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登録リスト(該当:57件)

写真タイトル説明登録日
1中央デパート中央デパート国道20号線大社通り交差点(四ツ角交差点)にある衣料品店「中央デパート」は長年にわたり下諏訪町民に親しまれてきたが、令和6(2024)年3月74年の歴史に幕を下ろした。写真は開店前の店先、入口の看板。 以前は手前茶色い建物は菓子店、白い建物は文房具店、人形店、中央デパートと店が並んでいた。2024-03-26
2志まや志まや横町・木下の街並みには旅館の看板が立っています。2023-10-08
3東屋終治茶屋跡東屋終治茶屋跡東屋終治は木食上人の世話役をした商人。 現在は「茶屋跡」の看板があります。2023-10-29
4まつや呉服店まつや呉服店まつや呉服店は現在はまつや洋品店は下諏訪町矢木東に移転している。まつや呉服店があった場所は平成12(2000)年まで荒井書店が営業していた。 旗や看板等が見え、恵比寿講で多くの人々で賑わっている。2023-01-24
5酒屋の店先酒屋の店先田中町の中村酒店の桜町の新宅「現中村□酒店」。 店の軒下にしめ飾りがあるので、の正月の記念写真と思われる。軒下や店先には「味の素」「三ツ矢サイダー」「キリンビール」「キッコーマン」「理研清酒 新進」「電話四六二番」「焼塩小売賣所 焼塩小売賣人 中村□」「塩小売賣所 塩小売賣人 中村□」…などの看板や掛札が並んでいる。2023-02-21
6牛山製缶所牛山製缶所看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。2021-12-26
7諏訪女子学園諏訪女子学園入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。2021-12-26
8御騎馬御騎馬春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。2022-05-12
9旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「しもすわ今昔館おいでや」(旧諏訪湖時の科学館儀象堂)になっている。工事作業中の写真。この建物の角に「諏訪電気発祥の地」の碑がたてられている。 1枚目の写真はみなと屋側から撮影。奴の看板が見える。2020-03-06
10高浜付近高浜付近新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と右手前は高浜運動公園のフェンス。2020-03-06
11湯田坂湯田坂湯田坂(坂を下りきったあたり)。鉄鋼泉・古久家・志まやの看板が坂の上方向に見える。2020-03-06
12湯田坂湯田坂湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。2020-03-06
13売り工場売り工場昔の岡谷。売り工場「売り(貸)工場、土地9.938坪・建物4.196坪、お問い合わせの方は当事務所までお出で下い」と書かれた看板。壁の向こうは、満開の桜。2020-03-06
14小料理屋小料理屋 御田町にあった料理や「や寿た」(やすだの表記)の建物。昭和24年の町勢要覧(ほがらかお料理やすだの広告)。1970年の商工名鑑飲食店にも店の名が載っている。 場所は衣文坂ジュミー美容室隣、道路を挟んだ御田町寄りにあった。2020-03-06
15木の下町の民家木の下町の民家木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。2020-03-06
16駅前通り風景駅前通り風景駅前通り(現オルゴール通り)。秋の日差しに通りの店の看板もはっきりと見える。正面に紅葉を始めた水月園が見える。2020-03-06
17中央高速バス中央高速バス朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。2020-03-06
18夜の木の下夜の木の下大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。2020-03-06
19夏の夜の御田町夏の夜の御田町夏の夜の「御田町」交差点付近。道路左手に福田屋と右手にステップカサイの看板が見える。2020-03-06
20中央通りの風景中央通りの風景中央通り、手前には旧西友があった。通りには多くの看板(スナック「灯」・「丸美生肉店」・「洋服のクロサワ」など)が見える。2020-03-06
21砥川土手砥川土手オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。2020-03-06
22砥川土手砥川土手砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖に向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見えるが、ここには弥生町にあった旧諏訪女子学園があった。2020-03-06
23不二家不二家創業昭和4(1929)年老舗菓子店。店の看板「不二屋」の文字は中村不折の筆、包装紙は棟方志功の版画という優雅な和菓子店。寒気の厳しいこの地方の風土食品「氷餅」の感触を生かした「初霜」や塩釜の中に故郷の味噌の香を生かした「郷秋」などなつかしい味があった。平成の終りに閉店となってしまった不二家菓子店。2020-03-06
24夜の街夜の街平沢町の飲食店。小口ビル内の鳥将・ほおずき・なみなどの店の看板が見える。2020-03-06
25湯田坂湯田坂湯田坂、右手のオレンジの建物が旦過の湯。続いて鉄鉱泉の看板、道路北側の電柱が見える。その後環境美化がすすみ現在片側(北側)の電柱はなくなっている。2020-03-06
26高浜付近高浜付近高浜の交差点の西側。ガラス屋根は「長野県水産試験場諏訪支場アユ種苗センター」。隣の赤と緑の看板は「リファイン花岡(当時)」、手前が興和自動車販売センター㈱。2020-03-06
27みぞれで人足の途絶えた夜の街みぞれで人足の途絶えた夜の街緑町「おちか」「うな富」の看板が見える。この日、南岸低気圧によるカミ雪で、県下はすわ湖周辺がなぜかみぞれ、春の前触れのカミ風が、ひと月以上も早く訪れたのも異変だった。 二枚目の写真は、旧小松ガラスの近くの「大政」。2020-03-06
28東寿司東寿司今も変わらぬ店頭の東寿司看板。2020-03-06
29東餅屋東餅屋和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。2020-03-06
30下諏訪商業組合下諏訪商業組合大正13(1924)年の下諏訪商業組合創立記念の時の写真。下諏訪商業組合の看板が見える。大正13年商工大臣から保証責任下諏訪商業組合の許可が出て、共同購入・保管・金融を取り扱った。№715参照。2020-03-06
31伏見屋商店伏見屋商店伏見屋商店。現在は店じまいしてしまったが、矢木東の国道20号線添いで多種の雑貨を商っていた伏見屋の店先である。店員の法被に「カネジョウ伏見屋店」の文字が染め抜かれている。看板には「伏見屋商店」とともに、「畳表・かや・荒物・□□・足袋・雑貨」などと書かれている。2020-03-06
32旅籠屋(はたごや)の看板旅籠屋(はたごや)の看板はたごやの看板。当時の下諏訪宿の看板をはじめとする資料は「宿場街道資料館」に保存展示されているのでぜひ見学に出かけていただきたい。(入場無料)2020-03-06
33下諏訪宿風景下諏訪宿風景明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。2020-03-06
34湯田坂より坂上を望む湯田坂より坂上を望む湯田坂下より坂上(秋宮方面)を望む。いくつか旅館の名前が見える。昭和40年撮影。2020-03-06
35道路拡幅中之四ツ角道路拡幅中之四ツ角下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
36友之町本通友之町本通友之町本通拡張工事のおくれた家。 花咲町入口。写真の奥のしんきん(のち春宮大門入口へ移る)の手前にガソリンスタンドの看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
37旧町役場建設の看板旧町役場建設の看板八幡町に下諏町役場新庁舎が決まった。写真は「大正十三年十二月建之」「「町長大和仁平」「助役小林廣志」の文字などが読める棟札である。ちなみに落成式執行は大正(1925)14年7月18日。2020-03-06
38善光寺拝参攝取看板善光寺拝参攝取看板「摂取」とは仏教用語で特に阿弥陀仏が慈悲の力によって衆生を受け入れて救うことである。明治期善光寺宿坊常住院発行の講員証などが残されている。写真の看板には「善光寺拝参攝取講 講社掛」とある。2020-03-06
39三都講看板三都講看板江戸時代後期には旅が盛んになったが、安心して泊まれる宿選びに難儀する人も多かった。大阪の商人松屋の手代源助は誰でも安心して泊まれる旅館組合「浪花組」(のちの浪花講)を結成した。加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、旅人には所定の鑑札を渡し、宿泊の際には提示するようにした。浪花講をまねた講が次々作られたが「宿屋組合三都講」もその一つである。三都講は天保元(1830)年大阪河内屋茂左エ門と江戸馬喰町苅屋茂右エ門によって作られた。写真は「三都講同盟結社看板」。2020-03-06
40看板「西餅屋邸小口金右衛門」看板「西餅屋邸小口金右衛門」西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場(たてば)」(人馬が休息する所)であった。金右衛門、日野屋六兵衛、竹屋清右衛門、小松屋嘉助の四軒があり藩堺にあったので、ときには、穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。現在は道の「曲之手(まきのて)と茶屋あとが残っている。昭和41(1966)年11月10日小口金一郎氏より2020-03-06
41棟札棟札新庁舎建設の看板「大正十三年十二月建之 町長大和仁平」他助役、工事監督請負人、町会議員並建築委員の名前がかかれている棟札。2020-03-06
42秋宮鳥居前秋宮鳥居前秋宮鳥居前、辻屋の看板に「参拝土産、大社飴 電話四十五番」とある。当時はみな町湯へ出かけていった、綿の湯へは秋宮社や辻屋の前を通った。2020-03-06
43諏訪自動車初期のもの諏訪自動車初期のもの林嘉平氏所蔵の諏訪自動車初期の写真。建物入り口に「高濱瀧温泉」の看板がある。2020-03-06
44桔梗屋旅館桔梗屋旅館桔梗屋旅館の看板が見える冬の風景。2020-03-06
45桔梗屋旅館桔梗屋旅館桔梗屋旅館の玄関前。入口に「桔梗屋旅館」の文字、奥に「かめや」の文字も読むことができる。453番の男性たちと同じメンバー。2020-03-06
46高浜高浜高浜。ここに温泉湧出し、旅館街があった。眺望のよさは諏訪湖周辺随一で、附近に舟遊場・釣り堀・温泉プール、水族館等があった。後ろには懐かしいボンネットバスが停まっている。 看板は「高浜釣堀」。2020-03-06
47花見新道花見新道花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。2020-03-06
48駅前通駅前通下諏訪駅前の風景。2020-03-06
49駅前通り駅前通り下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。2020-03-06
50下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。2020-03-06
51春宮正面春宮正面下社春宮前。立ち喰いそばの看板が見える。2020-03-06
52丸屋呉服店丸屋呉服店御田町にあった丸屋(まるや)呉服店、現在は共益金物になっている。 「連合大売出し御田町商業会」ののぼり旗も見え当時の御田町の賑わいが感じられる。 店の右端には「名実共ニ日本一福助足袋」の丸い看板も見える。 御田町通りは明治44(1921)年に新たに開かれた通りある。2021-05-03
53佐寿中商会佐寿中商会友之町(羽田医院の国道向かい側)にあった佐寿中商会下諏訪営業所。 自転車を販売していた。正面の看板とは別に左側に「ラヂオ(ラジオ)」店内には「ナショナル」の看板も見え、電気製品も扱っていたようだ。2020-03-06
54ネオン灯完成記念写真ネオン灯完成記念写真駅前通り(現在はオルゴール通り)田村青果店前に「ネオン灯が完成したが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風で倒壊した。「駅前通り」のネオンの下に町内の旅館の名前が揚げられている。2020-03-06
55殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査復元住居の完成記念写真。 町理事者、町議、調査関係者。 「殿村原住民族住居跡」の看板。2020-03-06
56中央車両工業(中央工業)慰安旅行記念写真中央車両工業(中央工業)慰安旅行記念写真杖突峠の標識看板がある。トラックには中央車両工業株式会社の文字。2020-03-06
57新鶴新鶴新鶴の店先(看板が見える)左奥先には本陣. 隣は髪結い(絵つき)の看板が見える。2020-03-06
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