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写真タイトル説明登録日
1旦過湯旦過湯下諏訪三湯(綿の湯・小湯・旦過湯)の中で最も高温の湯で傷・吹き出物に効果があるといわれている。 慈雲寺旦過寮(修行僧が修行明けの朝入った)があった所からその名があるといわれています。2023-11-09
2国道142号線の通行止め国道142号線の通行止め令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。2021-11-10
3記念写真記念写真慈雲寺裏の庭園での記念写真と思われるが、詳細不明。 中心近くに高木十吉氏がいる。(高木十吉氏 第16,19代町長 S7-8 S18-19)2023-11-14
4鎌倉街道鎌倉街道小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。2020-03-06
5盆踊り盆踊り町内会の盆踊り始まる。慈雲寺の駐車場を借りて、13日夜まで楽しんだ。町内会単位の盆踊りは、この町だけ。(東町中1組)2020-03-06
6蕉鹿庵前の酒宴蕉鹿庵前の酒宴写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。2020-03-06
7和田義盛の刀石和田義盛の刀石明治37(1904)年古峠(旧中山道)の石小屋下にあった和田義盛の刀石が、水月会員の出払で慈雲寺中庭に移された。この石は砥川石(安山岩)の側面に刀を突き通したという穴が三つあいている、(樹形と推定される)鉱物学的に貴重なもの。和田義盛は鎌倉時代初め(1147-1213)の人。侍所別当だったが北条氏と対立し挙兵したが、一族とともに滅ぼされた。2020-03-06
8水月園観音堂水月園観音堂明治35(1902)年12月10日水月会が会員32名で慈雲寺を会場に発足した。この年慈雲寺裏の金比羅山を開山し龍湖の句碑を建て水月園と命名した。また桜樹、楓200本を植え芭蕉・蕪村の句碑も建立。明治40(1907)年には観音堂を建て、子規の句碑を建てた。明治42(1909)年5月には碧倍桐来諏にあたり、水月会に招待した。その後、曽良の句碑を建てたり園域を拡大しつつじの植栽をするなどして整備されてきた。明治28(1895)年には町に寄付され「水月公園」と改称されている。写真は水月園観月堂の葉書。2020-03-06
9河東碧梧桐を囲んで句会河東碧梧桐を囲んで句会写真の下のメモに子規派、紫竹、木工外、水翁(浜孝吉)、玉羽英、李塘、鶴水、鵞水城の名が書かれている。明治42(1909)年5月河東碧梧桐の来諏にあたり、5月1日水月園(慈雲寺)で句会を開いている。写真はこの時のものか?なお碧梧桐は昭和2(1927)年ふたたび来諏している。紫竹は関一郎(M3・高木生)、木外は岩本木外(M5・高木生)、水翁は浜孝吉(慶応元年・小口村生)、玉羽英は中村幸義・・・いずれも俳句を愛した人々である。李塘は岩本長衛(下の原)、鵞水城は林重義(友之町)。2020-03-06
10バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
11鎌倉街道(若宮下)鎌倉街道(若宮下)若宮墓地下の鎌倉街道。鎌倉街道は小田野から慈雲寺・来迎寺を経由して富部若宮下を通り高木へ抜けている。比較的原形を止めている小田野も社が丘団地の開墾でなくなり、富部若宮下のこれが町内唯一の鎌倉街道になった。2020-03-06
12花見新道花見新道花見新道、左手に龍の口へ下る階段がある。右手前は慈雲寺への参道がある。正面には春宮の森が見える。2020-03-06
13慈雲寺庭園慈雲寺庭園慈雲寺の庭園は「中村勝五郎日記」によると天保8(1837)年に築庭されたものという。その後、何度か改修、拡張がされ現在の姿となっている。水月公園山稜を借景とし、園池を中心とした多数の庭石が組まれ閑静な景観をみせている。町内に残る見事な庭園のひとつといってよい。庭園改修記念の写真。2020-03-06
14国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
15お花見風景お花見風景御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。2020-03-06
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