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登録リスト(該当:43件)

管理番号写真タイトル説明登録日
2566清水橋清水橋清水橋より見た、平成18(2006)年7月豪雨災害時の砥川の様子。2024-02-15
2565社東町付近社東町付近社東町付近の砥川の様子 砥川の水面(川の流れ)が住宅地より高い(天井川)ということがよくわかる。2024-02-15
2273クリクリ梅雨のころ強い匂いが漂う。雄しべと雌しべが同じ花茎につく。2021-10-07
2230石尊大権現石尊大権現この碑は現在秋宮駐車場横にあるが、以前は秋宮境内にあった。祭神は雨乞いに格別効果のあるという大山祗神でご神体は石劔といい古くから石尊大権現の名で知られていた。2021-12-23
2204土砂崩れ土砂崩れ平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。2020-09-09
2203土砂に埋もれた線路土砂に埋もれた線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の氾濫による土石流で埋まった中央東線の線路。 この写真では水はだいぶ引いているように見える。2020-09-09
2202氾濫した承知川(国道上)氾濫した承知川(国道上)平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。2020-09-09
2201氾濫した承知川(線路付近)氾濫した承知川(線路付近)平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。2020-09-09
2200濁流、国道を渡る濁流、国道を渡る平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)2020-09-09
2199承知川の氾濫承知川の氾濫平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川がはんらん、濁流が道路まであふれ出し、川沿いの民家を襲った。車も濁流に流されている。2020-09-09
2198冠水した線路冠水した線路平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。2020-09-09
2197北四王ガード下の冠水北四王ガード下の冠水平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 冠水した四王のガード下。2020-09-09
2168エゴノキエゴノキ梅雨のころ、白いベル2020-09-09
2057ヒメイズイヒメイズイ姫萎蕤(ヒメイズイ)。 イズイとはアマドコロのことで小さなアマドコロ。 梅雨のころ密やかに咲く。2020-09-09
1761明治天皇駐輦址明治天皇駐輦址明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したという。後日「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の記念碑」を建立した。 ちなみに、石投げ場の名前は、ここから石を投げれば諏訪湖に届くところから生まれた名称である。2021-12-26
1168二年詣り二年詣り諏訪大社の二年詣り。午後11時頃から人手が急に増え12時近くには、境内は身動きできない人波で埋まった。やがて元旦午前零時、地元有線テレビのサービスによる時報が響くと、わあーっという歓声が上がり、お賽銭の雨がとんだ。 歓声を上げて賽銭を投げる人たちの様子。2020-03-06
1128お舟祭りお舟祭り平成元年、お舟祭りの時代行列の一風景。2020-03-06
1034水田にネットを張る老夫婦水田にネットを張る老夫婦稲出穂、田んぼへ防雀(防鳥)ネットを張る。「梅雨までの天候不順で生育が遅れている」という、この田の品種は「トドロキワセ」。2020-03-06
1006梅雨明けの街梅雨明けの街梅雨明けの街、高地の光がまぶしい。平年比では一日遅いが前年より12日早い梅雨明け。2020-03-06
972出勤風景出勤風景平年とほぼ同じ時期の梅雨入りの朝の出勤風景(入一通信前)。2020-03-06
968十四瀬川のフナすくい十四瀬川のフナすくい湖から小川(十四瀬川・古川・うなぎ沢)へ産卵にのぼるフナをすく子どもたち。雨で増水するとどっとのぼって来て、バケツ一杯も取れる時がある。子供たちは、目の色を変えて夢中で魚を追いかけていた。写真は十四瀬川のフナすくい。2020-03-06
954第60回メーデー第60回メーデー第60回メーデーに登場した消費税絶対反対のプラカード。この日は雨天のため町体育館で行われた。この年は消費税実施もあり政治の焦点となっていた。リクルート問題も絡んで内閣が二つもつぶれる騒ぎになった。2020-03-06
874寒の雨寒の雨厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。2020-03-06
840昭和最後日の諏訪湖昭和最後日の諏訪湖下諏訪町東赤砂湖畔から東南方、諏訪市方面を望む(湖面の標高759m)この日の午後6時33分、昭和天皇が崩御。天候は曇りから雨に。気温-1.0℃(最低)~10.2℃(最高)暖冬の朝の諏訪湖。2020-03-06
764ジャスコ店内風景ジャスコ店内風景この冬は超暖冬。大寒というのにこの日も雨。町内の大型スーパー「ジャスコ」では冬物バーゲンが加速していた。「ジャスコ」は「イオン」になり平成30(2018)年8月末に建て替えのため一時閉店した。2020-03-06
657下諏訪小学校南校下諏訪小学校南校下諏訪小学校南校雨天体操場。№650,656参照。2020-03-06
635下諏訪尋常小学校雨中体操場下諏訪尋常小学校雨中体操場写真左に「下諏訪尋常小学校雨中体操場小屋組。明治四十一年四月撮影」と書かれている。2020-03-06
534砥川の大氾濫砥川の大氾濫明治38(1905)年6月19日の集中豪雨。浮島の右岸が決壊、東山田字若宮地籍へ浸水した。砥川にかかる橋のうち富士見橋をのぞいた全てが流失した惨状を数日後に撮影。この時医王渡橋流失、牛枠・木流し・杭などが見える。右手茅葺屋根は友野家。2020-03-06
529東講社行屋修復完成記念東講社行屋修復完成記念東講社(あずまこう)行屋修復完成記念の写真。茅葺屋根にトタンがかけられた。東講は東山田の旧家で組織していた。駒ケ岳大権現をまつり行屋を持ち不動の滝・御(お)山と呼ばれる霊場もあり、かつては行者の修行も盛んに行われた。古くは雨ごいの霊場にもなっていた。2020-03-06
511四阿屋(あづまや)四阿屋(あづまや)明治25年、紫庭庵金桃(本名小口正衛 安政6年生まれ第2代村長・第5代町長)が武居の雨後庵町長の庭先へ四阿(あづまや)を建てる。この四阿は郡内の俳人を読んで句会開催するため、諏訪湖を一望できる武居の高台に建てたもの。 俳人金桃らもしばしば句会開いた武居の雨後庵前の四阿屋(あずまや)。2020-03-06
509八幡通り改修工事落成式。八幡通り改修工事落成式。八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。2020-03-06
407砥川砥川集中豪雨により砥川の出水、医王渡橋付近。昭和10(1935)年6月29日、砥川・承知川で出水。殊に福沢川の部落内の被害は甚大であった。2020-03-06
405医王渡橋より下流を望む医王渡橋より下流を望む昭和9年10月の大豪雨により砥川が出水した。医王渡橋から見た砥川下流の出水の様子。町誌下巻89pには、この時雨量坪3石2斗だったとある。2020-03-06
276諏訪湖氾濫諏訪湖氾濫昭和36(1961)年の集中豪雨で氾濫した時の諏訪湖。写真手前の上諏訪側の湖岸はかなり水につかっている。特に諏訪湖の南側は諏訪湖が広がったように見える。また下諏訪高浜や高木と思われるあたりの湖岸も水に浸かっている様子が遠望できる。下諏訪町第三区の年表(近現代)には「6月28日、豪雨で十四瀬川氾濫、西赤砂4戸床上浸水、30余戸床下浸水の被害を受ける」とある。また、諏訪市史には「諏訪市の被害は浸水家屋2,680戸、橋梁流失5、浸水日数8日」と記載されている2020-03-06
242和田嶺合戦90年祭和田嶺合戦90年祭元治元(1864)年、総勢1000人の水戸浪士軍は尊皇攘夷の実行を迫るため中山道を上って来た。11月20日、これを迎え撃つ諏訪藩・松本藩と雨中の戦いとなった。この合戦の戦死者は諏訪藩6名、松本藩4名、浪士軍10数名であった。のちに両軍戦没者を慰霊する浪人塚が立てられた。 和田嶺合戦90年祭。昭和29(1954)年10月20日撮影。2020-03-06
194梅雨明け集中豪雨梅雨明け集中豪雨砥川出水時の医王渡橋下。2020-03-06
193梅雨明け集中豪雨梅雨明け集中豪雨上流より見た砥川。水防のために置かれた牛が見られる。2020-03-06
192梅雨明け集中豪雨梅雨明け集中豪雨砥川「浮島」付近の出水状況(昭和7年7月8~11日)2020-03-06
191梅雨明け集中豪雨梅雨明け集中豪雨砥川の洪水。昭和7(1932)年7月8~11日の梅雨明けの集中豪雨で大出水。写真は浮島付近。 江戸時代に成立したと思われる下社七不思議のひとつとされる「浮島」。春宮の横を流れる砥川の中の小島で夏越しの神事が行われる島だが、濁流の中さながら浮きあがって見えている。2020-03-06
175下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。2020-03-06
174下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。 「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。2020-03-06
172下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)建設。平成29(2017)年11月26日の市民新聞で紹介された写真。2020-03-06
171下諏訪小学校南校雨天体操場建設下諏訪小学校南校雨天体操場建設建設中の下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)建設現場(現下諏訪南小学校)。とび職の人たちが命綱も使わずに丸太で三階組の足場を組んだ。2020-03-06
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