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写真タイトル説明登録日
1大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。2020-03-06
2富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。2020-03-06
3冬の砥川冬の砥川冬の流れ(砥川)。砥川は全長12.9km町内で一番大きな川である。土砂の流出が多く、写真の医王渡橋付近より下流は度々流路が変わるほどの洪水を起こしてきた。また天井川を形成している。2020-03-06
4暖冬の街暖冬の街暖冬の町(左手前は施行近い町文化センター)。この日最高気温は10.4度まで上がり春先のよう。この年の1月の平均気温は3月上旬並み。諏訪湖は3年連続御神渡りの見られない明海(あけうみ)に終わった。2020-03-06
5赤砂西大路交差点赤砂西大路交差点昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する場所。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。2020-03-06
6ジャスコ店内風景ジャスコ店内風景この冬は超暖冬。大寒というのにこの日も雨。町内の大型スーパー「ジャスコ」では冬物バーゲンが加速していた。「ジャスコ」は「イオン」になり平成30(2018)年8月末に建て替えのため一時閉店した。2020-03-06
7垂木岩(タルキイワ)垂木岩(タルキイワ)西餅屋立場下手にあった垂直に切り立った垂木岩。ここには垂木岩の断崖に直角に穴を穿って角材をはめ込み、川側に柱を立てて橋桁(はしげた)を支え、その上に板を載せて橋とした桟橋(かけはし)がかけられていた。旅人にとっては肝を冷やす場所で、特に雪の降る冬は足元もままならないほどだったという。明治10(1877)年和田峠改修の時、間道ができてなくなった。2020-03-06
8八幡通り改修工事落成式。八幡通り改修工事落成式。八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。2020-03-06
9桔梗屋旅館桔梗屋旅館桔梗屋旅館の看板が見える冬の風景。2020-03-06
10空から見た下諏訪・諏訪湖空から見た下諏訪・諏訪湖航空写真。冬の諏訪盆地。 富士山や八ヶ岳、赤砂先、下諏訪の街並みなどがわかる。2020-03-06
11下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
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