キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:4件)

写真タイトル説明登録日
1座繰共同組合施設座繰共同組合施設座繰共同組合施設(平沢町青雲館北)。明治13(1880)年三井、増沢、岩本、岩波、小口が共同繰糸(揚返)所「白鶴社」を創設(現下社秋宮社務所)明治21(1888)年平沢町(現)青雲館北へ移築。なお製糸共同組合白鶴社(共同出荷=揚返)は明治9(1876)年創始の組合で、明治29(1896)年12月23日の信濃毎日新聞には「・・・本年信州にて売上頭は白鶴社となり・・・」と記載されており、町内の七曜社・開栄社ととも製糸業を支える働きをしていた。2020-03-06
2座繰協同組合施設座繰協同組合施設明治13(1880)年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返(あげかえし)所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21(1888)年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。2020-03-06
3信濃蚕業の倉庫取り壊し信濃蚕業の倉庫取り壊しこの倉庫は大正の初めころ製糸会社の繭倉として建てられ、これを移築し蚕種会社が蚕種生産用に使ってきた。黄土色の土壁五層の堂々たる構えは、かつてのシルク王国の繁栄を忍ばせる記念碑的な建物のひとつといってよいものだった。信濃蚕業(イングスシナノ)の木造五層の蚕種倉庫取り壊し。これが地上から消えて、製糸王国はさらに遥かなものになった。2021-04-01
4旧白鶴社の建物旧白鶴社の建物取り壊しが決まった明治9(1876)年創業の製糸組合白鶴社の旧事務所。白鶴社(共同出荷・揚げ返し)は、諏訪製糸の揺籃期(明治初期)から台頭期(同中期)にかけて操業していた二十七の製糸組合の中堅どころだが、諏訪製糸の勃興期(明治後期)に至って、製糸経営が大規模工場へ移行する潮流となり、同業組合の共同揚げ返し所はその使命を終えて淘汰される中で閉鎖となった。その後事務所は他の製糸工場へ移築され、戦後はニットメーカーの事務所として使われてきたが、その事務所も改築されることになり、この年9月28日から取り壊し工事が始まった。2021-04-01
地図で見る


ログイン トップページへ