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1上田映劇(旧花やしき通り)上田映劇(旧花やしき通り)いまではあまり見かけないストリップ劇場やレトロな建物が立ち並んだ通りの中に一際新しい「上田映劇」という看板に違和感を感じ写真を撮りました。以前は花やしき通りという当時撮影された映画の小道具として使用した看板だったそうです。 新しい物に違和感を感じてしまうような、昔ながらの雰囲気あふれる場所でした。2023-05-05
2小諸の絵小諸の絵1940年から1945年の間に描かれた小諸の家である、文書資料ではないがこの絵からも当時の暮らしを感じることが出来る。例えば屋根は瓦の物から藁の部分まであり、一階は瓦になっているため人が一階で暮らし、二階の藁の屋根では蚕を飼っていたことが推察される。また農業の道具もたくさん見受けれることから小諸市は昔から養蚕業と農業が盛んだったことが予測できる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/art_museum/04J10000000392023-02-08
3そばだけではない!うどんの道具そばだけではない!うどんの道具長野県の特産品といえば、りんご、野沢菜、そば…などなど色々なものが挙げられる。だが、私は、そばより、うどんのほうが好きだ。せっかく、有名なそばがあるというのに、もったいないことをしているという自覚はある。しかし、うどんが好きだ。というわけで、うどんについて、長野県は、何かないかと、ジャパンサーチにて、調べてみた。すると、あった....!!! https://jpsearch.go.jp/item/nme_mocat-H00251132023-02-01
4農民美術を再び普及させるには農民美術を再び普及させるには私は課題探求ゼミナールで森林資源の活用方法として農民美術のこっぱ人形に利用できないかと考えていたため農民美術を再び普及させるためにはどうすればよいかを探求テーマとした。 農民美術は今からおよそ100年前に山本鼎によって提唱された。農村部の若者たちに手工芸品の技術を教え農閑期の副業としまた、それまで無縁であった美術活動への参加を促すものであった。上田市を拠点とし全国へと波及したが戦後は徐々に衰退した。 木っ端人形をふたたび普及させるためにまずは尾澤木彫美術館にて実際に木っ端人形の製作を体験した。実際に体験してみると道具の使い方が想像以上に難しいと感じた。また使用する道具も多く個人で気軽にできるものではないと感じた。 体験を踏まえて、講師による指導のもとで気軽に製作体験ができる体験会2023-01-23
5養蚕の証養蚕の証祖父母の家では農業の一環として養蚕が行われていた。当時使用していた道具が今も残されているそうなので取材もかねて訪問してみることにした。 一枚目の写真は糸を巻き付けておくもので内側には軸となる棒を通すための穴が開いている。 二枚目の写真は蚕の排せつ物を処理するための道具で蚕のいる台に敷き上に桑の実を置くことで登ってくるらしい 三、四、五、六枚目は桑を採るための道具で木を切るためのものや桑を木から外すための道具がある。 七、八枚目は実際に養蚕が行われていた建物で側面の通気口や天井に回転まぶしをぶら下げるための針金などが残されている。2022-11-30
6上田の蚕業について②上田の蚕業について②上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ2022-11-28
7上田探検 まちなか 上田城上田探検 まちなか 上田城ここは上田城です。歴史の偉人、真田幸村を輩出した真田氏の城であり、周囲は散歩コースとなっており、春は桜、秋は紅葉を楽しめる。上田城内は昔使われていた道具が展示されており、当時の上田城を堪能することができる。2022-10-31
8当時の道具はどんな感じ?当時の道具はどんな感じ? 長野県立歴史館で蚕糸業に使われてきた道具を見ることができました。※撮影OKと表示されていました。  道具や機械を実際に見てみると、復元模型の大きさや動きに驚きました。上田蚕糸専門学校のノートや座繰り器も見ることができました。  当時の状況を体験することは不可能ですが、この蚕糸の学習をしたことでより細かく学ぶことができ少しだけ雰囲気を感じられた気がします。2022-10-30
9生島足島神社の御柱生島足島神社の御柱こちらは今年この神社で行われた御柱を飾ったものです。 実はこれを飾る当日に居合わせていたのですが、その時はクレーン車で引き上げていました。 勿論こんなものを人が自力で地面に刺すのは危険極まりないと思うので仕方ないですが、このような祭りの道具の一つを機械を使って立てているのは少し意外でした。 色んな風に形を変えつつも、御柱祭という行事を地域の人達がどのようにして継続させているのか分かりました。2022-10-26
10企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」池波正太郎 真田太平記館 同館で3/26~6/19の期間、企画展「ご近所さんの近代遺産~原町通りの商店編~」が開催されています。 →企画展 原町の古い写真を柱に、原町の商店とも関連する事物を展示する企画です。森田屋石森呉服店の道具、西澤書店の大正・昭和期の帳簿の束、河合薬局の衝立、「本草綱目」、各商店の色刷り広告などが展示されていました。太平記館の展示は展示会場が狭いということもあり、関連の企画展示を具体的にどのようにキュレートすればよいかのよきお手本でもあります。無理せず、原町商店街の「昔」を手際よく展示構成していました。2022-06-05
11みすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じるみすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じる上田駅から徒歩3分程度にある、みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店に初めて行ってきました。 本店は大正モダンな雰囲気で、みすず飴やジャムが販売されていました。みすず飴の他にも大正時代のものと思われる道具、花岡塗という上田市特有の漆工芸品が展示されていました。 ショーケースにはみすず飴が展示されており、宝石のような輝きを放っていました。上田市民ですが、みすず飴がこんなに綺麗なものだとは思っていなかったので驚きでした。 本店を出て少し歩いたところに分店がありました。分店は明治時代に養蚕業が栄えていた頃、上田駅から出荷される蚕の繭を一次集積用に建てられた繭蔵だそうです。この建物は貴重な国民的財産として大切にされています。 分店でもみすず飴やジャムを購入できます。 みすず飴本舗専用の駐車場2022-05-10
12小学校でのくじ引き小学校でのくじ引き祖母の通っていた小学校では進駐軍が児童をグラウンドに集めてくじ引きによって物資を配給していたそうだ。ノートなどの学習道具が多かったが高価な景品だと靴があったらしい。2022-02-14
13旧中込学校へ旧中込学校へ佐久市にある重要文化財「旧中込学校」へ10月に行ってきました。 見た目は、松本にある開智学校に似ていると思いました。 緑色と白色を基調としたシンプルな洋風デザインです。 この学校は、日本の学校建築に現存する最古級の擬洋風建築物だと言われています。 校内はもちろん、当時使われていた教科書や、教育道具が大変綺麗に保たれていました。 私が一番面白いと思ったのが、大きなそろばんです。 とても大きくて、昔の師範学校には、「大きなそろばんの扱い方」といった授業も開講されていたのではないかと想像するくらい、大人の先生が一人で取り扱うには大変そうな大きさでした。 仮に今の時代に計算を教えるとしても、大きな電卓は使いませんよね(笑) 今なら、どうでしょう、先生の手元をカメラで写しながら、プロジェクタ2022-02-04
14デジタルアーカイブの作業様子デジタルアーカイブの作業様子今回、10月20日(水)から10月29日(金)のうちの5日間にかけて、塩尻小学校の郷土資料館にて、デジタルアーカイブの撮影が行われ、そのお手伝いをさせていただきました。ただ撮影をするだけでなく、道具を撮影するためのスタジオのような場所を作るなどの工夫を行いながら撮影が行われ、そういった道具や資料などの実物をデジタル化するにあたってのやり方を学ぶことが出来ました。2021-12-13
15タイムカプセル!塩尻小学校郷土資料館の撮影タイムカプセル!塩尻小学校郷土資料館の撮影10月20日~10月29日にかけて、塩尻小学校の郷土資料館に保管されている資料・道具の撮影を行いました。 このプロジェクトは、過去に使用されていた道具・地域資料のデジタル化を行い、地域の文化伝承を促すために発足されました。 今後、撮影した写真(資料)ごとに解説を添えたwebサイトが解説される予定です。 保管されている道具は大変数が多く、興味深かったです。2021-12-13
16上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫だと思われしもの。 横には、道具らしきものがあった。だいぶ古い。錆びている。2021-05-05
17地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。 先日、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというのがメイントピックです。過去に上塩尻の記録がまとめられたものとしては『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』(1999年、塩尻地区写真刊行会)があります。 Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同2020-07-18
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