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写真タイトル説明登録日
1休石休石富部村(第十区)の西、久保村境を流れる小川に沿って、旧道から分かれて下る家下道(いえしたみち)が鉄道を越すところに立つ野面(のずら)の六角棒状の土坂石(つっさかいし)で「休み石」と呼ばれている。 度重なる工事等で元の石はなくなってしまった。現在は別の石がおかれている。2021-12-23
2貯湯タンク跡貯湯タンク跡大正の末から昭和にかけ「富ヶ丘」と名付け高級別荘地にと計画をした大久保氏と宮坂氏。髙木の湖中に源泉を求め豊富高温な温泉を延々2㎞、高い鉄道の土手を押し上げこのタンクに貯えた。はじめに「富ヶ丘温泉」で営業を始めた。タンクにいっぱいになるとお湯は外に溢れ出し地域の人々も恩恵を受けた。残根なことに昭和初期の大不況にあい成功しなかった。2021-12-23
3久保秋葉大権現久保秋葉大権現撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)2020-03-06
4大門先の石燈籠大門先の石燈籠旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。  写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。         2021-04-22
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