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登録リスト(該当:18件)

写真タイトル説明登録日
1下諏訪町東国民学校下諏訪町東国民学校校門の右の石柱に「下諏訪町東国民學校」、左の石柱に「下諏訪青年學校」「下諏訪實科高等學校」とある。 東国民學校はそれまでの下諏訪尋常高等小學校から昭和16(1941)年に名称変更されている。下諏訪青年學校は昭和10(1935)年に下諏訪實業補習學校と青年訓練所が統合して設立している。下諏訪實科高等學校は大正15(1926)年に通年性補習學校から改称されている。写真は昭和16(1941)年に東国民學校となったときに門柱の名札が付け替えられたとき撮影されたものと推察する。2023-02-26
2下諏訪小学校下諏訪小学校写真上は下諏訪小学校(現下諏訪南小学校の旧校舎)の校門と玄関。写真下は諏訪湖方面からの撮影、学校のまわりは田んぼに囲まれている。 下諏訪学校の「南校」(低学年)が南四王に開設されたのは大正12(1923)年である。さらに昭和22(1947)年に戦後の新しい戦後教育制度のもと「下諏訪小学校」が発足している。また、児童の増加から昭和46(1971)年には新たに「下諏訪北小学校」が開設され、それまでの「下諏訪小学校」は「下諏訪南小学校」として新しい歴史を刻んできている。2022-01-20
3校歌歌碑校歌歌碑下諏訪小学校歌碑「明けゆく空に」の歌碑が昭和37年度卒業生(424人)によって建てられた。2023-02-26
4下諏訪小学校増築記念下諏訪小学校増築記念「下諏訪小學校増築落成記念、昭和二十三年十二月二十八日」。2020-03-06
5学校林に植栽学校林に植栽明治39(1906)年5月12日、下諏訪小学校生徒が植林に参加。この年には赤松18万本を植栽したという。また学校林の位置が分かる地図が「写真が語る下諏訪の百年」 66pにあるので参照されたい。 学校林の植栽の様子は、明治39(1906)年5月12日の「写真が語る下諏訪の百年」88pの写真とこの明治40(1907)年4月28日付のこの写真とが大変よく似ている。山の下と山の中腹の位置が異なるが植樹するための事前に掘ってあったという穴は同じように掘られている。2020-03-06
6下諏訪小学校南校下諏訪小学校南校下諏訪小学校南校雨天体操場。№650,656参照。2020-03-06
7宮坂喜十先生胸像宮坂喜十先生胸像昭和4(1929)年11月18日、宮坂喜十先生謝恩会で胸像を下諏訪小学校南校の校庭入口に建立。昭和18(1943)年3月10日、大東亜戦争で供出したが、昭和26(1951)年10月7日ブロンズに復元する。製作者武井直也。宮坂喜十先生が教職についたのは明治18(1885)年以来44年間ひとすじに教育に尽くしてきた。下諏訪の初等教育の原点を担ったお一人である。「下諏訪の史話」「諏訪大神の信仰」などの郷土史の著者でもある。2020-03-06
8下諏訪尋常小学校下諏訪尋常小学校明治41(1908)年11月3日日露役前からの懸案であった建築の増築校舎が落成。下諏訪尋常小学校、後に下諏訪中学校として使用される。2020-03-06
9下諏訪尋常高等小学校下諏訪尋常高等小学校明治9(1876)年11月建築の下諏訪学校(名称が明治20年から尋常小学校)、玄関とバルコニーと望楼が特徴。写真は大正3(1914)年卒業記念撮影。2020-03-06
10下諏訪小学校奉安殿下諏訪小学校奉安殿運動場南はじに奉安殿を竣工する。竣工式は大正13(1924)年8月。昭和21(1946)年1月に御真影を地方事務所に奉還し奉安殿も姿を消した。2020-03-06
11下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
12奉安殿奉安殿下諏訪小学校(現中学)運動場の南端に奉安殿施工する。生徒たちは登校の際、最敬礼をして通過した。昭和21(1946)年1月御真影を地方事務所に奉環し奉安殿も姿を消した。2020-03-06
13下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。2020-03-06
14下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。 「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。2020-03-06
15下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)建設。平成29(2017)年11月26日の市民新聞で紹介された写真。2020-03-06
16下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設建設中の下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)建設現場(現下諏訪南小学校)。とび職の人たちが命綱も使わずに丸太で三階組の足場を組んだ。2020-03-06
17富ヶ丘から望む高浜富ヶ丘から望む高浜富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。山の手の畑には桑畑が広がっている。2020-03-06
18戦前の下諏訪小学校(現下諏訪中学校と南小学校)戦前の下諏訪小学校(現下諏訪中学校と南小学校)写真上は明治41(1908)年建築の下諏訪尋常高等小学校(現下諏訪中学校の校舎)。第二次大戦中は東国民学校と改称され、青年学校・実科高等女学校を併設していた。写真下は大正12(1923)年に四王に作られた南校(戦争中南国民学校現南小学校)の敷地に、昭和6(1931)年に不況対策事業として建設された小学校講堂である。ともに卒業アルバムの写真で、写真下の講堂の規模は県下有数であった。2020-03-06
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