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写真タイトル説明登録日
1方言館方言館下諏訪駅前オルゴール通り下諏訪商栄会が、地域の人などのふれあの休憩所として開設した「方言館 およりなんしょ」懐かしい言葉に会えるなど、好評の、広瀬町、方言館がテレビ出演した時の様子。2023-02-26
2方言館開所式方言館開所式下諏訪駅前オルゴール通り商栄会が作った「方言館」。 館内には備え付けのノートがあり、地元下諏訪、諏訪、岡谷をはじめ県外観光客の感想などがたくさん書かれていた。中には方言を交えた感想も書かれていた。2023-02-26
3下諏訪駅通り下諏訪駅通り畠山菓子店、伊東時計店、ディスコナポリほか店が並ぶ駅前通り。2023-02-26
4下諏訪駅構内下諏訪駅構内JRの下諏訪駅。岡谷方面からの撮影。 下諏訪駅開設100周年を記念して、SLが走った時の下諏訪駅の風景。E257系「特急あずさ」、E351系「スーパーあずさ」3番線にはSL「D51」が待機している。2023-10-21
5下諏訪駅下諏訪駅2024-02-17
6航空写真 四王上空航空写真 四王上空写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。2021-04-18
7メーデーメーデー昭和39年のメーデー 駅前集会 日通のトラックをステージに。2023-11-19
8役場分室役場分室下諏訪郵便局は、最初旧本陣岩波方に置かれたが、その後幾度か移転する。 1,明治5(1872)年 本陣岩波方 2,明治25(1892)年 増沢市郎兵ヱ方(旧警察右手前) 3,明治39(1906)年 立町3242(旧警察左手前) 4.大正5(1916)年 大社通5524(小口多郎方隠居所地) 5,昭和25(1950)年 広瀬町(下諏訪駅前通り) 6,昭和57(1982)年に現在の栄町に移転 昭和25年に郵便局は広瀬町へ移転。昭和27(1952)年教育委員会が設置されここで執務を開始、それ以後役場の分室として使用された。写真は役場分室・教育委員会当時のものと思われる。2022-03-19
9下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅上り線ホーム。2022-03-19
10駅前通りスナップ写真駅前通りスナップ写真下諏訪駅前通りのスナップ写真。田村商店。2023-10-03
11聖火ランナー聖火ランナー国体の聖火リレーがオルゴール通り(駅前通り・広瀬町)を得下諏訪駅に向かって走っている。2021-12-18
12出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る下諏訪駅の風景。2020-03-06
13下諏訪駅下諏訪駅明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。2020-03-06
14郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
15出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。壇上には出征兵士、手前には多くの少年少女が整然と並んで見送る様子も見える。2020-03-06
16出征兵士を送る出征兵士を送る出征兵士を送る。下諏訪駅ホームの様子。2020-03-06
17朝の通勤通学朝の通勤通学乗用車の普及で、電車利用の通勤者はひところよりだいぶ減り、駅前の混雑もそれほどではなくなった。JR下諏訪駅前、朝の通勤通学の風景。2020-03-06
18「かまきり」自転車「かまきり」自転車この形のハンドルの自転車(通称かまきり)が高校生を中心に大流行。遊び心が受け入れられたらしい。下諏訪駅横の駐輪場の高校生と「かまきり」自転車。2020-03-06
19下諏訪駅下諏訪駅この電車は国鉄が設計・製造した近郊形直流電車115系、色は湘南色(オレンジとグリーン)。席は青いボックス席。電車に乗り込む乗客2020-03-06
20JR下諏訪駅JR下諏訪駅 JR下諏訪駅改札口前で見かけた、いまはなつかしい「タッツケ」姿の老女。  八ヶ岳山麓に広がる高地「山浦地方」では紺色もすがすがし「タッツケ」が老人たちの日常着と生きているが、町ではほとんど見かけなくなった。  風呂敷包みも珍しくなった。2020-03-06
21下諏訪駅前の風景下諏訪駅前の風景平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。2020-03-06
22承知川の旧発電所承知川の旧発電所承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。2020-03-06
23砥川砥川鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。2020-03-06
24表彰旗授与表彰旗授与昭和36(1961)年3月3日消防庁表彰旗が下諏訪駅に到着。駅頭にて団員及び町民に対して堀内忠夫団長が挨拶。2020-03-06
25バス開通式当日バス開通式当日昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。2020-03-06
26陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。2020-03-06
27陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊水上試験に来諏の際に写す。下諏訪駅を上空から見る。駅周辺にはまだ畑などが見られる。特に駅南側(写真右側)には畑が広がっていて、人家はまだ少ない。2020-03-06
28中央東線開通下諏訪駅前記念撮影中央東線開通下諏訪駅前記念撮影明治38(1905)年11月25日中央東線が富士見駅から岡谷駅まで開通する。このとき鉄道開通祝賀式挙行の案内状が22日鉄道開通式委員総代小口友亀(写真前列中央)の名で発送、25日午後1時10分下諏訪停車場講内で、祝賀式が挙行された。写真は下諏訪駅前にて撮影。2020-03-06
29承知川扇状地と下諏訪旧市街地承知川扇状地と下諏訪旧市街地右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。2020-03-06
30駅前通駅前通下諏訪駅前の風景。2020-03-06
31駅前通り駅前通り下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。2020-03-06
32出征軍人を駅で送る出征軍人を駅で送る下諏訪駅で出征兵士を送る風景。日の丸の旗や出征兵士の名前を書いた幟旗がたくさん見える。終戦近くなると、にぎやかな見送りは禁止となった。2020-03-06
33国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
34駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。2021-05-03
35下諏訪駅下諏訪駅下諏訪駅は明治38(1905)年11月25日開業。 昭和25(1950)年3月に駅舎改築され、写真はその当時の駅舎である。2020-03-06
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