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1小学校だより 運動部小学校だより 運動部学校だよりの内容はいまの小学生がもらってくるものと同じで保護者向けのものでした。しかし今よりも謙っておりとても丁寧に固い表現な印象をうけました。 運動部の欄では野球部の部分のみを投稿しているがそれぞれの部活動のメンバーがフルネームで掲載されていました。プライバシー面で今は論争が巻き起こりそうですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2023-01-31
2川西野球排球大会川西野球排球大会塩田の地区でスポーツの大会が開かれていたことを初めて知りました。こども達のリトルやクラブチームの試合は現在でもありますが、地域で試合が開かれていたことに驚きです。中塩田や室賀などのいまでも知っている地名が野球やバレーができるほどに人数が集まっていたことが一番の驚きです。いまもやってほしいですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2023-01-31
3スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg2023-01-16
4バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg2023-01-16
5日本国憲法 第二章日本国憲法 第二章今も変わらず残っている大日本国憲法の第九条の制定についての記事を見つけた。 この憲法が今も残っているおかげで他の国との武力的な大きな衝突なく平和に過ごせているのだと思うと感慨深い。 面白記事とは少しずれてしまっているかもしれないが一番興味深いと感じたのでこの記事をピックアップした。 ▼この記事は以下から参照できます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0967.jpg2022-12-25
6別所温泉  (四) 第142別所温泉  (四) 第142最初は何度読んでも理解できなくて、この中に脅迫文でも描かれているのかと思ったのですが、よく見たら右から読む形態の文で少し驚いた。 この記事だけではなく様々なところで右から読む文を見つけて時代を感じた。 また、部落ニュースや歌など現代にはあまり耳なじみのないテーマを扱っている割に、この記事は別所温泉という身近なものを見つけて、近いようで遠い存在だと感じた。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
7おまるのめのひ (六)第181おまるのめのひ (六)第181不思議な日記を読んでいるようでした。昔の言葉なのに全部ひらがなで書いてあるのが面白いなと思いました。今の新聞でいうとあんずちゃん的な位置にある子供用の文章なのかと思いました。 私が子供だったらきっとこの文を読まずに外に遊びに行っているだろうなと思います。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
8私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』通しp732 『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』についての私の意見を述べる。『歯の衛生と農村保健運動とは重大な関係を持つて居ります。』という書き出しにインパクトを感じ選んだ。現在の「歯と口の健康習慣」(6月4日~10日)はこの虫歯予防デーが元である。私は予防医療が浸透した時代に生まれたが、予防医療の発達以前はどのような取組み・姿勢だったのか興味がある。当該記事では『病は口より入る』の諺や『私達の病気は口から入つていくと言つてもいい位で、言はば病気の通路みたいなものと言へる』と、概念的に理解しやすいような記述が見られる。2021-01-10
9私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①『部落ニュース(昭和12年5月7日)』通しp727~728 私が面白いと思ったのは『部落ニュース(昭和12年5月7日)』だ。部落ごとのあらゆる事柄が記録されている。現在でいう町内会単位での出来事が書かれていることにたいへん驚いた。というのも、決定事項や行事に関する事柄についての記録は現在であれば町内会・自治会で共有される枠を超えることは少ないからである。そういった比較的クローズドな記録が西塩田全域で共有されていることに、地域ネットワークとしての西塩田時報の範囲の広さを感じた。また、昭和12年(1937年)当時は戦時下ということで、女性の連帯組織の活動がたいへん多かったのだと分かる。「倉野」の欄には、「女子消防組」や「パン講習」の記録がある。いずれも戦時下での空襲対策や食糧確保の一環としての講習会であろ2021-01-10
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