長野県で過去に起こった災害についてのまとめとその対策として行われていることについての歴史を探る。そのために過去に起きた災害についての資料を参考にしようと思います。
★クリップ過去には善光寺に大地震が到来したことがあります。この写真はその時の善光寺大地震のことを地図に表したものです。
善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0621000700
これは1847年に制作された記録書であり、善光寺大地震の記録などの地震についての長野県の被害や情報を確認することができます。
地震場所書上(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104167937
これは、善光寺大地震の際地震の影響で山崩れまでもが連続して起きてしまった記録です。
善光寺大地震岩倉山崩れの図 写(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0621000900
これは、山崩れが起きたことで川が塞き止められ洪水を引き起こし、村などを飲み込んだ時の絵です。おおよその死者は270人にものぼると記録にあります。
信濃国大地震犀川出水絵図(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02MP0104172564
これは、先ほどの洪水被害と同時に起きましたが、別の地域の被害情報です。火災についての被害も書かれています。
善光寺大地震火災水難地方図 木版2枚(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0621001000
これは、同じく善光寺大地震の記録ですが、より村人視点、つまり被害者目線に感情移入できるように書かれている記録書になります。
震洪鑑(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104167887
これも当時の被害状況やどういった死因が多かったなどの具体的なことが書かれた記録書になります。
新板地震口説(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104168109
これは逆に地震の被害を文字で伝えるのではなく、歌や音楽にして伝えようと作られ、編纂された少し変わった民謡本です。このようなものが作られていることから当時の民衆にとっても忘れるに忘れることができない地震であったことが推察できます。
志ん板地震くどきぶし 上・下(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104167994
長野県の災害は地震だけでなく火山の噴火被害も大きな災害といえます。実際に1909年には浅間山が噴火し大きな被害をもたらしました。写真はその記録書になります。
浅間山噴火記録及焼岳踏査報告書(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0101915171
浅間山が噴火したのは1909年だけではありません。江戸時代、1783年にも噴火しており、2000人の被害と飢饉を招き、さらに多くの死者を出すこととなりました。
浅間山焼候節書附(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104168133
浅間山噴火の際、奉行所などの幕府側も大いに焦り、なんとか被害を最小限にしようと動いていた痕跡があります。それがこの写真の届書などです。
御觸並廻状類[写](信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD5020290200
災害といえば、洪水も置いておけないものである。洪水は、地震の土砂崩れの影響でも起きるが、本来台風や大雨など比較的起こりやすい自然状況で発生するので災害頻度的にはかなり危険な部類の災害となる。写真の歴史書ではその被害についての苦しさについて書かれている。
松代町地誌略(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104131933
明治15年になるとどこで洪水が起きるのか、実際に起きた際の被害について調べられた。こういった取り組みは、洪水被害を食い止める第一歩だといえる。
洪水調(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0622101800
明治27年になると洪水が起きた際、どれくらいの水が上昇してくるのかを実際の上り幅を計測してまで具合的に計測しました。その記録個所の目印がこの写真のものです。
千曲川筋下高井郡立ケ花村洪水量水表建設箇所実測図(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03PLNS00069000
また被害の復興において国からの支援も欠かすことはできません。それなしでは、被害に遭った箇所の住民にかなりの負担がかかってしまうからです。この給付金ですが1852年には既に概念が生まれています。その証拠に写真の記録書に給付金の明細が記録されていました。
御救金明細(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD5080130000
災害の復興として人だけでなく、そこ人たちが住む建物の復興も大事になってきます。その中でも長野県内での歴史的価値が高い善光寺の復興記録があったので紹介します。
善光寺霊応記(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104130307
これは1861年に幕府から指示された命令についての記録書である。その中に江戸大火や江戸城の火災の復興指示に関するものもあったのでここで紹介します。
秘鑑松用備忘録 全(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104131958
災害に関するものとして火災というものもある。これは人のミスによることが原因で起きるものであり、人々の意識が対策として重要になってくる。ここでは1780年にしていた夜警による火の用心の厳重の徹底についての記録を紹介する。
(夜警達)(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD5020500000
明治1911年になると本格的な洪水対策に入っていくことになる。方法として砂防工事が採用され、これで少しでも洪水の発生を抑えようと工夫しました。
利根川信濃川澱川木曽川山地砂防工事歴(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0102162823
今回私は災害というテーマでキュレーションしてみましたが、この長野県だけで一般的な災害はほぼ全て起きていることが分かりました。そして、昔からのこうした経験により今の川の工事や耐震工事などのできるだけ被害を出さない工夫に繋がっていると思うとやはり昔の記録を知るというのは重要な側面があると私は改めて思うことが出来ました。今回の記録は信州デジタルコモンズを使用させていただきましたが、本当に多くの資料があり、災害というテーマだけでまだ今回紹介しきれない記録書がたくさんありました。現代までその記録書を残してくれた人々にここで感謝をしたいと思います。
善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0621000700