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写真タイトル説明登録日
1承知川鉄橋承知川鉄橋下諏訪町承知側の氾濫により不通になっている中央東線承知川鉄橋へ「マルチプルタイタンパー」略してマルタイが出動。開通へ向けての作業中。 いつもは夜間の作業が多いこの車輌、日中に動くことは大変珍しい。2023-11-23
2大雨増水大雨増水令和3年の大雨災害は国道142号線の道路の陥没、水月霊園の土手の崩落などの被害があった。 写真は承知川、砥川の増水の様子、水月霊園の土手の崩落翌日の諏訪湖の増水は赤砂の漕艇場付近の様子、波よけ堤防の上部のみが見えるほど増水した。2023-08-24
3承知川承知川河川工事が済み整備された承知川。2023-07-09
4承知川の河川工事承知川の河川工事平成18(2006)年7月19日の豪雨災害後の河川工事の続く承知川。千代田ポンプ付近から諏訪湖に向かっての様子。2023-07-09
5承知川下流の治水工事承知川下流の治水工事承知川は大雨の度に洪水や溢水に悩まされてきた。何度か洪水対策がされてきているが、写真は令和3年春の承知川河口近くの洪水対策事業の工事風景である。左岸には「総合スポーツ施設AFASスワ」がある。この付近は夏になると蛍が多く飛び交うアシ(ヨシ)などの草むらがあり、付近の町民などが夏の夕べにホタル見物し楽しむ光景が見られた。この工事で景色が一変してしまった。2022-03-24
6承知川下流改修工事承知川下流改修工事たびたび溢水してきた承知川の河口部の令和3年6月の改修工事の様子。写真右手は「アファス」だが、この工事の場所は知る人ぞ知る「蛍の発生場所」だったが、その面影は全くなくなってしまった。河川の氾濫と生活防衛は相反する部分もあるが、ここまで護岸工事が進むともっと他のやり方はなかったかと考えさせられてしまう。2022-03-19
7十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川の河口付近。№662の昭和40年代の承知川河口の写真、平成元年の№996や№1089の写真などと比較してご覧いただきたい。2021-06-09
8諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪湖公魚発祥の地碑諏訪藩時代の諏訪湖の漁業は一部の者に限られていたが、明治維新後広く開放され、製糸業の発展に伴い人口が増加し、漁業資源の減少が問題になった。そこで漁業組合は大正4(1915)年から霞ケ浦の公魚を移入し諏訪湖に放流、さらに昭和6(1931)年には人工採卵にも取り組み、全国に出荷するまでになった。写真は承知川河口近くに建てられた記念碑である。近くには「長野県水産試験場」もある。近年はアオコの発生や鳥類の食害、水質の変化など様々な環境の変化の為か、公魚の遡上が激減し、公魚の採卵が大きな曲がり角に立たされている。「ワカサギ」「ワカサギ漁」などで検索し、漁の様子を見ていただきたい。2021-06-23
9承知川の石橋承知川の石橋道沿いの石垣に埋め込まれているこの大きな石は、かつて近くを流れる承知川の石橋に使われていたと伝えられている。重量およそ13tで輝石安山岩の一枚岩である。言い伝えでは武田信玄が川中島の合戦に際し、諏訪大社の千手観音に戦勝を祈願して社殿の建て替えと千手堂に三重塔の建立を約束した。合戦の帰途、信玄がこの橋を渡ろうとすると馬が動こうとしない。信玄は約束を思い出し、下馬して「神のお告げ承知つかまつり候」と申し上げたという。この伝承から承知川と呼ばれるようになったという。また石に刻まれた線刻が信玄の隠し財産の場所を示す地図になっているという話も伝わっていて、歴史ロマンを醸し出す場所になっている。2021-06-03
10土砂に埋もれた線路土砂に埋もれた線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の氾濫による土石流で埋まった中央東線の線路。 この写真では水はだいぶ引いているように見える。2020-09-09
11氾濫した承知川(国道上)氾濫した承知川(国道上)平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。2020-09-09
12氾濫した承知川(線路付近)氾濫した承知川(線路付近)平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。2020-09-09
13濁流、国道を渡る濁流、国道を渡る平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)2020-09-09
14承知川の氾濫承知川の氾濫平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川がはんらん、濁流が道路まであふれ出し、川沿いの民家を襲った。車も濁流に流されている。2020-09-09
15冠水した線路冠水した線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。2020-09-09
16高浜公衆トイレ高浜公衆トイレ湖岸に設けられた公衆トイレ。2020-03-06
17承知川河口承知川河口承知川河口付近。源は大見山(八の字山)の西に発し高浜湾に注ぐ、長さ6.1㎞の川。流れは大きくないが、暴れ川で度々出水し護岸工事も何度か行われている。2020-03-06
18承知川の旧発電所承知川の旧発電所承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。2020-03-06
19承知川扇状地と下諏訪旧市街地承知川扇状地と下諏訪旧市街地右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。2020-03-06
20福沢川の氾濫福沢川の氾濫昭和10(1935)年6月29日砥川・承知川大出水、殊に福沢川の部落内の被害は甚大で、写真は福沢川の橋より東2・3軒目の裏手から砂瓦礫が浸入した様子。2020-03-06
21砥川砥川集中豪雨により砥川の出水、医王渡橋付近。昭和10(1935)年6月29日、砥川・承知川で出水。殊に福沢川の部落内の被害は甚大であった。2020-03-06
22山王台を望む山王台を望む久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。2020-03-06
23山王台を望む山王台を望む大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。2020-03-06
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