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登録リスト(該当:308件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2579
旅客列車
D51旅客列車 手前の電柱は国鉄の通信線の「はえたたき」 *「はえたたき」日本国有鉄道収容感染の線路沿いに立ち並んだ電柱(鉄道電信柱)の通称名。
2024-02-12
2578
準急列車リゾートふるさと
「リゾートビューふるさと」JR東日本が開発した次世代型ハイブリット気動車【エネルギーを貯蔵する鉄道車輌】。2014(平成26)年5月17・18日、6月14・15日の4日間長野エリアのハイブリット観光気動車・HB-E300系「リゾートビューふるさと」による臨時快速列車『リゾートビュー八ヶ岳』が、松本~中込間で運行されたのに伴い下諏訪通過。 小海線を走った。
2024-02-17
2543
しなの鉄道
2015(平成27)年3月14日北陸新幹線金沢延伸に伴って、 信越本線長野~直江津が経営分離され、このうち長野~妙高高原が「しなの鉄道北しなの線」として再スタートを切った。 2010(平成22)年7月4日長野総合車両センターの115系団体臨時列車「フォーク夢列車」が下諏訪-神城間で運行されたが、これはその時と同じ列車である。 この時すでに運用が終わっていたのでやはり臨時団体列車だったかもしれない。
2024-02-08
2538
普通列車
国鉄211系電車 飯田線の普通列車 1985(昭和60)年に登場した直流近郊型電車である。 当時は日本国有鉄道(国鉄)が国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)により設計・製造された。中央本線を走行する211系はJR東海の運用。
2024-02-07
2533
花火列車
諏訪湖祭湖上花火大会開催時は、普段は都心で走行しているれっさyが応援に來る。こちらは中央線快速列車に使用されている201系。 ※ 諏訪湖湖上花火大会も他の花火大会と同様、多数の花火客に対応するため臨時列車が運転されます。 特に諏訪湖湖上花火大会開催時は、周辺に配置されている車両のみでは足りないため、都心で走行している車両も駆けつけます。普段その列車が走行しない地域で運転されるため、その珍しさから多くの鉄道ファンが撮影に訪れます。撮影者も花火打ち上げまで暇つぶしのためしばらくその様子を眺めていました。(百瀬氏)
2024-01-28
2530
検測専用電車
下諏訪~岡谷間 クモヤ443系は日本国有鉄道が1975年に製造した。 線路や架線の状態などを測る「検測専用電車」で下諏訪へも時々姿を見せていた。 民営化後はJR東日本が所有していたが車両は2003(平成15)年に廃車となった。
2024-01-28
2520
貨車
国鉄シキ800形貨車は1973(昭和48)年から1996(平成8)年にかけて計3両が製造された日本国有鉄道の大物車である。
2024-01-25
2519
いろどり
「いろどり」何かのイベント列車、雪があるから初詣列車か 東日本旅客鉄道(JR東日本)が2007(平成19)年~2017(平成29)年まで保有していた鉄道車両(電車)で、ジョイフルトレイン(団体専用列車など)と呼ばれる車両。JR東日本長野支社が1995(平成7)年から所蔵していたジョイフルトレイン「浪漫」の後継列車。
2024-01-25
2517
蒸気機関車 C1266
現在真岡(モオカ)鉄道にいる「カマ(機関車)」の30年前の姿。 当時上諏訪機関区には3両のC12がいた。C1267は茅野市に保存展示されている。 C1266は木曽福島から会津若松、そして旧川俣線が廃止される前日の営業最終列車の後、自力で川俣駅へ回送されたと聞いている。 ここで保存された後真岡鉄道で復活、NHK4の朝ドラにも出演、地味な現役時代とはまたひと味違った姿になっている。 復活後はまだ見ていないがそのうち会いに行こうと思う。 【百瀬氏文】 C12形式SL 文化財として27両が全国的に保存されている。C1266とC12777号が動態保存に復元されて、それぞれ真岡(モオカ)鉄道と大井川鉄道で運転されている。
2024-01-24
2516
蒸気機関車C56
下諏訪駅での533列車。 上諏訪機関区 入換専用機C56 102 C56は「国鉄C56形蒸気機関車」国鉄の前身鉄道省が製造した小型軽量テンダー式。 愛称は「シゴロク」「シーコロ」
2024-01-18
2511
彩(いろどり)
イベント列車 (雪があるから初詣列車か) 東日本旅客鉄道(JR東日本)が2007(平成19)年から20017(平成29)年まで保有していた鉄道車両(電車)で「ジョイフルトレイン」と呼ばれた車両。 JR東日本長野支社が1995(平成6)年から所蔵していたジョイフルトレイン「浪漫」の後継列車。
2024-01-28
2509
記念ポスター
鉄道100周年、下諏訪駅開業100周年記念ポスター。 下諏訪の飲食店とのタイアップで作ったと思われる。
2024-01-11
2504
テレホンカード
国鉄(日本国有鉄道)最後の記念のテレホンカード。 このカードは昭和62年4月に国鉄分割民営化されたときに作られた。
2023-12-28
2502
儀象堂記念腕時計
下諏訪駅開業100周年記念に作られた「儀象堂記念入場券腕時計」7月から始まった関連行事、「時の科学館・儀象堂」の記念入場券を兼ねた腕時計の絵柄。 ※「諏訪湖時の科学館儀象堂」(下諏訪町)にて11月30日まで写真展示(140枚)・鉄道グッズ(あずさのヘッドマーク・D51番号板・行き先表示板など)の展示販売。Nゲージ・アニメキャラクターなどの鉄道模型。 また、入場にはD51の写真を文字盤に利用した「腕時計フリーパスポート券」(1500円)で期間中、何度でも入場可能。その他、鉄道時計を展示。〔明治時代のウォルサム(米国)から2000(平成12)年復刻のセイコーまでの25点〕時計のフリーパスポート券は通常価格2500円の商品、かなりお値打ちで記念になりそう。
2023-12-17
2498
D51蒸気機関車
中央線開通100周年記念SL号のD5149。 下諏訪-岡谷間を40年ぶりに力走。 秋の諏訪平を走り抜けた。 中央線富士見-岡谷間開業100周年記念SL号(D51498) 1905(明治38)年中央線富士見-岡谷間が開通して100年。 鉄道によって産業が盛んになり大きな変化を地域にもたらした。 地域は駅を拠点として発展してきたが時代の変遷とともに社会構造も変化した。
2023-12-14
2492
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
2491
敬愛社の宝光院
宝光院は敬愛社の道場として大正9年12月25日に造築された。棟梁は原田佐蔵。大正10年に本尊不動尊両童子付木像が奉祀された。武田苞信作。同年護摩壇が新調された。院内正面に不動尊像は安置されておりその手前に護摩壇がある。正面左手には仏像・祖霊壇(昭和8年築)が祀られている。ここに神仏習合の形態が見られる。
2023-09-29
2490
敬愛社の心霊術講習
写真には「昭和11年心霊術講習」との記載があるが、「敬愛社小誌」の年表によると、昭和10年の欄の続きに「真言秘密法、甲賀流兵法の講習会を開く」との記述がある。
2023-09-24
2489
敬愛社の神変大菩薩と聖寶理源大師の碑
神変大菩薩の碑は昭和7年9月真言宗醍醐派修験道諏訪宗務支庁設置記念として建立された。書は真言宗醍醐派管長大僧正平之亮禅。高さ1.86m。神変大菩薩とは役の行者(役小角えんのおづぬ)のことで、1799年(寛政11)には,朝廷から役の行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られた。役の行者は奈良時代大和金峰山の修験僧として密教を修業したと伝えられている。 聖寶理源大師の碑は昭和7年9月信濃分教会設立記念として建立。高さ1.38m。聖寶は当山派修験の祖と仰がれる平安初期の真言僧で、理源大師はおくりなである。醍醐寺を創建し、金峯山で金剛蔵王菩薩を祀り、また大峰山の中興者ともされる。
2023-09-24
2488
敬愛社の法光不動と泰力不動
昭和13年9月、敬愛社に法光不動碑と泰力不動碑が建立された。法光不動碑は高さ0.95m、泰力不動碑は高さ0.97m。写真には唐木石工場の文字の入った法被を着た職人がみられる。
2023-09-23
2486
宝光院落成
大正9年、19坪(63㎡)の道場「宝光院」を造築した。 それまでは講頭や社長の家で修業や祭事を行っていたものである。
2023-09-23
2484
宝光院の滝
慈雲寺石段改築に伴い宝光院前に大滝を作る。
2023-09-23
2482
白鷺山
正平年間(1350年代)下の原村の北方にある千鳥の山の中央の岩が燦然と光るので苔を払ったところ不動の2文字が現れ、村人は不動明王が姿を現したとして崇めたと伝えられている。そののち宝暦のころ白鷺が巣をかける兆しがあったので以後白鷺山と呼ぶようになった。敬愛社は修験道の伝承を今日に伝え活動をしているが、白鷺山中央の岩に不動の2字を刻んで本尊とし、その岩上に石尊大権現の小祠を祭って崇敬していた。安永6(1777)年下の原村の旧堂に奉詞していた石尊大権現の御社を白鷺山に遷座した。
2023-09-20
2459
子どもみこし
子どもみこがお舟祭りの日に披露。 国道20号、友之町附近での撮影。
2023-02-23
2439
徳本上人の名号塔(浪人塚)
下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。幕末の動乱期、尊王攘夷の熱意に燃えた武田耕雲斎(こうううんさい)率いる水戸の天狗党浪人隊が、尊攘の心情を京都にいる一橋慶喜に訴えるため上洛の途についた。中山道の要所でもある下諏訪宿は藩主忠誠が幕閣入りしていたこともあり激戦の場となり被害も大きかった。この戦いを和田合戦・砥沢口合戦・樋橋戦争と呼ぶ。戦いの後、千草山のふもとに亡くなった浪士を改葬し塚を作ったこれが浪人塚で当時は戦死塚といった。
2022-03-19
2437
徳本上人名号塔(髙木薬師堂跡)
下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。 「諏訪藩一村限村地図」にも記されている諏訪百番の西25番札所。明治6(1873)年に念仏堂は、高木学校になりその後下諏訪学校に合併。現在は取り壊されている。 薬師堂にあった石造物(庚申塔・三十三夜供養塔・地蔵尊)は道路わきに移し並べられている。
2022-03-19
2429
ユキワリソウ解体図
ユキワリソウ(サクラソウ科)雪割草 1枚目:ユキワリソウ 低山帯~亜高山帯の岩場や草地に生え、高さ10~15cm。名は雪が解ける直後に開花するから。白花品をシロバナユキワリソウという。 2枚目:オオミスミソウ(キンポウゲ科) 山地の木陰に生える。3~4月に開花し葉は越冬して花後に新葉に変わる。花色は変異が多い。 葉の形や大きさでスハマソウ、ミスミソウにわける。 3枚目:ユキワリソウ葉裏 新潟ユキワリソウ街道で有名な花は、実はミスミソウ・オオミスミソウをいう。下段左写真はオオミスミソウ。また、同右写真の葉裏はユキワリソウで、金色に輝く。ユキワリソウは八方尾根で、7月17日撮影分
2021-11-11
2414
ハネミギク(ハチミツソウ)解体図
ハネミギク(ハチミツソウ)キク科 町外れの道路沿いや里山に一歩入ると、8月には黄色い目立つ大型植物。 一般図鑑には一切掲載されていないので、なかなか同定できなかった。 帰化植物は古代から、特に明治以降には増大してきたが、こうした新顔にこれから付き合うことになる。 茎はあまり分岐せず、高さ1.8mほどになる。茎には翼がある。直径4cmほどの黄色い頭状花を多数つける。舌状花は3~8枚で、開花後下方に垂れる。
2021-10-26
2410
ノボロギク・サワギク解体図
ノボロギク&ボロギク(サワギク)キク科 ノボロギク ヨーロッパ原産の1年草で、明治初期に帰化した。 道端や畑に生え一年中花が咲いている。和名は野に 生えるボロギクという意味で、繁殖力が強い。 サワギク サワギクは別名ボロギクという。沢筋や林縁など、湿 ったところに咲く多年草。花期6~8月。 葉は深く羽状に裂ける。頭花は舌状花を7~10個付 け、果実の冠毛の様子からボロギクと。 ※史前帰化植物ー有史以前日本に移住した人により、稲 などにまざって運ばれたもの。水田や畑の雑草が多 い。オナモミ・エノコログサ・カヤツリグサ・オヒシ バ・アキノノゲシなど。 ※旧帰化植物ー大陸との国交が開始された江戸時代中 期。畑などで春開花し、夏までに実になる雑草が多い。 ※新帰
2021-11-09
2409
ニリンソウ群落
ニリンソウ群落(キンポウゲ科)二輪草 新緑の中で、ひときわ白く輝くニリンソウの 群落。上高地で明神池から徳沢にかけて、山道の両脇に見事に咲き誇っている。地下茎が横に這い、その先から数枚の根生葉と、1~2本の花茎を立て、林の中に繁茂。 写真は徳沢園のハルニレの大樹の根元を覆い尽くしていた。足元にはヤマエンゴサクの青紫色や桃色のものが、またタカネザクラのさわやかな淡紅色の花が近くに咲き誇っていた。
2021-11-09
2404
ツユクサ解体図
田畑のあぜや道ばたに生える1年草。朝露がさかんにおりるころ、花が咲くので、露を帯びた草という意味からこの名。 俗名トンボグサ。
2021-11-02
2401
ツルドクダミ・ヒヨドリジョウゴ
ツルドクダミ(ガシュウ) タデ科 地中の大きな塊根を「何首烏」ガシュウという。何という老人が、これを服用し、髪の毛が常に烏のように黒かった伝説。根は滋養強壮剤、茎は失眠症によい。享保5年1770中国から吉宗の時代に小石川植物園で栽培した。今は野生品が多い。 ヒヨドリジョウゴ(ナス科) 鵯上戸 ヒヨドリが赤い実を喜んで食べることから名が付いた。道端や山にはえるつる性の多年草。 全草にやわらかい腺毛が密生する。葉は裂けないものと、3~5裂するものとある。 花はナスの花同様、白色で深く5裂する。 果実は球形で、赤く熟す。花期8~10月。小生は小諸で初見し、今回2回目に見た。 図鑑では、普通にあると記されているが、なかなか目にできない。(石川記)
2021-11-02
2376
キランソウ解体図
キランソウ(シソ科)金瘡小草 道端や岩の多い草地など、乾いた所に生える多年草。 紫の古語「き」、藍色の藍の字か重なって、青みの強い紫といういわれもある。 別名「地獄の釜の蓋」:根出葉がしっかり地面を覆い、 蓋をしているから。 別名「医者殺し」:薬効が鮮やかで、皆が医者通いの必 要がなく、医者が収入が途絶える。 この花のように、根生葉の広がりを「ロゼット」と呼び、ロゼットはローズ(バラ)からきており、上からみるとバラ模様です。身近な冬越しの植物のロゼットを探してみましょう。
2021-10-29
2375
キバナバラモンジン解体図
キバナバラモンジン(バラモンギク)キク科 黄花婆羅門参 ・一昨年今頃、下諏訪富士見橋近くの砥川べりにて初 見。その後確認してきたが、再見できず、和名は分か らず、幻の花だった。 ・今回南箕輪村上伊那農業高校中の原農場入り口脇の水 路フェンス側に見つけた。手持ち図鑑では該当がな く、果実の様子からキク科をHPで調べ、ようやくキ バナバラモンジン(バラモンギク){バラモンジン 属}と判明。 果実はタンポポの果実を巨大化したようで、すでに風 散布で散ったものがある。草丈は大きいものは50c mほど、道端の痩せ地では15cmほどで、いつか砥 川べりでみたものとほぼ同じ大きさであった。欧州・ 西アジア原産。1877年頃食用or鑑賞用に渡来。1 911年までに逸出し、帰化
2021-10-29
2335
メナモミ
鱗片も総苞片も粘液腺があり、べたつく。山地や道端に生える一年草。
2021-10-14
2333
ミヤマナルコユリ
ナルコユリに比較し、茎は細く、花数は少ない。御射山林道で初見。
2021-10-14
2245
カゼクサ
道路や土手に見られ、風知草という名前がカゼクサに変わった。 道ばたに多いので、ミチシバともいう。
2021-10-02
2227
休石
富部村(第十区)の西、久保村境を流れる小川に沿って、旧道から分かれて下る家下道(いえしたみち)が鉄道を越すところに立つ野面(のずら)の六角棒状の土坂石(つっさかいし)で「休み石」と呼ばれている。 度重なる工事等で元の石はなくなってしまった。現在は別の石がおかれている。
2021-12-23
2223
貯湯タンク跡
大正の末から昭和にかけ「富ヶ丘」と名付け高級別荘地にと計画をした大久保氏と宮坂氏。髙木の湖中に源泉を求め豊富高温な温泉を延々2㎞、高い鉄道の土手を押し上げこのタンクに貯えた。はじめに「富ヶ丘温泉」で営業を始めた。タンクにいっぱいになるとお湯は外に溢れ出し地域の人々も恩恵を受けた。残根なことに昭和初期の大不況にあい成功しなかった。
2021-12-23
2222
一里塚
五街道の一つ甲州道中ははじめ甲府までであったがその後下諏訪宿まで延び中仙道と合流、この間を末(うら)街道と言った。この塚は江戸より五十三里(約212㎞)で街道最終のものだった。明治21(1888)年払い下げられ昔の姿を消した。碑は昭和37(1962)年12月に若宮倶楽部の呼びかけで建てられた。
2021-12-23
2221
若宮社標
富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。
2021-12-23
2216
道祖神と庚申の碑
これらの碑はもとは村の辻に祀られれ、村人たちの厚い信仰を受けていた。 博愛館の新築の頃は前庭に飾られ、富部温泉ができると庭の北隅へ移り(昭和39(1964)年6月)、新しい公民館ができ現在の場所に移りました。
2022-06-08
2211
宝光社(敬愛社)
2021-04-22
2210
龍の口
2021-04-22
2202
氾濫した承知川(国道上)
平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。
2020-09-09
2201
氾濫した承知川(線路付近)
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。
2020-09-09
2200
濁流、国道を渡る
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)
2020-09-09
2199
承知川の氾濫
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川がはんらん、濁流が道路まであふれ出し、川沿いの民家を襲った。車も濁流に流されている。
2020-09-09
2198
冠水した線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。
2020-09-09
2190
オオモミジ霜降る
県道八島高原線(199号)11月初め、落ち葉に霜が降り、いよいよ冬到来だ。
2022-01-19
2152
ウシハコベ
ハコベには多くの種類があるが、花びらが10枚に見えるものもすべて5枚。 道端や畑に生える、2年草。 ハコベより大きいことからこの名がつけられた。
2021-08-09
2142
イヌゴマ
実の形がゴマに似るが、使い道がないのでイヌとついた、イヌ○○は同様の意味。
2021-06-27
2041
下諏訪上空(西赤砂付近)
赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。
2021-04-18
2040
航空写真 四王上空
写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。
2021-04-18
2036
ベニマシコ
「ベニマシコ」アトリ科 全長15cm 翼開長21cm ユーラシア東部で繁殖し冬渡来する。初冬「フイッフイッ」と草むらでかすれたような声で鳴く、草の中で夢中になって餌をついばむのを見ることもあるが、たいていは知らずに近づいて飛び立たれ気づく。北海道、東北の一部では繁殖し夏の雄は深い紅色となりあでやかである。
2021-03-04
2023
ヤマセミ
「ヤマセミ」カワセミ科 全長38cm 翼開長67cm 北海道から九州にかけて春夏秋冬見られ、どの季節でも似合い、違和感もなく風景に溶け込んでしまう不思議な鳥だと思う。主食は魚で河川の改良などで数を減らしている。日本のカワセミ類の中では最も大きい。
2021-03-04
2008
講演会?
演題後ろに張り出されたものから、廣池千九郎(ひろいけちくろう)氏の講演会と思われる。 廣千九郎は、慶応2(1866)年生まれで日本の法学者、歴史学者、後年は道徳教育者で、モラロジー(道徳科学)の提唱者。また、道徳科学専攻塾(現在のモラロジー研究所・廣池学園)の創立者。 詳細不明・
2020-09-08
1997
浪人塚の例祭
元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。
2022-03-19
1996
浪人塚の例祭
元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。
2022-03-19
1995
浪人塚の例祭
元治元(1864)年水戸藩の尊王攘夷を叫ぶ急進派(天狗党)の約800(1000)人ほどの浪士隊一行は中山道を和田峠を越えてやってきた。これに対し高島・松本両藩は幕命を受け、11月20日に樋橋で迎え撃ち激戦を広げた。戦いは戦慣れした浪士隊が両藩を打ち破り下諏訪宿に入ることになった。「和田嶺合戦」「砥沢口合戦」「樋橋合戦」などと呼ばれる。この合戦で命を落としたのは浪士勢14~5人、松本勢4人、高島勢6人であった。明治2(1869)年高島藩は浪士のために戦士塚を造り、翌年には水戸に照介して6名の名を刻んだ碑を建て供養した。その後、25・50・70・90・100年祭などを催している。
2022-03-19
1986
剣道優勝記念
剣道優勝記念。詳細は不明だが、日中戦争、太平洋戦争へと進むにつれ、剣道は戦力増強のために利用され盛んになった。写真も一般的に現代人が思い描く「剣道」のスタイルとは異にしている。
2020-09-08
1984
第三区騎馬奉納
戦後初めての御柱祭。友之町の未舗装国道にて撮影。 後方に屯所の火の見櫓が見える。
2022-06-09
1927
東山田農家組合
「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。
2022-01-18
1924
和田峠トンネル
雪の和田峠トンネル。
2022-03-10
1923
旧和田峠トンネル工事関係の建物
旧和田峠トンネル工事関係のいろいろな建物。
2022-03-10
1892
諏訪湖上で弓道
高浜沖諏訪湖上で弓道を楽しむ。詳細不明。 1891と関連写真。
2020-08-02
1891
諏訪湖上で弓道
諏訪湖上、高浜沖と思われるところで弓道を楽しむ。詳細不明。1892と関連写真。
2020-08-02
1859
水月公園さくらまつり
戦後、「水月公園さくらまつり」で行われていた「広告コンクール」の一風景。
2022-03-13
1829
旧和田峠トンネル工事
(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)
2020-08-02
1799
旧和田峠トンネル工事
昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。
2024-03-17
1784
霞城館
山王台にあった霞城館。右奥に忠魂碑が見える。写真左端に長持ちが一竿、正装で弓道か。
2021-12-26
1757
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
1755
秋葉山の展望台
秋葉山に設けられた展望台。水月会で戦後の昭和21(1946)年1月から水月園の復興に着手、28(1953)年4月秋葉山一帯を公園化することを条件に下諏訪町に寄付。町では秋葉山に展望台を設け自動車道を開きつつじ・かえで・桜を植えた。
2021-12-26
1748
東山田長持ち
東山田には「道中長持ち」「大社御用長持ち」「藩御用長持ち」「御騎馬御用長持ち」「御祝儀長持ち」がつたえられていいて現在の姿は大社御用長持ち。 写真上には「東山田区の長持ち札 越後将軍徳川忠輝公筆と穪(ショウ?)す 東山田区でハ之の長持ちを先頭に純特の足取りで練る 此の長持の飾付は特徴あり 寛永年間(1630)のもの」と書き込まれている。
2022-05-03
1652
御騎馬
春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。
2022-05-12
1631
御騎馬
東山田法泉寺にて御騎馬行列勢揃い。 江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺にて撮影。 1630の写真は、「東山田今昔」(16p)に掲載されており、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
1630
騎馬行列
江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺寺にて撮影。 この写真は「東山田今昔」(16p)には、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
1607
奉射(ぶしゃ)会
下諏訪町の弓道会の歴史は古く大正13(1924)年といわれている。諏訪大社御射山奉射(ぶしゃ)会、お舟祭り射会など秋宮の境内をはじめ場所を変えながら仮設道場を作り奉射会を行ってきたようだ。諏訪大社秋宮前(現在のトイレがある近辺)で行われた奉射会のようだ。
2022-03-13
1589
弓道の練習風景
学生の服装などから当時の様子がうかがえる。 手前の男児生徒は下駄をはいている。
2021-12-21
1567
諏訪大社秋宮
神楽殿に大注連縄がない、社務所は現在と同じ、参道の階段は整備済み、東郷平八郎の掲額がない、狛犬がない…など現在とは様子の違う秋宮境内。
2021-11-03
1544
石投げ場
昭和40(1965)年の北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。埋め立てが終わっているが、湖畔の整備はまだ途中で桜やカリンの並木はもちろん湖畔道路も整備途中で波打っているように見える。
2020-03-06
1537
鎌倉街道
小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。
2020-03-06
1536
大社通り
大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)
2020-03-06
1534
湯田坂
国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。
2020-03-06
1532
街並み
国道142号(R142・湯田坂と衣文坂の交差している付近)から見た「うらかめや」、奥に見えるのが「児湯」。
2020-03-06
1531
天白の坂道
142号線(宮の上バス停近く)よりハイム天白方面(秋葉山から続く斜面)に登る急坂。坂の上には町指定文化財の横穴式の石室をもつ古墳時代末期の古墳、「ジジ穴・ババ穴古墳」がある。
2021-04-15
1529
街並み
旧甲州街道(甲州道中)、下諏訪中学校近くの建物、建物横に見える長い棒ははざかけ棒と思われるが、土壁とともに懐かしさを感じさせる。
2020-03-06
1525
久保秋葉大権現
撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)
2020-03-06
1524
街並み
旧甲州街道(甲州道中)。上久保(下諏訪中学校)付近の街並み。このカーブの先右には土田墓地がある。
2020-03-06
1523
商店
旧甲州街道沿いにあった「青柳商店」の改築工事風景。現在は住宅となっている。後ろに見える建物は今はない「ホテル山王閣」。
2020-03-06
1517
製糸工場の面影
「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。
2021-04-21
1512
入一通信裏手
桜町から御田町へ抜ける道。入一通信の裏手付近。画面左下は現在、「教職員秋宮住宅」となっている。
2020-03-06
1511
旧中山道
旧中山道、武藤工業裏手付近。
2020-03-06
1509
商店
湯田仲町にある宮坂商店(化粧品店)。右手の道を直進すると旧中山道。
2020-03-06
1506
お稲荷さん
龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。
2020-03-06
1504
進駐軍
昭和20(1945)年12月、アメリカ進駐軍松本駐屯部隊の監視所が、上諏訪新道分岐点(大社通り四つ角)に置かれた。この時は菅野町入口に2坪の監視所ができ、昭和20(1945)年12月から21(1946)年2月まで10~15人が正木屋(現八十二銀行付近)に駐屯し、銃刀等の取調べをしていた。
2020-03-06
1499
綿の湯
大正13(1924)年着任した柳沢警部補から、衛生保安の立場上、三湯(綿の湯・児湯・旦過の湯)とも改築の急務を力説されて、第二区では「綿の湯」をはじめ、三湯の改築に取りかかることになり、まず綿の湯から着手することになった。写真は大正14(1925)年8月、旧中山道沿い突き当たりの立町に建て直された綿の湯である。この時、階下は消防屯所で二階は集会所とし、二階屋上に火の見の望楼をのせた。 綿の湯はこの後、昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート建築に改築されている。 綿の湯には伝説が2つ伝わっている。一つは建御名方命(たけみなかたのみこと)の妃である八坂刀売命(やさかとめ)が上社から下社へ住まいを移す際、上社前の温泉の湯を化粧綿に浸み込ませて持参し、下社前に置くとそこから湯が沸き出たというもの。もう一つは、穢れ
2020-03-06
1463
コスモス街道
「コスモス街道づくり」諏訪湖岸の観光と景観美化を兼ね各種26団体が協賛、町民参加によりコスモスの花で湖岸を美化などを目的に行われた。写真は小学生によるコスモスの定植作業の風景。
2020-03-06
1459
湖岸道路開通
昭和63(1988)年に開通した湖岸通り線竣工開通式。
2020-03-06
1312
湯田坂
湯田坂、坂の下から写したもの、まだ昔の街道筋の雰囲気が残る。紐で子どもをおぶう婦人たちの姿が懐かしく見える。
2020-03-06
1311
湯田坂
湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。
2020-03-06
1276
諏訪湖の漁業
貝掻(か)き。淡貝(からすがい)をかく漁具を諏訪湖では「貝かき」と呼ぶ。諏訪湖で取れる貝は蜆(しじみ)・淡貝(からすがい)・たにしなどだが漁獲は蜆が圧倒的に多い。貝かきの道具は蜆じょれんよりやや大型のもの。
2021-04-21
1274
諏訪湖の漁業
えび押し漁。藻草の中にいる小エビを専用の道具使う漁法、片手押しと両手押しがある。
2021-04-21
1271
下諏訪駅
明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。
2020-03-06
1268
郵便局
下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。
2020-03-06
1265
運送馬車
荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。
2020-03-06
1250
御柱祭
御柱祭。坂道沿いに提灯などが飾られている。
2020-03-06
1224
お舟祭り
お舟祭。そろいの格子柄の長持ち衣装を着た人々。長持ちの箱には下社の神文(カジノ葉)をあしらったもの(下社のカジノ葉は根の部分が5つ)見える。
2020-03-06
1219
お舟祭り
お舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。
2020-03-06
1206
小料理屋
御田町にあった料理や「や寿た」(やすだの表記)の建物。昭和24年の町勢要覧(ほがらかお料理やすだの広告)。1970年の商工名鑑飲食店にも店の名が載っている。 場所は衣文坂ジュミー美容室隣、道路を挟んだ御田町寄りにあった。
2020-03-06
1204
鉄鉱泉本館
夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした、旧中山道筋の一角。かつては坂下に温泉旅館が並び、しっとりとした湯の町風情がただよっていた。このあたり、製糸業の全盛期には芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だった。写真は今も旅館業を営む創業が明治初頭の「鉄鉱泉本館」。
2020-03-06
1201
砥川河口の橋
完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3社あった。この橋は湖岸管理道路としての架橋で幅6メートル、長さ32メートル。これに伴い湖岸約1.7キロメートルに高さ1メートルの築堤が始まった。その後この一帯は、赤砂崎公園として多目的グラウンドや多目的広場、ヘリポートなどに再整備されている。
2020-03-06
1190
デイバイデイ岡谷店
町の西南部、土地区画整理事業で昭和51(1975)年に開通した幹線道路沿いに進出した山梨県竜王町に拠点を置く新手の安売りチェーン店デイバイデイ岡谷店が開店。諏訪圏では2店目、。家電・日用品・スポーツ用品などが売られていた。
2020-03-06
1182
木の下町の民家
木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。
2020-03-06
1181
県道岡谷・下諏訪線
湖に近い新開地の県道。いわゆる「ジャスコ通り」。湖畔の美田地帯が土地計画事業で生まれ変わった。20m幅の県道沿いに大型店が進出し、この地方でも指折りの商店街に成長した。
2020-03-06
1176
立町温泉洗濯場
湯の町へ登る坂の中間、細道を入った裏町にある「温泉洗濯場」。近くの「初音源湯」から湯を引き、四つの町内にまたがる83戸が組合を作り維持している。年会費1000円、貯湯タンク(上)を設けてあるので蛇口の湯量を調節できた。湯の町でもこのような施設はここだけだった。
2020-03-06
1175
ジョギングロード
完成したジョギングロード。埋立地の町道湖岸通り線を5憶3200万円かけて改良した。3m幅のジョギング道・緑地帯・車道・並木・自転車・歩行者道という構成でで22m、道路は整備された。
2021-04-01
1174
舟道
富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。
2020-03-06
1173
旧社東町公民館
旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。
2020-03-06
1170
星ヶ丘温泉掘削起工
町の温泉開発第四号井起工。空中探査で山の手の住宅団地内に掘削地を選定、1300mの深井戸を一億1800万円かけて掘ることになった。これに続き町内の建設会社が、国道和田峠線沿いでボーリングに着手、この年町内で4本の温泉井が掘られた。
2020-03-06
1167
釜洞商店
辻の八百屋さん、正月を迎える準備も整う。御田町通りの角にあるこの店、製糸全盛時代には、わらで焼くおいしい焼き芋で人気を集め、近くに並ぶ大手製糸工場の工女たちの買い物でにぎわったものだという。店の軒先に、新年を迎える七五三(しめ)が飾りつけられている。道の向こう側は本屋さん(三澤屋書店)。№1154参照。
2020-03-06
1164
黒曜石採掘
和田峠は我が国の代表的な黒曜石の産地で良質の原石を出すことで知られている。 先史時代から採掘されていた。 写真上は、星ケ塔黒曜石原産地遺跡の黒曜石採掘坑道(旧式)。 写真下は新式の黒曜石採掘坑道。
2020-03-06
1160
黒曜石採掘
黒曜石採掘の切羽。マタギの里として知られる秋田県から働きに来ている作業員が、削岩機で手堀している。日採堀量は約60㎥という。坑道の総延長は15kmに及ぶ。掘り出された原石はフヨーライト(軽量断熱、防湿、防音建材)・ビーナスライト(造園用緑化用土壌改良剤)の商品名で出荷されている。日出荷量は約二百立方メートル。和田峠は、わが国の代表的な黒曜石の産地で、原石を出すことで知られる。先史時代から採掘され、近代に入ってからは、大正時代から工芸品の材料として利用されたが黒曜石パーライトの工場ができたのは昭和45(1970)年。その後、昭和48(1973)年からは大手資本が入ってフヨーライトの工場となった。
2020-03-06
1158
東山田の辻
「蚕神」碑「道祖神」、「庚申碑」が並ぶ村の辻。養蚕が盛んだったj頃は、蚕は暮らしを支えるものとして「お蚕さま」と呼ばれていた。東山田地区は旧長地村。諏訪大社春宮とのつながりが深く、下社五官がこの里に住んだ時代もあった。古くは、正面に登る道は「人棺小路」と呼んでいたらしい。(葬列が通った道のこと)
2020-03-06
1155
屋敷神
甲州街道中高木村にあった政屋(橋本屋)の屋敷神。明治18(1885)年上諏訪新道(国道20号)の開通までは料理も出し営業していた甲州道中の道中茶屋として栄えていたが廃業。一時ユースホステルにもなっていた。
2020-03-06
1153
菅野温泉
市街中心地にある区営温泉「菅野温泉」の入り口。表通り(国道142号線)からトンネルのような通路を経て湯に至るあたり、独特の雰囲気が漂う。坂の上にある財産区の浴場とは違って、第三区という平地部の地区が、近代製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年、財産区から湯をひいて、秋宮の参道・八幡坂の坂下に開設した。このあたり一帯を古くから友の町といい、昔は下諏訪宿の外れだったが、このころは町の北部地区を代表する商店街になっていた。
2020-03-06
1143
第一配水池
町上水道第一配水池。
2020-03-06
1138
魁塚
赤報隊幹部処刑の地、魁塚。慶応4(1868)年、江戸城後略の「官軍先鋒嚮導(きょうどう)隊」の旗を掲げて下諏訪宿入りした「官軍赤報隊」は東山道軍総督から偽官軍の烙印を押され、捕らえられた相楽総三ら幹部8人は3月3日、下諏訪宿外れの「はっつけ田」で斬首された。 魁塚正面中央の碑が相楽以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣が追分坂本で戦死した金原忠蔵ら4人の招魂碑。中央墓碑に向かった右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城(いしがき)東山の招魂碑。地元の相楽会を中心に毎年4月第一日曜日に供養祭を行っている。
2020-03-06
1133
漁業者の家
富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。
2021-04-01
1132
華道教室
勤め帰りに華道教室のお稽古。お師匠さんは国鉄職員の奥さんで、自宅に作業所を造り、マイクロモーターなどの線材の圧着の仕事をしていた。すわ湖工業地帯らしい風景。
2020-03-06
1126
宵祭り
7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。
2020-03-06
1120
上水道配水池
町上水道配水池の内部(写真上)・集水井(写真下)の点検作業の様子。
2020-03-06
1118
熊野神社の例大祭
熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1117
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1116
熊野神社の例大祭
東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1109
秋宮の七五三柱(しめばしら)
秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。
2020-03-06
1104
鷹匠の家 岡村家
岡村家住宅。鷹匠の家、諏訪では珍しい曲がり屋づくりである。数年前に、茅葺から瓦屋根に変えたが、他は江戸時代のつくりを守っている。鎌倉時代、一時期、幕府が諏訪神社以外の鷹狩りを禁じた。そんな伝統を継ぐ諏訪藩のお鷹匠の家である。画人天竜道人はこの家の離れに住んで、鷹の四季の姿を写生したと伝えられている。
2021-04-15
1094
鉄鉱泉本館
夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした旧中山道筋一角。坂下に温泉旅館が並び、しっとりした湯の町情緒がただ用。このあたり製紙業の全盛期には、芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だったという。鉄鉱泉本館の夜景。
2020-03-06
1092
土田墓地の六地蔵
土田墓地の六地蔵。お彼岸の墓参りの前に六地蔵に線香を手向ける人たち。この墓地には鷹や葡萄の画人天竜道人が眠っている。またこの墓地の北側の甲州道中側には石仏(弥勒菩薩像)がある。
2020-03-06
1084
中央高速バス
朝の中央高速バス(下諏訪バス停)。下諏訪から新宿までの所要時間は約3時間。運賃は3060円、この日8時13分発の便には女性5人が乗車。「ちょっと買い物に」という人もいた。名古屋までは3300円(約3時間20分)。12月22日からは大阪行きの運転も始まった。「メガネイガワ」「犬飼家具店」の看板も見える。
2020-03-06
1083
斧立(よきたて)社
斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。
2020-03-06
1082
ききょうや
。旧宿場時代からの看板が人気の下諏訪温泉の旅館「ききょうや」。前身は旧下諏訪宿の中心、問屋場と「綿の湯」のある辻の旅籠屋で、文化2(1805)年刊の街道の案内書「木曽路名所図絵」にもその建物と看板が描かれている
2020-03-06
1081
新鶴本店
名代「新鶴の塩ようかん」の店。本州のほぼ中央にあって海から遠い諏訪地方は、昔から塩をことのほか大事に扱ってきた。その塩をようかん造りに生かしたところに独自さがある。明治6(1873)年創業で、十勝産の小豆だけを使い、茅野市産の寒天を使って、職人さんが火力の強いナラ薪を燃やして煮詰め、木船に流し込んで練り上げるという、昔ながらの製法にこだわっている。店は秋宮の脇、旧下諏訪宿の面影を残す一角にある。江戸末の画人天龍道人が住んでいたという案内板がこのすぐ横にある。
2020-03-06
1076
アヒルを飼う
テーラーを営む上條さんは仕事の合間に湖に注ぐ砥川の土手で四季の花を植え、アヒルを飼って楽しんでいた。自宅前の砥川でアヒルを飼う上条さん73歳、弓道4段の腕前だった。
2020-03-06
1067
古川の流れ
下水道効果で澄んできた町なかの川。どぶ川同然の汚れだったが、下水道の普及とともに水質改善が進み、水草も見られる流れになってきた。昭和63(1988)年から子どもたちの夏休み行事としてマスのつかみとり大会も催されている。
2020-03-06
1064
弁当屋
ほっかほっか亭(弁当屋)の店頭。町の南部、20m道路沿いに開店したテイクアウトの弁当屋。昼時になると車で買いにやってくる客が店頭に並ぶほどだった。売れ筋は幕の内弁当と焼き肉弁当(400円)スポーツ弁当(500円)。当時町内にはこの系列店が2軒・すし弁当店2軒・コンビニエンスストアーでも弁当を扱っていて「お弁当商売」ますます盛んになっていた。
2020-03-06
1062
英語授業風景
下中の外人講師による英語授業。下諏訪町では昭和59(1984)年度から外国人講師を雇っている。平成元(1989)年度予算は460万円。講師はカリフォルニア大学学院生(28歳)日本史専攻・柔道初段。写真は中学二年の授業風景。
2020-03-06
1061
芭蕉翁奥の細道
芭蕉「おくのほそ道」から300年、町出身の日本画家・中村静思の代表作「芭蕉翁奥の細道」を中床にかけて楽しむ所蔵者。静思は諏訪出身の矢沢弦月門下、帝展などで活躍した。昭和38(1963)年70歳で没した。絵に描かれた曽良は諏訪の人、静思は曽良の描き方に工夫を凝らしている。
2020-03-06
1053
公共下水道工事
進む公共下水道建設、200mm管渠の敷設工事。諏訪湖流域下水道は、昭和43(1968)年秋に起きた湖水の重金属汚染騒ぎから、政府のてこ入れもあって建設が急がれた。昭和49(1974)年着工、昭和54(1979)年に一部開始された。工業配水も受け入れたため、終末汚泥の処理が悩みの種となっている。この町の下水道普及率はこの年の3月末で79.0%で県下一だった。現在はほぼ100%。
2020-03-06
1052
町上水道
完成後60年、町水道配水池の集水井などを点検する水道施設係長。製糸の町の上水道は、製糸業の一層の発展も目的に昭和2~3年に建設(総工費38万円)された。
2020-03-06
1044
奉射会の矢渡し
8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。奉納会はこの年67回目を数えた。
2020-03-06
1043
夜の木の下
大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。
2020-03-06
1042
夏の夜の御田町
夏の夜の「御田町」交差点付近。道路左手に福田屋と右手にステップカサイの看板が見える。
2020-03-06
1035
アカウオ釣り
早朝、市街地の小川(諏訪湖に流れ込む古川の河口近く)へのぼるアカウオを釣る男性。下水道の普及で市街地を流れる川もきれいになり魚たちが戻ってきている。諏訪地方でアカウオと呼ぶのははコイ科の魚で、産卵期になると体が婚姻色で赤みを帯びてくるウグイをさすことが多い。河川に群で上がる姿が見られる。
2020-03-06
1030
諏訪湖岸
連日の猛暑でアオコの湖に。下水道の普及とともに、湖の水質はわずかながら改善されてきているのだが、晴天続きでアオコが急速に増殖し、湖面は緑のペンキのような色になって、岸うつ波もべったりと重い。さらににおいも伴うこともあり目にも鼻にも早い改善が望まれる状態だった。
2020-03-06
1014
お舟祭り宵祭り
諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。
2020-03-06
1013
合宿風景
駒場高校剣道部の合宿練習風景。後ろに諏訪大社下社春宮境内東側に残る古い階段が見える。
2020-03-06
1012
下の原の幟立て
「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。
2020-03-06
1009
萩倉林道開通式
萩倉林道開通式。延長3970m、足掛け8年かけて完成した。総事業費3億1100万、円道幅は平均4m下諏訪町水月公園上と萩倉を結ぶ新設林道。写真は萩倉から峠に入る林道の入り口に建てられた記念碑の前。
2020-03-06
1005
坂道のある風景
衣紋坂を坂下から見た写真。坂の上の欅が繁っているあたりが諏訪地方唯一の前方後円墳「青塚」。そのすぐ北側を東西に通る旧中山道に沿って旧下諏訪宿が開けていた。
2020-03-06
1000
友之町津島神社宵祭
江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。
2020-03-06
977
西赤砂の交差点
西赤砂交差点風景。西大路交差点からm上諏訪方面の坂道を撮影。
2020-03-06
976
つがるの袋かけ
夏至。中型店の進出が目立つ20m道路沿いのりんご園で早生種のつがるの袋かけに精を出す主婦。この町のりんご栽培面積は昭和38(1963)年の35.4ha(昭和39年の837tが最高)をピーク(収量は昭和39年の837トンが最多)に、都市化の波に洗われて減少の一途をたどり、昭和52(1977)年には15ヘクタール(収量294トン)となった。その後わずかに増えたものの横ばい状態で、昭和62(1987)年は20ヘクタール(460トン)となっている。さらに平成18(2006)年には10ヘクタール(202トン)とさらに減少している。
2020-03-06
969
大社四つ角風景
国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。
2020-03-06
966
中古車センター
新開店の中古車センター、清水モーター(株)営業所。平塚市に本社を持つ業者で、土地区画整備地の幹線道路沿線へ進出した。「東京価格」がセールスポイント。当時町内中古車販売業者は6社であった。
2020-03-06
961
電線地中化の高浜信号機
電線地中化の湖畔道路の高浜信号機。この地方で初めて電線地下埋没が実現、使用が始まった。この道路はジョギングロードも合わせて整備が進めらている。
2020-03-06
957
新和田トンネル
大型連休で普段静かな峠の国道142号線も車の台数が増えていた。それでもピークの夏場には及ばない。新和田トンネル口。 令和4(2022)4月1日午前0時より無料になった。
2020-03-06
950
洋菓子チェーン店開店
20m道路沿線(通称・ジャスコ通り)には店舗の進出が続いた。山梨県に本社を持つ工場直売方式の洋菓子チェーン店「シャトレーゼ」がこの日開店。この道沿いにはジャスコの開店以来目覚ましく発展しており、町の中心が南部へ移動しつつあった。
2020-03-06
934
剣道協会の新年度発会式
剣道協会の新年度発会式、この年の会員は68名。
2020-03-06
917
旧国鉄官舎
木造平屋の旧国鉄官舎。現在はJR東日本官舎が町営球場の道向かいにある。
2020-03-06
916
信濃蚕業
下諏訪駅東にあった信濃蚕業、現在は(株)イングスシナノに社名が変わった。
2021-04-01
896
湯田坂
湯田坂、右手のオレンジの建物が旦過の湯。続いて鉄鉱泉の看板、道路北側の電柱が見える。その後環境美化がすすみ現在片側(北側)の電柱はなくなっている。
2020-03-06
895
花見新道からの景色
花見新道(国道142号線)から見た下諏訪町の風景。中央のシルバー屋根は御田町「武藤工業㈱諏訪工場(旧ヤシカ)」その奥が「入一通信工業㈱諏訪工場」
2020-03-06
884
高木村の風景
高木の村内。
2020-03-06
882
高木村の風景
高木の村内。
2020-03-06
875
座繰り製糸
下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。座繰り(ざぐり)は座って人力で道具を動かし繭から糸を手繰りながら糸枠に巻きとる作業のこと。またその道具のこと。
2021-04-01
869
レコードレンタル店
湖畔町花岡家具店の道向かいにあったレコードレンタルショップ「友&愛」この年大手書店「平安堂」に押されて、この月をもって閉店となった。
2023-04-20
864
座繰り製糸
シルク王国の生き残り、老工女が支える10釜の座繰り製糸工場。67歳から82歳の13人の工女で超高齢化工場だが早い手さばきで糸を取っている。国用製糸を支えた老工女たち。「家にシコっている(①うずくまる②かかむ③じっとこごまる(かがむ)の意味)より、こうして糸を取っているほうがよっぽど楽しい」と。下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。昭和4(1929)年からの世界恐慌を境に製造業は没落の道をたどり戦後は精密・電子・ニット業などに転換する工場が相次いだ。昔ながらの座繰り機械で操業を続行する工場は、当時全国でも下諏訪と岡谷の5~6社だけと言われた。この年の秋には町内の座繰り製糸工場は2社に減っていた。
2021-04-01
852
大鳥居のある街角
春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。
2020-03-06
820
御湖鶴モロミ仕込
地酒「御湖鶴」の蔵元。モロミ仕込(最終日)この道40年の杜氏を始め酒造り衆は5人いずれも郡内の農家の人たち。米だけによる本作り戻っている。オンザロックでも飲める超辛口も出している。 御湖鶴酒造は、大正元(1912)年下諏訪町御田町にて創業。 大正7(1918)年10月『下諏訪酒造株式会社』として法人設立。 大正11(1192)年『菱友醸造株式会社』に改称。 平成29(2017)年4月22日付で事業停止、同4月25日付で破産開始決定。平成30(2018)年2月、福島県いわき市の運送会社『磐栄運送』が、『菱友醸造』の土地や設備などを買い取って御湖鶴ブランドを引き継ぎ、同年秋に仕込み開始、12月10日に新酒の販売を開始している。
2020-03-06
811
高木村の風景
高木の村の風景。 4枚目の写真は津島神社への登り口。 坂を上った右手には旧第六保育園があった。
2020-03-06
809
道路粉塵掃除
スパイクタイヤの粉塵清掃。街がかすむほどのひどい粉塵に耐えかねて、商店街が町の補助金を受けて集塵機を購入、掃除につとめている。このころスパイクタイヤの使用禁止を求める声が年ごとに強くなっていた。 やがてスパイクタイヤが使用禁止になり、スタッドレスタイヤが普及して今では全く見かけななくなった風景である。
2020-03-06
786
栄電社の店内
赤砂にあった栄電社(後のエイデン)の店内。名古屋が本拠地のこの店は中央道に乗って諏訪へ進出したが平成20年代末に閉店した。
2020-03-06
777
上段の間の雛人形
かめやホテル上段の間の雛人形。旧中山道下諏訪宿の本陣遺構のうち上段の間を中心とする一郭が、湯宿「かめや」の特別室として使われている。「絵の間」に続く中の間に飾られたひな壇。 この宿、宇野浩二の前期の連作「諏訪物」の舞台になったことで知られ、芥川龍之介の地元の芸者に送ったラブレターなども展示されるなど、多くの文人墨客が来遊した。
2020-03-06
775
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。
2020-03-06
771
竜の口
慈雲寺山門下にあるの龍の口。銘に「西山田邑山田清左エ門・金右衛門・近辺連中」とあり、手洗鉢には「願主西山田村山田平蔵和哉」とある。これら山田氏は横川村に住む石工であった。 「生涯学習ガイドブック1歴史編」には、慈雲寺入口の石段の右脇にあり、中山道を通る旅人の喉をうるおした。作者は現岡谷横川の山田清左エ門・金石衛門。文政8(1825)年作で、高遠石工の流れをくむものであると紹介されている。 「写真で見る下の原」には、慶応元(1865)年竣工、石工は現岡谷横川の石工山田平蔵和哉である、と紹介されている。 水石榴の側面に「花・清・水」と彫ってあるというが、現在は風化が進み読みにくくなってしまっている。 今でも清水講の皆さんが水石榴や周辺の清掃を続けているという。
2020-03-06
770
修験道の初午祭
修験道の初午(はつうま)大祭の様子。 江戸時代後期に入ると村々に講が生まれ、行屋が造られ行者(山伏)が活躍したという。その名残を伝えるのが宝光院敬愛社で宝暦4(1754)年に白鷺山に湯殿三山講として開講したのが始まりという。安永7(1778)年に羽黒山から宝光院の院号を受けている。明治に入っていろいろな弾圧、土地の没収に遭ったが活動は続き、大正8(1919)年には真言宗醍醐寺派の指導で敬愛者として結成し、翌年には現在地に道場を立てた。 初午が最大の祭りで護摩を焚いて家内安全などを祈る。
2021-04-22
765
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。
2020-03-06
756
下諏訪駅前の風景
平成元(1989)年のJR下諏訪駅前風景。平成2(1990)年駅前の通りに「オルゴール通り」の名が付いた。№393と比較して見ていただきたい。 下諏訪町の商店街の中心は、かつては旧宿場町から坂下の国道20号線沿線へと移ったが、町南部に新商業地区が形成されるにい従い、北部の商業地区の中心はこの駅前に移りつつあった。しかしモータリゼーションが進み、現在はこの駅前も活気ある賑やかさから置いて行かれることになっている。
2020-03-06
749
りんごの樹の剪定
リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじなど)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39(1906)年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まると記録されている。。
2021-03-27
733
テニスコート
町営球場テニスコート。昭和20年代には野球場側のみであったが、道路側にあった屋外バレーコートが室内になり、テニスコートが拡大された。
2020-03-06
723
東餅屋
和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。
2020-03-06
712
伏見屋商店
伏見屋商店。現在は店じまいしてしまったが、矢木東の国道20号線添いで多種の雑貨を商っていた伏見屋の店先である。店員の法被に「カネジョウ伏見屋店」の文字が染め抜かれている。看板には「伏見屋商店」とともに、「畳表・かや・荒物・□□・足袋・雑貨」などと書かれている。
2020-03-06
708
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
707
旅籠屋(はたごや)の看板
はたごやの看板。当時の下諏訪宿の看板をはじめとする資料は「宿場街道資料館」に保存展示されているのでぜひ見学に出かけていただきたい。(入場無料)
2020-03-06
706
下諏訪宿風景
明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。
2020-03-06
699
蕉鹿庵前の酒宴
写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。
2020-03-06
695
東俣の木馬と木馬道
観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。
2020-03-06
691
垂木岩(タルキイワ)
西餅屋立場下手にあった垂直に切り立った垂木岩。ここには垂木岩の断崖に直角に穴を穿って角材をはめ込み、川側に柱を立てて橋桁(はしげた)を支え、その上に板を載せて橋とした桟橋(かけはし)がかけられていた。旅人にとっては肝を冷やす場所で、特に雪の降る冬は足元もままならないほどだったという。明治10(1877)年和田峠改修の時、間道ができてなくなった。
2020-03-06
690
和田峠黒曜石採掘の跡
和田峠トンネル西口200m手前国道沿いの黒曜石採掘場。昭和23(1948)年頃の吉沢太七郎の旧抗を清水明氏が写す。工業用材としては昭和31(1956)年小野田セメント㈱がホシガトウ及び東餅屋で断熱材として、また昭和45(1970)年からフヨーライト㈱が和田トンネル西方で採掘して本社に搬出している。
2020-03-06
688
湯田坂
湯田坂上より湯田町を望む。
2020-03-06
687
湯田坂
湯田坂上より湯田町を望む。現在は電柱のない坂道となっている。
2020-03-06
685
東俣の田ぬるめ
写真中心付近、道を隔てて一段高いところに一つのぬるめがあって、そこで温められた水が田圃の中のぬるめへみちびかれる。(本山氏水田)※同じ写真を撮った写真が別にありその説明に東俣とメモが残されている。
2020-03-06
680
和田義盛の刀石
明治37(1904)年古峠(旧中山道)の石小屋下にあった和田義盛の刀石が、水月会員の出払で慈雲寺中庭に移された。この石は砥川石(安山岩)の側面に刀を突き通したという穴が三つあいている、(樹形と推定される)鉱物学的に貴重なもの。和田義盛は鎌倉時代初め(1147-1213)の人。侍所別当だったが北条氏と対立し挙兵したが、一族とともに滅ぼされた。
2020-03-06
675
道路拡幅中之四ツ角
下諏訪町大社通り四つ角西の友の町本通りで道路拡張工事の始まった頃。足場のあるのが改装中の中央デパート、右角は八十二銀行と信用金庫支店(信金はその後春宮大門先へ移る)不二屋の向うにパチンコ屋(タマキ)の看板も見える。 友の町本通り街路拡張工事は、昭和37(1962)年に着工、昭和41(1966)年に竣工している。
2020-03-06
669
お花見新道の桜並木
明治32~3(1899~1900)年ごろ桜が植えられたというお花見新道、そのお花のトンネルが大戦中に切り残された一部を写した写真。現在では一般的に「花見新道」と呼ばれる。
2020-03-06
666
和田峠開削
大正12(1923)年7月下諏訪では浜義雄氏が、諏訪電の協力を得てフォードを買い入れ、その年はじめて自動車で和田嶺を越えた。明治28(1895)年8月和田峠(明治10(1877)年10月の開削の峠)の頂上を掘り下げて新道(国道142号線)をつくった。写真下に「和田嶺頂上堀割ノ景」の文字。
2023-04-15
663
一本柳神社
西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。
2020-03-06
660
砥川
鷹野橋と湖畔道路の記念碑。№658参照。
2020-03-06
658
砥川
鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。
2020-03-06
636
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。
2020-03-06
626
来迎寺
知恩院を本山とする浄土宗寺院で引接山聖聚院来迎寺という。寺の由緒によれば天文10(1541)年草創という。 来迎寺は明治40(1907)年10月7日の火災で本堂、庫裡を失ったので、翌年東筑摩洗馬村の廃寺を移して庫裡として、昭和11(1936)年本堂を再建(棟梁立石初三郎)、同32(1957)年鐘楼、梵鐘をつくる。同寺の鉄焼(かなやき)地蔵尊とお堂は町の文化財に指定されている。 山門左手前の道路は明治29(1957)年に開さくされた中山道の新道(お花見新道・国道)である。
2020-03-06
604
バス開通式当日
昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足して運動の結果、昭和6(1931)年和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年3月上和田・丸子間と下諏訪・岡谷間が営業開始された。和田峠は難工事で昭和8(1933)10月8日試運転に成功して、昭和8(1933)年10月13日和田嶺省営バス全線開通祝賀式が慈雲寺において開催された。省営バス路線中日本最高の峠道を40人乗りバスで4往復した。2時間半の所要時間であった。所長は下諏訪駅長が兼務した。
2020-03-06
598
水月園より諏訪湖を望む
萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。
2020-03-06
595
鎌倉街道(若宮下)
若宮墓地下の鎌倉街道。鎌倉街道は小田野から慈雲寺・来迎寺を経由して富部若宮下を通り高木へ抜けている。比較的原形を止めている小田野も社が丘団地の開墾でなくなり、富部若宮下のこれが町内唯一の鎌倉街道になった。
2020-03-06
589
本陣庭園
中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。
2020-03-06
588
本陣御小休御座の間
「本陣岩波家」のパンフレットには、建築史の東大藤島名誉教授の言葉で次のように紹介されている。「(前略)…下諏訪宿の本陣岩波家の客室と庭ほど、純粋な京風を純粋の極にまでなしえた例はどこにもなく、まさに中山道中の異彩である。これほどに洗練された京風数寄屋造りは、京大工によるものとしか考えられない。…(後略)」 明治13(1880)年6月24日、明治天皇御巡幸の際は旧本陣岩波家にお小休された。なお、江戸時代末に皇女和宮が使われた上段の間は聴泉閣かめやに移築されている。
2020-03-06
583
看板「西餅屋邸小口金右衛門」
西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場(たてば)」(人馬が休息する所)であった。金右衛門、日野屋六兵衛、竹屋清右衛門、小松屋嘉助の四軒があり藩堺にあったので、ときには、穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。現在は道の「曲之手(まきのて)と茶屋あとが残っている。昭和41(1966)年11月10日小口金一郎氏より
2020-03-06
581
下諏訪温泉の光景
岡谷製糸勃興期の下諏訪温泉街の情景。明治末期街道(立町)の突き当たりは綿の湯。綿の湯はこれまで前面が外湯で一般に開放され、裏面には銭湯があったが、外湯を第二区消防屯所に改修する。綿の湯の屋根越しに見えるのは「かめやホテル」、その裏手の森は「旧本陣岩波家」の屋敷木である。綿の湯の左手前は「ききょうや」「みなとや」で、左手前には「丸屋」の各旅館があった。写真右下に「諏訪電機株式会社」と思われる看板が見える。諏訪電気株式会社は明治30(1897)年設立で現在の「おいでや」の前に記念碑が建っている。
2020-03-06
577
春宮大門先大鳥居建立
この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。
2020-03-06
576
春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
575
春宮大門先石燈篭と丸三倉庫(現諏訪信金下諏訪店)
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から丸三倉庫(現諏訪信用金庫下諏訪店)を左に見て、春宮大門の銅鳥居を望む。丸三倉庫№576(昭和37年)との違いが見える。
2020-03-06
573
大門先の石燈籠
旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。 写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。
2021-04-22
571
秋宮右手の石垣
秋宮左手の石垣。道は下諏訪宿へ入る甲州道中の江戸側の 入り口である。石垣正面の曲がり角は宿場への枡形お部分で番屋が置かれていた。
2020-03-06
568
陸軍航空隊航空写真
陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。
2020-03-06
565
明治9年下諏訪集落図絵
明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。
2020-03-06
563
ルーテル協会の婦人会
この時から宣教開始 諏訪地方最初のルーテル教会ウーシータロ嬢が、湯田新町医師三輪甲子三郎宅跡にきて、福音宣伝を開始する。 写真はルーテル教会婦人会。 中央がミンキネン譲、後列右がニュールンド嬢。 この時、花見新道上字天白に洋館が新築されて牧師の宿舎とされ、異人館と呼ばれていたという。
2020-03-06
561
陸軍航空隊航空写真
航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。
2020-03-06
560
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
559
中央東線開通下諏訪駅前記念撮影
明治38(1905)年11月25日中央東線が富士見駅から岡谷駅まで開通する。このとき鉄道開通祝賀式挙行の案内状が22日鉄道開通式委員総代小口友亀(写真前列中央)の名で発送、25日午後1時10分下諏訪停車場講内で、祝賀式が挙行された。写真は下諏訪駅前にて撮影。
2020-03-06
553
大和仁平胸像
水月園下にある大和仁平氏の胸像。大和仁平は12・13代町長(大正12~昭和6年在任)で新庁舎建設、水道施設などに尽力した。特に「おいしい」と折り紙つきの下諏訪の水道水を様々な困難を乗りこえ、反対を押し切って厳然と遂行した英断には特筆すべきものがある。 胸像の制作者は高木出身の大和作内氏である。
2020-03-06
543
秋宮鳥居前
「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。
2020-03-06
541
下諏訪町明細全図
「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。 明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。 御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。
2020-03-06
540
宿場風景(菊本旅館前)
宿場のおもかげ。下諏訪宿菊本旅館。看板の右下に炭俵と思われる荷がおかれている。道は舗装されておらず、道幅も狭い。
2020-03-06
539
承知川扇状地と下諏訪旧市街地
右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。
2020-03-06
531
東山田下諏訪へ合併
昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。
2021-04-06
530
東講社行屋神座
東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。
2020-03-06
522
片倉二代銅像
第2代片倉翁銅像の写真絵葉書。 昭和10(1935)年に下諏訪や川岸村などの尽力により建立が決定した。 この時は宝生橋も裏参道の堀割に架設されている。 しかし、昭和18(1943)年金属回収のため撤去されてしまった。
2020-03-06
517
山王閣
山王閣(久保海道方面からの撮影)左手の平屋の建物は諏訪湖が一望できる大浴場。武居源湯から引湯。
2020-03-06
512
御座掛松(ござかけまつ)
高木の石投場南よりにある御座掛松(ござかけまつ)。松は甲州街道中の土手上から道端まで見事に垂れ下がっていた。大正13(1924)年ごろから樹勢が衰えはじめ昭和4(1929)年に枯れる。樹齢は400年と推定。明治13(1880)年明治天皇御巡幸の際は御幸(みゆき)の松と立札してお迎えした。現在の松の二世が成育。写真に[下諏訪町高木ゴザカケ松なり、是より約2町中陣坂。]の文字。
2020-03-06
510
立体交差工事竣工
昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。
2020-03-06
509
八幡通り改修工事落成式。
八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。
2020-03-06
506
鷹匠の家 岡村家
富部の岡村謙吾氏宅。
2021-04-15
505
鷹匠の家 岡村家
富部字本郷、岡村家(現 謙吾氏)。 左が客室で右が居間である。
2020-03-06
504
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。同屋敷の全景、左が住宅、右が土蔵。向山の左手が若宮神社。
2020-03-06
503
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。諏訪藩の鷹匠であり、天竜道人も出入りしたという、富部字本郷の士族岡村家(曲屋まがりや)。左が客室、右は居間。
2020-03-06
500
宝生橋
諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。
2020-03-06
497
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
474
諏訪湖高浜湾
絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。
2020-03-06
473
製糸工場風景
絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。
2021-04-01
427
下馬橋
下馬橋から春宮鳥居までの風景は現在とはあまり変わりはないが道路はまだ舗装されていない。 また春宮に向かい下馬橋の右側に御手洗川の分流が水量豊かに流れている。 下馬橋は春秋のお宮うつりの時に御神輿が通る橋です。
2021-10-28
426
石投げ場
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
425
石投げ場より
石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
420
高浜の信号
国道20号から湖岸道路へ行く高浜の信号付近。
2020-03-06
418
諏訪湖畔
現博物館(裏手)を国道側から見たところ。
2020-03-06
414
高浜湾
高浜湾の風景。湖岸の道路に柳の木が見える。
2020-03-06
411
千尋池復旧前の家並
秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。
2020-03-06
410
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。
2020-03-06
409
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。
2020-03-06
404
花見新道
花見新道、左手に龍の口へ下る階段がある。右手前は慈雲寺への参道がある。正面には春宮の森が見える。
2020-03-06
403
花見新道
花見新道の桜並木に「宮の上」(「宮の上」のバス停が天白の急坂の入口にある)の看板の文字が見える。現在とは違い新道北側にも桜並木が続いたり、人家がほとんどない当時の様子がよくわかる。 国道142号線が開通したのは、明治29(1896)年である。
2020-03-06
399
和田峠トンネル
和田トンネルが完成した。昭和5(1930)年10月和田嶺開発協会が発足運動の結果、鉄道省の路線調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル開通、昭和8(1933)年1月に完成した。全線開通祝賀式は昭和8(1933)年10月3日。
2020-03-06
384
山王台を望む
久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。
2020-03-06
383
山王台を望む
大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。
2020-03-06
337
伏見屋邸
旧中山道沿いにある「伏見屋邸」は元治元(1864)年に建てられたと推測される。木造二階建ての店舗兼住屋と土蔵が残されています。国の登録有形文化財に登録されていますが、今街歩きを楽しむ観光客の休憩や住民の交流の場となっています。
2020-03-06
336
むかしの生活用品
昔の洗濯機。
2020-03-06
325
第一配水池
第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。
2020-03-06
324
第一配水池
町営水道布設工事は総工事費38万円で昭和2(1927)年4月16日着工、昭和3(1928)年12月25日完工。水源地を東俣国有林の川路、大鹿の自然湧水に求め集水井を経て自然流下により水月園の配水池(下の原字天白)に送水されている。写真は第一配水池。
2020-03-06
323
接合井
接合井(斧立付近)水圧及び空気調整施設。
2020-03-06
322
第一配水池
第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。
2020-03-06
321
第一配水池
第一配水池。下諏訪町の上水道は大和仁平町長の先見のある英断により昭和2(1927)年着工、同3(1928)年完工した。当時の町の予算の3年分の大事業だった。最大貯水量は3030立方メートル。
2020-03-06
313
輦(れん)
慈雲寺山門の参道入口から左手の裏に設置されていた輦(れん)。弔いの時、棺おけをこれに入れて担いで墓まで行った。春宮も前を通ることは許されなかったので、石段を登って慈雲寺へ入った。寺の前の庭を3回まわって、死者の方向感覚を失くしてから墓へ向かったと伝わる。
2020-03-06
309
高浜埋立
埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
308
高浜埋立
高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
307
高浜埋立
埋め立て中の高浜湾。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
304
諏訪湖のしゅんせつ埋立
諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2021-04-21
285
航空写真 町庁舎周辺
上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。
2020-03-06
281
航空写真 下諏訪町市街地
空から見た下諏訪町と諏訪湖。写真右下に漕艇場が見える。昭和52(1977)年当時は西大路通りがまだできていないのと同様諏訪湖の湖周道路も未完成である。
2020-03-06
280
航空写真 下諏訪町市街地
写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。
2020-03-06
242
和田嶺合戦90年祭
元治元(1864)年、総勢1000人の水戸浪士軍は尊皇攘夷の実行を迫るため中山道を上って来た。11月20日、これを迎え撃つ諏訪藩・松本藩と雨中の戦いとなった。この合戦の戦死者は諏訪藩6名、松本藩4名、浪士軍10数名であった。のちに両軍戦没者を慰霊する浪人塚が立てられた。 和田嶺合戦90年祭。昭和29(1954)年10月20日撮影。
2020-03-06
239
夜のお花見
大正3(1914)年水月会の主唱によって水月園と花見新道に初めて電灯をつけた。写真は夜のお花見、三味線を持った芸者さんもいる。
2020-03-06
233
下諏訪全景
河西政常氏撮影。製糸工場の煙突の煙が見える。白い建物は ※丸六製糸(現在のムトー工業の位置)。
2020-03-06
226
賽の神
賽(さい)の神。道祖神祭の一環として御幣棹(ゴヘイトウ)を建てた。場所は下馬橋前。先端には松を飾り、横木に色々な細工物を飾った。飾りをくじ引きで分けるのが楽しみだった。明治6(1873)年まで行っていたものを昭和6(1931)年に区の有志が復活再現した時の写真。
2020-03-06
216
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
185
大門通り下馬橋~春宮
大門通りのさわら並木や下馬橋を参道南側から春宮方向に望む。河西政常氏撮影 。
2020-03-06
180
大正年間の大門通り
大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。
2020-03-06
179
小田野段丘と砥川新扇状地
機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。
2020-03-06
131
町民水泳大会
各区対抗で行われた町民水泳大会の関係者?背後には現国道のガードレールも見える。
2020-03-06
125
高浜プール
各区対抗で行われた町民水泳大会の様子で、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)。 プールの背景は、左に高浜湾(諏訪湖)、奥には高浜温泉旅館、プールの奥には石置屋根も懐かしい建物が見える。プールの右には富部新道と国道20号が見える。
2021-12-15
114
佐寿中商会
友之町(羽田医院の国道向かい側)にあった佐寿中商会下諏訪営業所。 自転車を販売していた。正面の看板とは別に左側に「ラヂオ(ラジオ)」店内には「ナショナル」の看板も見え、電気製品も扱っていたようだ。
2020-03-06
97
花見新道から見た下諏訪
花見新道の桜の向こうに手前から ※丸六製糸(現ムトウ工業)、 入一組製糸所、その向うに旧役場、下諏訪尋常高等小学校(高等小学校、実科女学校、現下諏訪中学校)、南校(現下諏訪南小学校)が見える。 手前には諏訪地方特有の石置き屋根の民家も見える。
2020-03-06
80
製糸の町岡谷の鉄索
塩尻峠を越えて岡谷まで西条炭を運んだ索道。 塩尻まで汽車で運ばれ、それを岡谷の製糸工場へ運ぶためにリフトを使い塩嶺峠を越えた西条炭は、東筑摩郡会田村・本城村等で産出するものだった。 岡谷は明治22(1889)年が最初で、輸送は馬・車便だったが、明治36(1903)年、篠ノ井線が塩尻まで開通したのに伴い塩尻から岡谷市間下に鉄索を架設し、明治37(1904)年運転を開始した。しかし、明治42(1909)年に中央線の全面開通により常磐炭等が移入され、西条炭は役割を激減した。
2020-03-06
75
石投場から望む諏訪湖
石投場から高木-上諏訪を望む。
2020-03-06
69
裏参道開通記念
昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。 さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。
2020-03-06
67
尾掛松(杉の木神社)
絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」
2020-03-06
56
広瀬町町少年団
広瀬町少年団の団旗完成記念写真。 昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。 この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。
2021-04-15
54
中川旅館
下諏訪宿最後の旅籠中川旅館、道に面して大きな柱(離れ柱)があり牛馬を繫ぐ鉄輪がうたれていた。(現在、柱は下諏訪博物館に保存) 「中川治朗」と書かれた看板、その左右に「まねき」とよばれる、30㎝×50cmの布旗かけられている。 御嶽講のまねきが目立つが、他の講社のものも見える。 下諏訪宿の昔の姿をとどめていた中川旅館も昭和51(1976)年3月取り壊されてしまった。「
2020-03-06
28
国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真
下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。
2020-03-06
23
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
22
中川旅館
改築前の「中川旅館」看板には「奈可川旅館」と書かれている。御嶽講の提灯が掛けられていたり、当時の街道を歩き宿泊した講や、流行した旅など庶民文化も垣間見られる。昭和51(1976)年3月、下諏訪宿の昔姿として残された最後の旅籠屋「中川家」は取り壊された。
2020-03-06
21
片倉組丸六製糸場
明治42(1909)年片倉組丸六製糸場で下諏訪町における創業10周年記念祝賀会当日に撮影された写真。手前の道は花見新道(御作田社より上にある道)大八車の轍が線路のように残っている。右手前の木は御作田社、左中ほどの町並みは湯田仲町、左遠方の高い建物は中学校の塔、間に見える畑は桑畑で当時は多く見られた。後方にはうっすら白く諏訪湖が広がっている。
2020-03-06
20
秋宮周辺航空写真
勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。
2020-03-06
15
富ヶ丘から望む高浜
富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。山の手の畑には桑畑が広がっている。
2020-03-06
13
ダイヤ豆腐周辺の航空写真
当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。
2020-03-06
10
御田植祭
諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。
2020-03-06
9
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
8
お花見風景
御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。
2020-03-06
5
秋宮鳥居前集合写真
徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。
2020-03-06
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1
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