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登録リスト(該当:6件)

写真タイトル説明登録日
1吉田養蚕伝習場吉田養蚕伝習場「吉田養蠶(蚕)傳(伝)習場」の看板がある。 岡谷市史中巻には「明治18(1885)年政府が蚕糸業組合の設立を令し、諏訪郡には蚕種・生糸の検査を行うことを主として「諏訪蚕糸業組合」が結成され、養蚕技術の普及向上にも努め上諏訪に養蚕伝習所を設けた」旨のことが書かれているが、この写真の詳細は不明である。2021-12-26
2入一通信入一通信入一(いりいち)通信(株)の洋館風の事務所。前進は明治43(1910)年発足の入一組製糸所。そのまた前身は明治34年創業の入○(イリマル)組製糸所。最盛期の大正10(1921)年は1150釜と町内きっての大手工場となり、茨城・静岡と町内に分工場を持っていた。太平洋戦争中製糸技術を生かして通信機用コイル・トランスの生産に転換した。2021-04-01
3三協精機三協精機三協体育館で行われた、精密電子メーカー「技術交流プラザ・技術成果展」会場。一番人気は「絵描きロボット」だった。 三協精機は、昭和21(1946)年当時の北澤工業に勤めていた3人により下諏訪町に三協精機製作所として創立した。かつてはオルゴールのムーブメント製造が看板事業で、一時は世界のオルゴールムーブメントシェア80%を誇った。しかし、現在は、本体としては同事業からは撤退し、子会社の日本電産サンキョーオルゴール株式会社で取り扱っている。 平成15(2003)年に業績不振から日本電産株式会社傘下入りを発表し、社名も日本電産サンキョー株式会社となった。2020-03-06
4広和プレス広和プレス従業員27人の下請け工場。プリンタや磁気ヘッドの部品、精密金型などを手掛け、QCによる品質保証体制をとっていた。小さな町工場で金型技術の修業をした社長(当時49)が26歳の時「自分の腕を試したい」と独立した(有)広和プレス。「より高度な制度を追求」するためのNC機械や三次元測定具などの設備を取り入れている。2020-03-06
5五味工業五味工業五味工業の工場内の様子。小規模工場ながら一台5000万円のマシニングセンタなど高性能機器が並ぶ。工場要員は全員が技術検定取得者、技能オリンピック出場者を3人出すなど技術に磨きをかけている。この会社の会長(当時85)は元生糸商で、工場も製糸所の跡地にある。ここにもシルク王国の遺産が生きている。2020-03-06
6小松工業小松工業西鷹野町工業団地にある㈱小松工業のロングストローク特殊プレス機による冷間塑性加工工場。630トン、600トンのプレス機を使って大型部品を「しぼって」作る。内陸にあって精密工業の発達している諏訪地方では、やや大型の部品を扱う工場は多くはない。技術水準を上げるため、埼玉県から工学博士を招いて指導を受けているという。2021-04-01
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