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写真タイトル説明登録日
1照光寺の仁王像(四王の由来)照光寺の仁王像(四王の由来)照光寺の仁王像は2メートルを超える本格的な中世の仏像。言い伝えによると、文明14年(1472)の大洪水で宮川安国寺から流出し、諏訪湖を漂流した後、下諏訪に打ち上げられたという。像は加須加(春日)仏師の作とも、運慶の作とも伝えられている。当初は上座堂という仏堂に安置されていたというが、後に下社神宮寺の仁王門に移された。製作年は14~15世紀とされている。明治維新で廃仏毀釈が行われ、下社神宮寺所蔵の多くの仏像が照光寺に移管された。仁王像が2体打ち上げられたことが四王の由来とされている。由来については諸説ある。下諏訪町誌民俗編に詳細が記載されている。また、位置情報には仁王門のあったと思われる場所を記載した。2023-12-17
2東明館集会所東明館集会所中村勝五郎文書に「明治三十三年十二月二十六日湯田町集会所建る」とある。この集会所(東明館)は明治40(1907)年の来迎寺の火事の後間もなく焼失したので、大正4(1915)年に現在地(新町上)に再建された。 なお、下諏訪町誌民俗編(417p)には明治32年に湯田町・新町に東明館が建てられたと書かれているので中村勝五郎の文書と一年違っている。 東明館建て替え工事の一連の写真。なおこの工事がいつ行われたかは調査中。2020-07-23
3注連縄作り注連縄作り下の原注連縄作り講習会の風景。正月をひかえ注連縄つくりの講習会が行われた。ふるさとの民俗を残そうと区の公民館主催でこの催しが毎年続けられている。2020-03-06
4みそたきみそたき諏訪地方では味噌をつくることを「味噌炊き」といい、春の彼岸が過ぎる頃、原料の大豆や麹、塩などを用意して味噌炊きの準備を始めた。味噌炊き用具一式を使い共同で作業することが多かった。 写真は味噌玉づくりの様子。味噌玉は2,30日間くらい寝かせた後、洗って水を切り臼で搗き味噌桶に仕込んだ。 昭和40年ころには、味噌玉を造る手間を省き、煮た豆を直接塩・麹を加えながら搗き、仕込む方法がとられるようになった。 味噌炊きについては「下諏訪町誌民俗編」を参考にしていただきたい。2021-03-27
5輦(れん)輦(れん)慈雲寺山門の参道入口から左手の裏に設置されていた輦(れん)。弔いの時、棺おけをこれに入れて担いで墓まで行った。春宮も前を通ることは許されなかったので、石段を登って慈雲寺へ入った。寺の前の庭を3回まわって、死者の方向感覚を失くしてから墓へ向かったと伝わる。2020-03-06
6来迎寺檀家の記念写真来迎寺檀家の記念写真来迎寺。山門前向かって右側の碑は位産上人筆による六方石で建てられた碑。六方石はかんかん石とも呼ばれた玄武岩でできた下諏訪町武居産の石(六方石については「悠久の武居 46p」や下諏訪町誌民俗編p324などに記載あり)2020-03-06
7高木の長持連高木の長持連戦後最初の御柱祭の高木長持連。                           添付名簿後列左から 田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明2020-03-06
8節分祭の記念写真節分祭の記念写真このとき現在の節分祭の形ができた。 この頃は年男60歳と年女20歳が節分祭に参加した。2020-03-06
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