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管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:48件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2493
敬愛社の御柱2
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
2492
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
2283
シデシャジン
山地の木陰に生える。花の形が神社の「四手」に似ていることから名がついた。
2021-10-07
2221
若宮社標
富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。
2021-12-23
2220
蚕影山神社
富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。
2021-12-23
1990
下諏訪町立博物館
昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。
2024-03-20
1985
出征家族招待諏訪神社参拝記念
「皇紀二千六百年九月廿日 出征家族招待諏訪神社参拝記念 国防婦人会甲府市橘町班」秋宮神楽殿前で記念撮影。
2020-09-08
1935
御射山神社大鳥居上棟式
「官幣大社諏訪神社 摂社御射山神社大鳥居上棟式」の垂れ幕がある。詳細不明。
2020-08-02
1934
紀元二千六百年記念
「昭和十五年十一月 紀元二千六百年記念」の記念写真。 場所は不明だが、高木の津島神社と推察する。
2020-08-02
1781
諏訪大社下社秋宮
帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。
2021-12-26
1507
駒形稲荷
社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。
2020-03-06
1506
お稲荷さん
龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。
2020-03-06
1296
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
1220
お舟祭り
お舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。
2020-03-06
1219
お舟祭り
お舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。
2020-03-06
1118
熊野神社の例大祭
熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1117
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1116
熊野神社の例大祭
東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
1109
秋宮の七五三柱(しめばしら)
秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。
2020-03-06
1104
鷹匠の家 岡村家
岡村家住宅。鷹匠の家、諏訪では珍しい曲がり屋づくりである。数年前に、茅葺から瓦屋根に変えたが、他は江戸時代のつくりを守っている。鎌倉時代、一時期、幕府が諏訪神社以外の鷹狩りを禁じた。そんな伝統を継ぐ諏訪藩のお鷹匠の家である。画人天竜道人はこの家の離れに住んで、鷹の四季の姿を写生したと伝えられている。
2021-04-15
1089
十四瀬川河口
岡谷市との境界、十四瀬川(十寄川)河口。横河川谷口の出早雄小萩神社より分岐する水を源に岡谷市と下諏訪町境付近を流れる長さ7.9㎞の川。護岸がコンクリートで囲まれる前は魚がたくさん遡上していた。また、河口付近では西赤砂で漁をする人たちの舟たまりともなっていた。当時はマコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していたが、次第にコンクリートの護岸となっていった。
2020-03-06
1086
旧御射山
山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。
2020-03-06
1059
演奏会
村の鎮守(高木津島神社)の舞屋(江戸末期の建築)で行われた小澤征爾・ロストロボーヴィッチ・桐朋学園大学生の弦楽アンサンブル。一行は飛騨白川村、伊那谷大鹿村に続いて下諏訪町高木を訪れ、諏訪養護学校の子供たちにチェロ協奏曲を聴かせた。この演奏の旅、ロストロポーヴィチ(62)の希望で実現したものという。小澤征爾はこの日が55歳の誕生日だった。
2020-03-06
1000
友之町津島神社宵祭
江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。
2020-03-06
811
高木村の風景
高木の村の風景。 4枚目の写真は津島神社への登り口。 坂を上った右手には旧第六保育園があった。
2020-03-06
802
御神輿行列
春の遷座祭。 諏訪大社下社は春宮・秋宮の二社があるので半年毎に祭神の御霊代(ミタマシロ)を秋宮から春宮へ、春宮から秋宮へと遷座(センザ)する。二月一日(旧来は一月一日)の遷座は寒い祭りで夏の遷座(お舟祭り)のように勇壮な行事はない。ひっそり行われるので「ひっそり祭り」「こっそり祭り」と言われている。 諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。 昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。
2020-03-06
776
諏訪大社宮司
執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。
2020-03-06
736
犬射馬場、上馬場の標石。
鎌倉時代、武士は日頃の鍛錬に騎射の武技を重視し、それが遊戯化したり神事化したりしたものが多い。この場所は犬追物などをした所で、このことは「諏訪大明神絵詞」にも記されている。江戸時代に入りこの行事が廃れると、周囲から境界を侵され、神社では享保18(1733)年に検地をして一般人の侵入を防いだ。その後も土地の使用のことで何回か争いがあって明治維新後のころ民間に移ったという。なお、下馬場の町名もあったというが、現在は上馬場(かみばっぱ)のみが残っている。
2020-03-06
704
諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景
絵葉書。(下諏訪名所)諏訪明神大祭禮、友之町中町の光景。現在の四ツ角より西の現本通り。消印に「下諏訪45.4.28」(明治45年)スタンプに「官弊中社諏訪神社、諏訪神勅祭創始千二百年記念」と「5本足の梶の葉紋」が見える。また写真の外国人は明治38(1905)年湯田新町に宣伝を開始したルーテル教会の婦人宣教師である。
2020-03-06
663
一本柳神社
西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。
2020-03-06
595
鎌倉街道(若宮下)
若宮墓地下の鎌倉街道。鎌倉街道は小田野から慈雲寺・来迎寺を経由して富部若宮下を通り高木へ抜けている。比較的原形を止めている小田野も社が丘団地の開墾でなくなり、富部若宮下のこれが町内唯一の鎌倉街道になった。
2020-03-06
594
若宮
富部若宮下の六地蔵様.
2020-03-06
546
秋宮鳥居前
「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。
2020-03-06
543
秋宮鳥居前
「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。
2020-03-06
541
下諏訪町明細全図
「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。 明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。 御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。
2020-03-06
530
東講社行屋神座
東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。
2020-03-06
516
博物館
昭和27(1952)年7月21日、神社と共用の博物館が、諏訪大社下社秋宮の神饌所を借用してできる。写真中央が当時の下諏訪博物館。歴代館長は昭和25(1950)年5月矢ケ崎輝雄・同29(1954)年6月三輪良三・同47(1972)年4月小口利市。写真左は昭和38(1963)年に建設された下社宝物殿。中央が下諏訪博物館で右はお守り札の授与所である。
2020-03-06
504
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。同屋敷の全景、左が住宅、右が土蔵。向山の左手が若宮神社。
2020-03-06
497
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
488
官弊中社諏訪神社下社春社
絵葉書「(諏訪名勝)官弊中社諏訪神社下社春社」。鳥居の前に燈籠、鳥居の奥にはさわら並木が続いている。鳥居の両側には諏訪の石置き屋根が見える。 諏訪神社が官幣中社になったのは明治29(1896)年で、官幣大社に昇格したのは大正5(1916)年12月12日なので、写真はこの間に撮影されたものである。
2020-03-06
487
お舟祭り
官弊大社諏訪神社下社8月1日 御舟祭。大正15(1936)年、ちょうちんに下諏訪の文字。法被には「本郷」と染め抜かれている。下諏訪町が御頭郷の年のようだ。
2020-03-06
393
駅前通り
下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。
2020-03-06
182
下馬橋とさわら並木
官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。
2020-03-06
90
女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
89
皇太子殿下参拝
宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)
2020-03-06
71
紀元二千六百年記念
紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。
2020-03-06
67
尾掛松(杉の木神社)
絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」
2020-03-06
65
高木の長持連
戦後最初の御柱祭の高木長持連。 添付名簿後列左から 田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明
2020-03-06
≪
1
≫
秋宮(6)
津島神社(5)
鳥居(4)
若宮神社(4)
神社(3)
秋宮境内(3)
長持ち(2)
諏訪大社(2)
さわら並木(2)
春宮(2)
遷座祭(2)
お舟祭り(2)
大鳥居(2)
岡村家(2)
天竜道人(2)
博物館(2)
石畳(2)
若宮(2)
若宮下(2)
熊野神社(2)
祭り(2)
修験道(2)
皇紀二千六百年(2)
敬愛社(2)
宝光院(2)
御柱祭(2)
民俗(1)
高木長持連(1)
史跡(1)
樹木(1)
尾掛松(1)
葉書(1)
杉の木神社(1)
紀元2600年記念祭(1)
出征兵士(1)
子安神社(1)
皇太子徳仁親王殿下(1)
参拝(1)
天皇陛下(1)
上皇様(1)
上皇(1)
スポーツ(1)
フィギュアスケート(1)
秋宮リンク(1)
稲田悦子(1)
スケート選手(1)
大門通り(1)
下馬橋(1)
古御柱(1)
観光協会(1)
駅前(1)
宮大工(1)
御頭郷(1)
本郷(1)
はっぴ(1)
石置き屋根(1)
灯篭(1)
武居(1)
山王台(1)
宮田小路(1)
宝生橋(1)
鷹匠の家(1)
曲屋(1)
士族(1)
宝物殿(1)
神社兼用(1)
借用(1)
東講(1)
旧家(1)
霊場(1)
修復(1)
行屋(1)
明細全図(1)
地図(1)
明治(1)
絵地図(1)
胴鳥居(1)
官幣大社(1)
大欅(1)
のぼり旗(1)
手水舎(1)
軍神(1)
富部(1)
六地蔵(1)
墓地(1)
鎌倉街道(1)
小田野(1)
一本柳神社(1)
西赤砂(1)
リンゴ園(1)
一本柳(1)
古木(1)
友の町(1)
中町(1)
牧師(1)
官弊中社(1)
千二百年記念(1)
犬射馬場(1)
馬場(1)
標石(1)
練武(1)
神殿(1)
加藤宮司(1)
神社本庁(1)
御諏訪様(1)
上下社(1)
秋宮社務所(1)
春の遷座祭(1)
耕作(1)
なぎ鎌(1)
遷座(1)
高木(1)
第六保育園(1)
諏訪湖(1)
坂道(1)
宵祭り(1)
青雲館(1)
夏(1)
厄病よけ(1)
村の鎮守(1)
舞屋(1)
演奏会(1)
弦楽アンサンブル(1)
奥宮(1)
奥霧ケ峰(1)
もとみさやま(1)
神事(1)
穂屋(1)
下社の七不思議(1)
御射山の三光(1)
十四瀬川(1)
境界(1)
舟たまり(1)
魚のそじょう(1)
河口(1)
鷹狩り(1)
諏訪藩(1)
離れ(1)
秋宮駐車場(1)
社務所(1)
七五三柱(1)
鎮守様(1)
権現様(1)
参道(1)
鎮守の森(1)
東山田行屋(1)
講(1)
修行(1)
旧中山道(1)
東山田(1)
標柱(1)
祭り支度(1)
下社秋宮(1)
燈籠(1)
浴衣姿(1)
大社(1)
繰糸(1)
秋宮地近く(1)
白鶴社(1)
共同出荷(1)
お稲荷さん(1)
稲荷神社(1)
龍の口(1)
中央通り(1)
桜町(1)
馬神(1)
社が丘団地(1)
原始信仰(1)
駒形(1)
萩倉牧(1)
牧(1)
大注連縄(1)
狛犬(1)
神楽殿(1)
間組(1)
御射山神社(1)
国防婦人会(1)
戦時中(1)
宝物館(1)
富部村(1)
社殿(1)
蚕玉講(1)
社標(1)
キキョウ科(1)
紫色の花(1)
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