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管理番号写真タイトル説明登録日
2356八島ヶ原湿原シモツケソウ八島ヶ原湿原シモツケソウ鎌ヶ池から旧御射山社へ向かう右側湿原にシモツケソウの大群落が素晴らしい。2021-10-15
1087木落社例祭木落社例祭木落社例祭。木落社は諏訪大社摂社の一つで木落し坂の脇に祀られている。9月27日には午前9時に木落し坂にある木落社祭が行われ、続いて萩倉上の斧立社、さらに八島ヶ原湿原西の鷲ヶ峰麓で大元尊社祭がとり行われる。また、同日午前11時頃には旧御射山社祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1086旧御射山旧御射山山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。2020-03-06
1085旧御射山旧御射山奥霧ケ峰、八島ヶ原湿原近くにある旧御射山社、鎌倉時代には高原で御射山神事のニエを得るための御狩が行われ、社前で小笠懸け、草鹿とよぶ弓術の技が競われた。祭りに参加した武士たちが、穂屋を建てて籠もった土壇が三方の丘に残っている。平成元年現在の旧(もと)御射山の土壇の様子。2020-03-06
1083斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1054御射山祭御射山祭御射山祭、御射山のお山参り(夕祭)。穂屋に籠もって物忌みしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、子を負ってのお山参りも夜行われた。今でも夜参りを守る人がいる。この年も夜9時頃まで訪れる人がいた。№1050.1051参照。2020-03-06
1050御射山祭御射山祭御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
1044奉射会の矢渡し奉射会の矢渡し8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。奉納会はこの年67回目を数えた。2020-03-06
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