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写真タイトル説明登録日
1電話交換手室電話交換手室郵便局は大正5年から昭和25年まで大社通りにあった。その2階に電話交換手室が併設されていた。電報電話局は昭和24年6月に中汐町新局舎へ移転し、その年の12月より電話自動化となった。郵便局は昭和25年8月に広瀬町へ、昭和57年11月に現在の栄町に移転した。2024-03-20
2中央デパート中央デパート国道20号線大社通り交差点(四ツ角交差点)にある衣料品店「中央デパート」は長年にわたり下諏訪町民に親しまれてきたが、令和6(2024)年3月74年の歴史に幕を下ろした。写真は開店前の店先、入口の看板。 以前は手前茶色い建物は菓子店、白い建物は文房具店、人形店、中央デパートと店が並んでいた。2024-03-26
3大社通り大社通り歩道が整備された大社通り(八幡坂)の風景。2023-08-22
4永田小路永田小路現在の永田小路の様子。 国道と平行に阿部奈良屋と土田薬局の間を大社通りから、裏参道へ抜けている小路は今でも通ることができます。2023-02-23
5菅野温泉菅野温泉大社通りの入り口付近は第三区事務所の建て替えにともない菅野温泉付近もリニューアル。中の通路や看板などは以前のままの風景です。2023-02-23
6里曳き里曳き昭和37年御柱祭里曳き。 八幡坂(大社通り)の横には祭りの提灯が見える。 火の見やぐらが見えることから、現在の八幡坂高札ひろば附近での撮影。2021-05-03
7大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
8大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
9小路小路秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。2020-03-06
10進駐軍進駐軍昭和20(1945)年12月、アメリカ進駐軍松本駐屯部隊の監視所が、上諏訪新道分岐点(大社通り四つ角)に置かれた。この時は菅野町入口に2坪の監視所ができ、昭和20(1945)年12月から21(1946)年2月まで10~15人が正木屋(現八十二銀行付近)に駐屯し、銃刀等の取調べをしていた。2020-03-06
11郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
12大社四つ角風景大社四つ角風景国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。2020-03-06
13和田峠黒曜石採掘の跡和田峠黒曜石採掘の跡明治42(1909)年和田峠星ヶ塔(ホシガトウ)の黒曜石を耐火性陶器製造用として名古屋方面に、大正7(1918)年には工芸品加工用として東京へ搬出した採掘場。その後、大正12(1923)年、大社通りの武居保路氏が甲府へ送り加工し販売。昭和(1934)年には菅野町で浜義雄、石埜正太郎が加工品を作って売り出してた。2020-03-06
14道路拡幅中之四ツ角道路拡幅中之四ツ角下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。2020-03-06
15記念写真(下諏訪町役場前)記念写真(下諏訪町役場前)昭和11~13(1936~1938)年。旧役場前(現すわのね)。2020-03-06
16旧下諏訪町役場(立町青塚時代)旧下諏訪町役場(立町青塚時代)立町裏に下諏訪役場新築。明治22(1989)年4月1日に新しい下諏訪村が発足。同年5月31日字青塚(立町裏)に新庁舎開庁、以降大正14(1925)年に大社通りに庁舎が移転するまで36年間この庁舎で町政が取り行われた。第二回下諏訪区会議員当選記念に撮影したもの、尚明治7(1974)年下諏訪村が誕生して以降役場の変遷は以下の通りである。 【明治(1874))10月13日七ヶ村が合併して下諏訪村となる(事務取扱所は本陣方)・明治10(1877)年事務扱所を本陣から下諏訪学校下諏訪学校へ移す。・明治19(1886)年3月役場を学校から来迎寺へ移す。・明治22(1889)年5月31日立町に役場新築。・大正14(1925)年7月17日下諏訪町役場(八幡町)が竣工。】2021-04-04
17旧下諏訪町役場新築落成式旧下諏訪町役場新築落成式大正14(1925)年7月18日八幡町(現大社通り)に下諏訪町役場新庁舎ができる。落成式執行当日の記念撮影。旧下諏訪町役場は現日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」になっています。2020-03-06
18八幡通り改修工事落成式。八幡通り改修工事落成式。八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。2020-03-06
19公民館公民館昭和23(1948)年4月29日、建物がない下諏訪公民館(館長宮坂実之助氏)として発足したが、昭和26(1951)年3月25日西鷹野町の中央車両株式会社の事務所を買収できて、下諏訪公民館として開館する(昭和27(1952)年7月21日開館)。後下諏訪町庁舎が建築され、公民館は大社通り旧庁舎へ移った。現在公民館は下諏訪町文化センター内に併設されている。2022-01-20
20大社通り大社通り秋宮周辺、大社通り。写真手前が下社秋宮。2020-03-06
21祭り祭りお祭風景、長持が見える。2020-03-06
22旧下諏訪町役場旧下諏訪町役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
23旧下諏訪町役場棟上旧下諏訪町役場棟上明治7(1974)年に下諏訪村成立した。旧本陣、下諏訪学校、来迎寺と仮役場を移転し青塚東方に新役場ができた。さらに大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。博物館の写真では、大正13(1924)年11月25日検査執行となっている。落成は翌大正14(1925)年7月18日である。2020-03-06
24三国座落成記念写真三国座落成記念写真駅前から四ツ角方面の振興を目的に友之町の本通り・大社通り・菅野町・駅通りの商工業者が映画館「三国座」を建設した際の関係者の記念写真。昭和29(1954)年9月1日にオープンし、「ローマの休日」を上映した。諏訪の都座の系統で当時珍しかった洋画も上映した。昭和47(1972)年9月25日閉鎖された。館名は一般より募集した。(撮影日は下諏訪町誌参考)2020-03-06
25秋宮周辺航空写真秋宮周辺航空写真勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。2020-03-06
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