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タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:42件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2515
84 氷室
2023-11-23
2346
トケイソウ
氷見市海浜植物園で初見。なんともユニークな花のつくりにほとほと感心した次第。
2021-11-12
1437
諏訪湖氷上会記念写真
スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。
2021-05-11
1434
冬の諏訪湖
諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。
2022-05-26
1432
冬の諏訪湖
諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。 二枚目の写真は飛行機を陸に引き上げているようだ。
2021-04-15
1431
スケートを楽しむ人々
アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。
2020-03-06
1428
スケート
右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏
2020-03-06
1425
表彰式
氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。
2020-03-06
1413
スケート
諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。
2020-03-06
1407
スケート
諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。
2020-03-06
1401
スケート
馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。
2020-03-06
1397
スケート
氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。
2020-03-06
1396
スケート
諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。
2020-03-06
1388
スケート
冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。
2020-03-06
1387
スケート
冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。
2020-03-06
1386
スケート
冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。
2020-03-06
1385
スケート
絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。
2020-03-06
1383
スケート
絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。
2020-03-06
1382
スケート
(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。
2020-03-06
1367
スケート
諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。
2020-03-06
1360
スケート
氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。
2020-03-06
1315
キヨメ漁
氷下のキヨメ漁。刺し網の一種。地上のくもの糸やカスミ網のように水中に帯状に屏風のように立て横に長く張っておき、回遊してくる魚を網に絡ませたり、さしたりしてとる。網目の大きさによって捕る魚が異なるが、写真のキヨメの網目は1.5~4cm内外である。高さ50cm~1m、長さ12、3mの網を何枚か継ぎ足して張り、わかさぎ・はや・ひがい・もろ・あかうおを捕る。同じ網でも網目の粗いものは「タケタカ」といって鯉・大ぶな・なまずなどをねらった。
2021-04-04
1282
天然氷の採氷
明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。
2020-03-06
1192
新短歌の歌人
新短歌の歌人光本さん。この年新短歌連盟賞を受けた。アララギ王国の諏訪にあって新短歌信濃支部を設立、松本・岡谷に歌会を持ち駆け回っている。鳥取県出身、歌集に「薄氷」「素足」などがある。「未来山脈」主催。
2020-03-06
1091
旧ダイヤ豆腐社の煙突
ダイヤ豆腐工場は現JR中央線沿い北四王に敷地面積2500坪で昭和9(1934)年に旧湖畔倉庫を買収して開設された。当時の諏訪地区特産の氷(凍り・こおり)豆腐の大半(90%)を生産していた。写真は旧ダイヤ豆腐社の煙突。
2021-04-01
985
不二家
創業昭和4(1929)年老舗菓子店。店の看板「不二屋」の文字は中村不折の筆、包装紙は棟方志功の版画という優雅な和菓子店。寒気の厳しいこの地方の風土食品「氷餅」の感触を生かした「初霜」や塩釜の中に故郷の味噌の香を生かした「郷秋」などなつかしい味があった。平成の終りに閉店となってしまった不二家菓子店。
2020-03-06
922
ワカサギ釣り
高木大沢川湖岸のワカサギの引っ掛け釣り。産卵期で岸に近づくワカサギを狙うのがこの釣り。結氷湖での穴釣りはこの冬もできずに終わっている。
2021-04-01
900
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。
2020-03-06
885
高浜より、立春薄氷の湖を望む
高浜より、立春、薄氷の湖と湖畔の町を望む。この日、-9,0度(平年比2,0度低)と冷え込み、湖は三度目の結氷となったが、昼過ぎには解氷。2月立春となれば、朝の凍みはきつくても、陽は濃くなっていく。
2020-03-06
799
諏訪湖が全面結氷
連日の凍みに諏訪湖が全面結氷(砥川先・対岸は岡谷市湊地区)マイナス10度の強い凍み全面結氷し酷寒の地諏訪盆地らしい景色。
2020-03-06
774
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。
2020-03-06
560
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
541
下諏訪町明細全図
「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。 明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。 御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。
2020-03-06
509
八幡通り改修工事落成式。
八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。
2020-03-06
469
氷上ファミリークリスマス風景
渡辺絵美(昭和40~50年代に8回全日本チャンピオンになった。)さんが下駄スケートをはいて滑っている。第5回氷上ファミリークリスマスと後ろの垂れ幕に書いてある。
2020-03-06
450
スケート
秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。
2020-03-06
448
氷上セーリング
氷上セーリング(手持ち帆)。 革のスケート靴を履いている。
2021-03-27
437
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?
2020-03-06
90
女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
68
諏訪湖一周スケート大会
明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。 第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。
2020-03-06
32
秋宮スケートリンク
山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。
2020-03-06
4
秋宮スケートリンク
諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。
2020-03-06
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