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写真タイトル説明登録日
1高浜湾近景高浜湾近景令和の時代に入った高浜湾。かつてここが大きく入り込んだ入り江で、漁業や採氷やスケート、観光などで賑わっていた風景は古い時代の写真でしか見ることはできない。ただ、明治時代に開かれた国道20号線や中央東線の線路などは当時と同じ場所にあって人々の生活と深く結びついていいる。「高浜」で検索し、静かな入り江だった場所がやがて埋め立てられ大きく景観が代わってきた様子を見比べていただきたい。2021-06-23
2コスモス街道コスモス街道「コスモス街道づくり」諏訪湖岸の観光と景観美化を兼ね各種26団体が協賛、町民参加によりコスモスの花で湖岸を美化などを目的に行われた。写真は小学生によるコスモスの定植作業の風景。2020-03-06
3ワカサギの採卵風景ワカサギの採卵風景砥川の河口近く、濁った砥川でのワカサギの採卵作業。2021-04-01
4諏訪湖の風景諏訪湖の風景ガラス屋根は「長野県水産試験場諏訪支場アユ種苗センター」隣の赤と緑の看板は「リファイン花岡」、手前が興和自動車販売センター㈱。高浜湾の風景は埋め立てなどにより大きく様変わりしているので、他の写真と比較してその変貌ぶりを見ていただきたい。2020-03-06
5ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合の建物。№742~747関連写真参照。2021-04-01
6ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。採卵受精後木枠(卵わく)のシュロゲヘ卵を付ける作業。ワカサギはキュウリウオ科の魚で口に歯があり動物プランクトンを主食とするので、富栄養湖の諏訪湖に移植され好成績をあげた。この魚は年魚で10ヶ月で成魚になり翌春産卵のため、河川の水温が諏訪湖の水温より高くなれば河川にのぼり始める。2020-03-06
7ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業、暖冬のため三年続きの不振、採卵量は約10億粒と極端にすくなく県外湖沼へも打撃をあたえた。諏訪湖の採卵・孵化事業は長野県水産試験場諏訪市部の指導者によって昭和6(1931)年から六斗川ではじめ、昭和31(1956)年からは砥川でも始めている。 №742~747関連写真参照。2021-04-01
8ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。2020-03-06
9ワカサギの採卵場の池ワカサギの採卵場の池砥川採卵場の池。昭和31(1956)年に諏訪湖漁協の有志が砥川河口でワカサギの採卵を始めた。砥川河口で捕獲されたワカサギは採卵・受精され池の中で孵化を待つ。卵は約20日間で発眼し一週間後に孵化するので、その間に県内外に出荷する。写真は採卵・受精した卵を卵枠のシュロ毛につけて池に浸けている風景である。2021-04-01
10漁船漁船絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上衣ヶ崎の漁船」。諏訪八景にある「衣崎帰帆」の風景がしのばれる絵葉書である。2021-04-06
11諏訪湖高浜湾諏訪湖高浜湾絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。2020-03-06
12諏訪湖畔諏訪湖畔諏訪湖畔。現在の諏訪湖博物館付近の風景。2020-03-06
13高浜埋立高浜埋立埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
14高浜埋立高浜埋立高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
15高浜湾高浜湾諏訪湖で網いけす養鯉業がはじまったのは昭和39(1964)年。その頃の諏訪湖岸(高浜湾)の風情が感じられる写真。2021-03-24
16宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区富部山の手から撮影。冬の高浜湾。2020-03-06
17石投場から望む冬の諏訪湖石投場から望む冬の諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。  高木地区、田中和男氏撮影。2020-03-06
18石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 2020-03-06
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