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写真タイトル説明登録日
1牛山家住宅牛山家住宅玄関左手に出っ張りの馬屋のある旧豪農の曲がり屋の牛山氏宅。かつては村きっての大百姓で名主も務めた家。江戸末・文政期間(推定)の建物で昔は茅葺だった。馬屋を抱え込んだ曲り屋は諏訪地方では珍しい。玄関右手はお役人を迎えるための「お座敷」と呼ぶ12畳間・8畳間。2020-03-06
2武居公会所武居公会所完成した武居公会所。武居には集会場がなく役員の家を使用してきたが、明治40年代に薬師堂を建て増しし、薬師堂兼集会場になっていたものをこの年に建て替えて武居公会所となった。薬師堂はもともと外御霊戸社脇から天保12(1841)年に茅葺2間で現在地に移されていたもので、享保元(1716)年以前のものと言われている本尊薬師如来が安置されている。あわせて脇持仏の日光・月光菩薩・十二神将・百万遍の数珠などが保存されている。2020-03-06
3鷹匠の家 岡村家鷹匠の家 岡村家岡村家住宅。鷹匠の家、諏訪では珍しい曲がり屋づくりである。数年前に、茅葺から瓦屋根に変えたが、他は江戸時代のつくりを守っている。鎌倉時代、一時期、幕府が諏訪神社以外の鷹狩りを禁じた。そんな伝統を継ぐ諏訪藩のお鷹匠の家である。画人天竜道人はこの家の離れに住んで、鷹の四季の姿を写生したと伝えられている。2021-04-15
4東講社行屋修復完成記念東講社行屋修復完成記念東講社(あずまこう)行屋修復完成記念の写真。茅葺屋根にトタンがかけられた。東講は東山田の旧家で組織していた。駒ケ岳大権現をまつり行屋を持ち不動の滝・御(お)山と呼ばれる霊場もあり、かつては行者の修行も盛んに行われた。古くは雨ごいの霊場にもなっていた。2020-03-06
5柿陰山房柿陰山房柿陰山房(しいんさんぼう)。この茅葺の家は短歌の集団アララギ派のリーダーとして活躍をした島木赤彦(1876-1926)本名久保田俊彦の旧宅。高木集落は諏訪地方でも柿の木の多いところで赤彦は柿の実の丹(あか)が好きだったらしく「柿の村人」「柿の村舎(むらやど)」のような筆名の時期もあり、大正8・9(1919-1920)年ごろこの家を「柿陰山房」と命名した。2020-03-06
6カヤ屋根の葺き替えカヤ屋根の葺き替え茅ぶき屋根の家。大正末期までは区内に数十軒あったが生活様式の変化で昭和60年ごろには全てなくなった屋内で火を焚いて煤が茅につくので一代に一回葺き替えればよいとされたが大変な労力が入るので「ゆい」や「かや無尽」があった。2020-03-06
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