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写真タイトル説明登録日
1繭の運搬風景繭の運搬風景軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。2020-03-06
2座繰り製糸座繰り製糸下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。座繰り(ざぐり)は座って人力で道具を動かし繭から糸を手繰りながら糸枠に巻きとる作業のこと。またその道具のこと。2021-04-01
3座繰り製糸座繰り製糸シルク王国の生き残り、老工女が支える10釜の座繰り製糸工場。67歳から82歳の13人の工女で超高齢化工場だが早い手さばきで糸を取っている。国用製糸を支えた老工女たち。「家にシコっている(①うずくまる②かかむ③じっとこごまる(かがむ)の意味)より、こうして糸を取っているほうがよっぽど楽しい」と。下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。昭和4(1929)年からの世界恐慌を境に製造業は没落の道をたどり戦後は精密・電子・ニット業などに転換する工場が相次いだ。昔ながらの座繰り機械で操業を続行する工場は、当時全国でも下諏訪と岡谷の5~6社だけと言われた。この年の秋には町内の座繰り製糸工場は2社に減っていた。2021-04-01
4旧第1保育園旧第1保育園旧第1保育園。大正15(1926)年下諏訪保育園設立、当時は県下でも保育施設の草分けであった。現在は四区公会所として使用されている。 この保育園は、大正時代下諏訪が国用製糸全盛期に、それに従事する母親のために下諏訪町幼児保育会が誕生、町内有志による資金によって園舎が建設されたという。2020-03-06
5第一保育園第一保育園久保(現下諏訪中学校庭南)に大正15(1926)年1月19日下諏訪保育園を設立。この保育園は県下保育施設の草分けだった。大正時代に入ると町の国用製糸は一層盛んになり大正14(1925)年には62工場、就業者数1240人に達した。その工女の半数が既婚で共働きが多かった。乳幼児を抱えた就業は大きな課題となっていた。大正14(1925)年6月に友之町にテスト会所した託児所を保育園として開設したものである。2020-03-06
6松沢製糸所松沢製糸所松沢庄吉氏が大正4(1915)年国用機械製糸を創業。最盛期には中核的存在となり、下諏訪町を県下随一の国用製糸集団地(66工場)となす。終戦末期統制法下で廃業した。2021-04-01
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