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登録リスト(該当:10件)

写真タイトル説明登録日
1碁会所碁会所「日本棋院諏訪支部碁會所」。大門通下馬橋南とあるので明新館が会場?2022-03-05
2大門並木大門並木大門並木、奥に下馬橋を望む。人力車と休息している車夫が手前に見える。2020-03-06
3春宮鳥居前の並木春宮鳥居前の並木機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。2020-03-06
4大門通り大門通り春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。2020-03-06
5航空写真 大門通上空航空写真 大門通上空上空から見た下諏訪町。大門上空、大門通りの左はじに下馬橋が見える。2020-03-06
6大詔奉戴日の行進大詔奉戴日の行進昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。2020-03-06
7吉澤製材所とさわら並木吉澤製材所とさわら並木春宮前のさわら並木を西側から写したもの。春宮下馬橋の西裏手を流れる御手洗川の水力(水車)を動力として利用をした吉澤製材工所。写真の大きな立木は大門通りのさわら並木。現在は駐車場、住宅になっている。河西政常氏撮影。2020-03-06
8下馬橋より下のさわら並木下馬橋より下のさわら並木大門通り。下馬橋から南を望む。2020-03-06
9大正年間の大門通り大正年間の大門通り大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。2020-03-06
10小田野段丘と砥川新扇状地小田野段丘と砥川新扇状地 機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。2020-03-06
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