信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影

信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影

 信濃国分寺本堂には、上田松平氏の「五三の桐」が描かれた垂れ幕と提灯が掛けられている。上田市立博物館が発行した『松平氏史料展』によると、松平忠周(ただちか)はそれまで損傷していた信濃国分寺の三重塔を、享保11年(1726)3月8日に修復したと書いてある。修復された当時の状態のまま今日まで残されているかどうかはわからない。だが、忠周が三重塔を今見えている形状に正したのは確かだろう。なお、忠周だけでなく、仙石氏や、その後の松平藩主も国分寺を保護・援助している。
 私は実際に塔を見てみて、三重の屋根は青銅で葺かれているのではないかと思った。その青緑色と塔の木材部分の茶色の組み合わせは綺麗だった。また、塔のすぐそばには池がある。池側から三重塔を見ると、池の大きさはかなり違うけれど、京都府木津川市にある浄瑠璃寺の三重塔と池のツーショット画像を思い出す。信濃国分寺の境内は蓮の葉や花に彩られている。浄瑠璃寺には池泉回遊の浄土式庭園がある。極楽浄土への祈りや憧れがあったという点が両者には共通していて、だから池と三重塔の空間が似ているのではないか、と私は思う。ぜひ比較してみてほしい。

https://www.pref.kyoto.jp/kyotoyamashiro/treasure_3.html 京都府. 山城地域の国宝(浄瑠璃寺)/京都やましろ観光.

登録日:2023-11-30 投稿者:コスモス
地区コード上田地域(上田市)
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