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写真タイトル説明登録日
1市民新聞社市民新聞社地域紙「市民新聞」下諏訪支局のスタッフ。昭和23(1948)年創刊の「岡谷市民新聞社」が翌年から「下諏訪町民新聞」を発行した。昭和46(1971)年から写真写植によるオフセット印刷に移行した。日刊紙でこの方式を採用したのは県下初、全国的にも先駆的な転換だった。2020-03-06
2湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷風景。昭和60(1985)年から写植機を導入、印刷は平台の凸版刷りのタブロイド判4pの日刊紙を発行。昭和32(1957)年創刊。前身の雑誌は「湖国新報」は大正13(1924)年創刊された。大正、昭和にかけて多くの郷土誌紙が発行された。現在新聞は休刊、この建物もなくなり一般住宅となっている。№1102参照。2020-03-06
3南信日日新聞諏訪支局南信日日新聞諏訪支局この町で創刊された地方新聞南信日日新聞諏訪支局のスタッフ支局長・記者3人・事務員一人が勤務。記事はワープロ打ち、電話回線で送稿。この新聞社の前身「南信評論」が明治30年下諏訪町で創刊、月刊誌を発行(後に週刊誌へ)その後明治34年(1901)年「月刊諏訪新報」、その後、「南信日日新聞」と名を変え、さらに「長野日報」となった。本社を諏訪市へ移したのは日露戦争勃発の明治37年(1904)年、この頃日刊紙となっている。2020-03-06
4湖国新聞社湖国新聞社湖国新聞、植字室の風景。 有限会社諏訪日日新聞社が長野県下諏訪町で発行していた日刊地域紙。昭和21(1946)年1月1日に週刊の『民聲新聞』として創刊、その後月10回発行、隔日刊、日刊と移り変わった。市民新聞グループの『下諏訪市民新聞』との競合で昭和61(1986)年から日曜版を発行。しかし部数を奪われて厳しい経営が続き、昭和62(1987)年には減資して有限会社諏訪日日新聞社に改組したり、さらに株式会社井口、株式会社オノウエ印刷と経営者が変遷したが、実売部数が1000部を割り込み、広告収入も減少して経営の見通しが立たなくなったため、平成17(2005)年2月28日付の1万9927号で休刊した。 №1146参照。2020-03-06
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