなどで顕著に起きる軽井沢の交通渋滞、とりわけ幹線道路でもある国道18号線の渋滞は解決しようのない社会問題となっていました。国道18号線バイパスが信濃追分駅を経由し追分方面に貫通するよう借宿バイパスのさらなる延伸工事もなされていました。 軽井沢の慢性的な渋滞が緩和され、旧市街の郊外でもある国道18号線バイパス沿線が新たな商業地・観光地となりつつある状況を実2023-12-04
3信州蚕糸業遺構、和田峠信州蚕糸業遺構、和田峠下諏訪町と長和町の境界にある和田峠と和田トンネル。現在、国道142号線はバイパスされ新和田トンネルを経由するため、通常迂回しなければ旧和田トンネルを通ることはありません。 この道は国道の旧道であるだけでなく、明治初期に車が通行できるよう勾配を計算して開削された道路です。旧中山道に並走しています。トンネルが開通したのは1933年です。トンネル脇の土手に彫り込まれた道筋の跡があります。これがその開削路です。当時、諏訪方面の生糸はこの和田峠を越え、小県を経由して横浜まで運ばれました。信州蚕糸業遺産として記憶すべき歴史的遺構です。2023-09-23
4常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで昭和45年 1   自治会会則が一部変更し、監事2名を置く。 9   「これからの親と子のあり方」の講習会を開く。     講師は上田三中校長黒坂周平氏。 10   西小・三中PTA支部廃品回収を実施、収益金20,884円 11   新上田橋が完成する。 昭和46年 9    敬老会を市老人福祉センターで開く。米寿会員33人出席。 10   常盤町簡易郵便局が開局する。 10   上田市交通安全協会鎌原支会の分会として常盤町分会が設立される。 10   自治会館南側の道路を日曜広場として利用し始める。 12   町婦人部主催で金子康夫さん撮影の8mm映画「常盤町の誕生より今日まで」の上映会を開く。 12   団地南端の交差点(山寺さん宅前)へカーブミラーや「止れ」の交通標識が建つ。 12 2023-08-09
5愛宕神社(アタゴジンジャ)愛宕神社(アタゴジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に建てられている。神社の周りは木で囲まれており、離れたところからは鳥居のみしか見ることが出来ないようになっている。鳥居をくぐると181段(著者が数えたため正確性は保証できません)の急な階段があった。高齢の方に配慮してなのか階段の東側に階段よりは緩やかな道が作られていた。 登り終えて正面には木造のほこらがあり、左手側に神社が見える。本当であれば神社の正面から撮影を行いたかったが、神社の前はこう配が急な斜面となっており、撮影することは出来なかった。神社西側の裏には石のほこらがあり一円玉のお供えがされていた。2023-05-10
6生塚神社(ウブツカジンジャ)生塚神社(ウブツカジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に存在する。 生塚神社に含まれているのか不明だが、生塚神社の両隣に異なる神社が建てられていた。東から順に、赤岩神社、金比羅社、皇大神社、天神社、そして生塚神社を挟んで西側に左口社という配置である。 既にこのデジタルマップ内で他の方が記しているが、生塚神社では花いっぱいの会という団体の方が「花桃イベント」という物を開催している。興味のある方はそちらのイベントの方も確認されてはいかがだろうか。2023-05-10
7須波三穂神社東の宮(スワミホジンジャヒガシノミヤ)須波三穂神社東の宮(スワミホジンジャヒガシノミヤ)こちらの神社は、上田バイパスを「上田市緑ヶ丘」の信号で南に降りた先の右側に存在する。 須波三穂神社西の宮とは異なり、「神社人」という神社に関わることが記されているサイトに情報が記載されておらず(2023年5月現在)、創建された年は不明である。また、定礎が記されているものも埋め込まれていないため、改装された年なども不明だ。しかし、手水鉢に記されている名前が「絶主 柳澤○右衛門」(○の部分は読むことが出来ませんでした)と西の宮と同一であるため、1770年代には存在したのではないかと推測される。また常夜灯には寛政十年(1798年)と記されていた。 西の宮には存在した石のほこらは東の宮にはなく、代わりに大きな石が置かれていた。2023-05-10
8須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)こちらの神社は上田市の住宅街と上田バイパスの間に存在している。神社についてまとめられている「神社人」というサイトによると創建は天暦6年(952年)とされていた。その後、何度か改装されているためか、神社の建物には定礎昭和59年(1984年)と埋め込まれており、手水鉢にはおそらく安永2年(1773年)と記されていた。 神社には、賽銭箱と見受けられる物は見当たらなかったが、神社の西側には小さな石で作られたほこらがあり、一円玉がお供えされていた。おそらく、賽銭箱の代わりに石のほこらへお供えするルールがあるのではないかと考えられる。 参考文献 国際教養振興協会ICPA.「須波三穂神社西の宮」. 神社人-日本を楽しむポータル&コミュニティ.http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9727(2023/05/10)2023-05-10
9花いっぱいの散歩道花いっぱいの散歩道上田バイパスぞいにあるコスモスの花です。地元の花いっぱいの会さんが少しずつ整備をされています。2022-11-03
10西部地域 上田バイパス沿いの紅葉西部地域 上田バイパス沿いの紅葉上田バイパス沿いを歩いた際に撮った紅葉の写真。まだ本格的に紅くなってはいないが、山が近いためとても綺麗な景色を見ることができる。2022-10-30
1110/27まちなか側探求10/27まちなか側探求長野大学を出発し上田城で降り、丸山邸を散策し、千人塚それから八坂神社・二子神社に参拝、バイパス通りのコスモスを眺めバローに到着しました。発展した街中の中に根強く生きている歴史を感じられました。具体的にはその地域に流れている川の周りを景観を乱さないブロック塀や、道路などが作られておりその空間を観光に活かしていたり、丸山邸では気さくに挨拶をしてくれ、その中の植物展に気軽に誘って説明をしてくれたりとくれたりと上田の魅力は地域の人からも強く感じられた。地域の人がその歴史を大切に保存している姿勢が見られた。2022-10-29
12愛宕神社愛宕神社バイパスの向かいにある神社です。 階段登るの大変だけど自然を感じれて気持ちよかったです。行くのは少し苦労しますが、夏場など避暑地にはもってこいの場所です。2022-10-24
13塩田平自転車巡り塩田平自転車巡り柳沢バイパスを進んでいくと途中で無言館へ向かう道をずっと上っていくと前山寺の隣にあるカフェ。上り坂は正直なところ体力に自信がある人でないと自転車で登るのはかなりきつい。しかし、その分カフェから眺める景色は絶景である。2021-11-22
14塩田平自転車巡り塩田平自転車巡り上田丸子線の来光寺池の手前で右折すると見えてくる柳沢バイパス沿いにあるカフェ。開けた土地に立地しているため見つけやすい。まろやかですっきりとした口当たりが特徴の発芽コーヒーが売りである。スイーツとの相性も抜群である。2021-11-22
15黄金沢大橋黄金沢大橋こちらも上田バイパスにかかる橋の一つ。 黄金(こがね)沢大橋という名前は、橋の下を流れる黄金沢川という河川から由来しているようです。 …黄金だった時代があったんだろうなぁ、と思わずしみじみ眺めてしまいました。2021-11-14
16蛇沢大橋蛇沢大橋上田特有の急坂を上って上田バイパスに出ると蛇沢大橋はあります。高架橋であるため、足が竦むような高さがあります。しかしその高さを活かした景色は長野の緑豊かさを満喫できます!2021-11-14
17半過山口橋半過山口橋半過山口橋は上田坂城バイパスを上田方面に降りていく橋です。 「上田 道と川の駅」を通ることもあり、交通量が多い重要な橋です。 また、長野県の天然記念物である半過岩鼻(写真左)、下塩尻岩鼻(写真右)が一望できるのも特徴です!2021-11-13
18下半過 大慈(いつくしみ)の湯下半過 大慈(いつくしみ)の湯下半過 大慈(いつくしみ)の湯は上田-坂城バイパスから旧道へ抜け、下半過の農道を進むと見えてくる鉱泉湧出です。 この湯は、観世音菩薩藩の大慈大の誓いが世に現れたものとされ、近隣住民などからは大慈の湯、ないし下湯と呼ばれています。 泉温が1999年時点では24.8℃、pH7.2、蒸発残留物量は0.2g程度の冷鉱泉です。 総硫黄としては硫黄泉の定義には足りていませんが、源泉周囲では硫化水素があり、非常に薄い硫黄泉であるとも考えられます。 2020年春ごろまでは源泉付近に案内板が建てられ、温泉スタンドとして観光客や遠方の人々に開放されていましたが、2020年の夏~冬ごろに発生した土砂崩れの影響で源泉の湧出が停止し、看板も撤去され実質的に廃湯となっているようです。 近辺にあるびんぐし湯さん館とは泉質が近いようです2021-05-07
19西部地域-2西部地域-2花桃イベントの駐車場にあった坂の道路標識。私の出身である石川県七尾市では、このような道路標識は登山道にしか見たことがないが、撮影した場所はバイパスの近くである。このように、坂が身近にあるのも上田の特徴ではないかと考える。2021-05-05
20[14/09/11]上州街道石碑群[14/09/11]上州街道石碑群上州街道石碑群の場所をやっと見つけました。道が意外に狭く曲がっています。これが上州街道であることがわかり、昔の集落の位置関係などもこの街道筋から捉え直すと、この地域の構造がさらによく理解できるものになることがわかりました。これまで、車道としてバイパスされた道路だけを通っていることに改めて気づかされます。2021-05-01
21上田松本間に計画された鉄道上田松本間に計画された鉄道大正8年(1919年)に泉田村に提出された、鉄道敷設に関する意見書の内容を まず前置きとしては、 ・上田松本間はもともと2つの県道で旅客や貨物の輸送が盛んだったが、信越本線と篠ノ井線ができたことによって衰退した。 ・世の時勢が交通機関の発展を促している ということが述べられている。 この路線が開通した時のメリットとしては、 ・沿線に浅間温泉、別所温泉、田沢温泉、沓掛温泉などの年間の観光客が10万人を超える観光資源がある ・沿線に石炭などの特産品が少なからずある ・信越本線と篠ノ井線の半分の距離しかない  (関東と濃尾地方の連絡にも大きな利点がある) ・篠ノ井線が塩沢の辺りなどで地盤崩壊が起きるときにバイパスとして機能する  (軍事的にも利点である) ことが挙げられている。 当時沿線で石炭の2021-02-27
22栗の木川栗の木川 地元の番組企画の映像である。ここにもあるように、現在の新潟の主要な道路は元々水路であったものが多い。栗の木バイパスもそれに該当する。栗の木排水場はバイパス開通の六年前(1963)に新潟地震で被災、役目を終えた。栗の木排水場に関してはメモを参照。2021-01-27
23道と川の駅 おとぎの里道と川の駅 おとぎの里道と川の駅 おとぎの里は国道18号上田坂城バイパスと千曲川に隣接た施設です。ちょっとしたレストランや直売所お土産売り場などがあり、地域の特産品を楽しめるスポットでした。また、屋外には広々とした空間が広がり、ドッグランやヘリポートもありました。犬の散歩をしている人や、小さな子供を連れて散歩している人などがいて、のどかな雰囲気でした。 平日に行ったこともあると思いますが少し寂しい雰囲気でした。広い土地があり、景色もいいのでもったいないと思いました。今後たくさんのイベントが開かれ、賑わっていけばいいです。2020-11-18
24信州アップルパイ研究所信州アップルパイ研究所海野街にある信州アップルパイ研究所にいってきました。比較的新しいお店で、内装も落ち着いたコンクリート作りでとてもきれいです。そこで食べたアップルパイはすべてが地元のリンゴを使っています。その中の一つの新世界という品種に興味を持ちました。なぜならスーパーや市販ではうられていないからです。調べるとふじとあかぎを交配したものだそうです。またこのお店はマンションの一階になっています。これからの商店街にマンションが増えてくるためこのような形の商店街もよいなと思いました。2020-11-18
25上田 道の駅上田 道の駅国道18号上田坂城バイパスと千曲川に隣接し、「道の駅」と「川の駅」が一体となった施設です。この施設から望む日本百景「岩鼻」は上田道と川の駅のシンボル的存在であり、その頂上の千曲公園からは、千曲川や上田市、坂城町が一望できます。施設には、食事処のほか地元上田地域をはじめとする信州のお土産品や、旬の野菜や果物などの農産物、すべて手作りの手芸・工芸品などを取りそろえております。2020-11-17
26半過古墳群10号墳の石室(移築復元)半過古墳群10号墳の石室(移築復元)バイパス工事に伴い、平成18~19年度に発掘調査が行われました。遺跡は2つのトンネルの間にあり、弥生時代から平安時代の住居のほか、半過古墳群の4つの古墳が発掘調査されました。古墳からは人骨や青いガラス玉の首飾り、金銅製の耳飾りなどの多くの副葬品が見つかりました。また、棺桶に入った遺体が骨となってそのままの形で残っていました。2020-11-14
27半過洞門と半過トンネル半過洞門と半過トンネル千曲公園は半過にある奇岩「岩鼻」の山頂にあります。その絶壁の下に「半過洞門」があります。洞門は崖の崩落などがあり、現在は廃墟となっています。この道筋は現在は国道18号線のバイパスとなり、洞門跡のすぐ近くを国道が通り、岩鼻を貫通するようにその道筋が半過トンネルに続いています。 洞門前に「千曲公園」のサインがあり、ここから歩いて上まで登ってみることにしました。2020-04-23
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