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管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:186件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2577
準急列車
キハ58準急列車リゾートビューふるさと 線路を挟み右側は現在の中部電力の社屋、左側は金作木材貯木所(現在は住宅地)になっている。
2024-02-17
2576
砥川鉄橋
砥川鉄橋を走る電車。
2024-02-17
2574
はまかいじ号
「はまかいじ号」が中央東線に登場したのは1994(平成6)年春の臨時列車から、横浜駅から横浜線・中央本線・篠ノ井線~松本駅を結ぶ週末の臨時特急となっていたが2019(平成31)年春運行終了・廃止が決定した。
2024-02-15
2573
普通列車
飯田線豊橋行き普通列車、砥川鉄橋を行く。
2024-02-15
2572
183系特急電車
183系特急電車 181系の次に配置された特急電車で国鉄色最後の特急だった。 その後クリームと赤い線の入ったグレードアップ車、長野色などに変化したが2005(平成17)年の今年も千葉の車両が時々乗り入れてくる。
2024-02-15
2570
砥川鉄橋
下諏訪砥川鉄橋を走るEF13(国鉄EF13型電気機関車)
2024-02-15
2569
80系電車
砥川鉄橋を渡る80系電車。 後方が下諏訪町。
2024-02-15
2568
D51蒸気機関車
電化前のD51、中央東線下諏訪砥川鉄橋にかかるところ。
2024-02-15
2567
承知川鉄橋
下諏訪町承知側の氾濫により不通になっている中央東線承知川鉄橋へ「マルチプルタイタンパー」略してマルタイが出動。開通へ向けての作業中。 いつもは夜間の作業が多いこの車輌、日中に動くことは大変珍しい。
2023-11-23
2566
清水橋
清水橋より見た、平成18(2006)年7月豪雨災害時の砥川の様子。
2024-02-15
2565
社東町付近
社東町付近の砥川の様子 砥川の水面(川の流れ)が住宅地より高い(天井川)ということがよくわかる。
2024-02-15
2557
横河川
右側が横河川の桜並木。 「ナショナル」の看板と電車。
2024-02-12
2556
看板と電車
「ナショナル」の松下電器の看板だけが目立つ。 田園風景の中を走る電車。桜並木は横河川。
2024-02-12
2553
80系電車
砥川鉄橋脇から岡谷方面を見る。 80系電車がはるかに望まれる。
2024-02-12
2547
D51 蒸気機関車
1963(昭和38)年~1967(昭和42)年ごろの岡谷市長地地区に隣接しの赤砂の中央線の風景。下諏訪町の砥川から横河川の間で撮影したもので飯田線から旧型電車とキハ58の準急、D51客車列車、80系電車などが見られた。また西大路通りの開通は1950(昭和55)年 写真は中央線岡谷~下諏訪間 上り列車 辰野~神手話間が部分電化され中央線に乗り入れて来た頃の写真でD51が客車を牽いていた この場所も住宅、工場のためよく見えるところではなくなった。
2024-02-11
2517
蒸気機関車 C1266
現在真岡(モオカ)鉄道にいる「カマ(機関車)」の30年前の姿。 当時上諏訪機関区には3両のC12がいた。C1267は茅野市に保存展示されている。 C1266は木曽福島から会津若松、そして旧川俣線が廃止される前日の営業最終列車の後、自力で川俣駅へ回送されたと聞いている。 ここで保存された後真岡鉄道で復活、NHK4の朝ドラにも出演、地味な現役時代とはまたひと味違った姿になっている。 復活後はまだ見ていないがそのうち会いに行こうと思う。 【百瀬氏文】 C12形式SL 文化財として27両が全国的に保存されている。C1266とC12777号が動態保存に復元されて、それぞれ真岡(モオカ)鉄道と大井川鉄道で運転されている。
2024-01-24
2468
長野県水産試験場
昭和15(1940)年6月、下原小字蚊無川(春宮南西・浮島の南)に長野県水産試験場が建設された。この時本館と試験地が設置、同時に富部下の漁業組合の幼魚地を借用。翌16(1941)年高浜旅館の温泉プールを買収し、試験地とする。 写真は昭和17(1942)年侍従を迎えて撮影。
2023-02-18
2464
葬列
北四王附近の葬儀風景。 手前の川は古川。
2022-07-18
2401
ツルドクダミ・ヒヨドリジョウゴ
ツルドクダミ(ガシュウ) タデ科 地中の大きな塊根を「何首烏」ガシュウという。何という老人が、これを服用し、髪の毛が常に烏のように黒かった伝説。根は滋養強壮剤、茎は失眠症によい。享保5年1770中国から吉宗の時代に小石川植物園で栽培した。今は野生品が多い。 ヒヨドリジョウゴ(ナス科) 鵯上戸 ヒヨドリが赤い実を喜んで食べることから名が付いた。道端や山にはえるつる性の多年草。 全草にやわらかい腺毛が密生する。葉は裂けないものと、3~5裂するものとある。 花はナスの花同様、白色で深く5裂する。 果実は球形で、赤く熟す。花期8~10月。小生は小諸で初見し、今回2回目に見た。 図鑑では、普通にあると記されているが、なかなか目にできない。(石川記)
2021-11-02
2398
タラヨウ(ハガキの木)解体図
タラヨウ(モチノキ科)多羅葉 はがきの木 昔の人のメモ紙―「葉書」の木。 葉の裏の細かい棒で、文字や絵を書くと、その部分が黒く浮き出す。この特徴からインドで葉に経を書いた多羅樹になぞらえた。 仏教の聖木の多羅樹との兼ね合いから、お寺に植えられていることが多い。 暖地の川沿いや湿り気の多い谷間などに生える。高さが10mほどになる常緑 高木だが、個体数はあまり多くない。 葉は分厚い皮質で、縁に鋭い鋸歯があり、雌雄異株。開花5~6月。淡黄色の花を塊状に多数つける。 果実は球形の核果で、11~12月に赤く熟す。 分布は本州静岡県以西・四国・九州の丘陵帯。
2021-11-02
2394
スミレの仲間
上から ・プリケアナ 北米産でパピリオナケアの仲間。白花の基部は紅紫色で紫条が入り、二色咲きとなる。繫殖力が旺盛で、庭先から逸出したものが野生化して各所で群生を見る。 ・パピリオナケア 北アメリカ原産で、スミレマニアなどの手によって、各地に広まっている。濃い紫色だが、側弁に毛が多く、花弁の基部は白く見える。 ・アカネスミレ 丘陵地~山地の路傍や林緑など向陽地から半陰地に自生する。花は中形の濃紫~紅紫色~紫青~薄色・白色と変異がある。全体的に多毛で、側弁、距、子房にまで毛がある。距は細長く花色にほぼ等しい。 ・タチツボスミレ 全土の海岸線から標高2000m前後までの草地~落葉樹林の向陽地~陰地・乾燥地~半湿地など生息範囲が広い。個体数も多いために花の色・葉の形態などに
2022-06-12
2384
サクラあれこれ
桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚 カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30 サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20 サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦 ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50 サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50
2021-11-02
2375
キバナバラモンジン解体図
キバナバラモンジン(バラモンギク)キク科 黄花婆羅門参 ・一昨年今頃、下諏訪富士見橋近くの砥川べりにて初 見。その後確認してきたが、再見できず、和名は分か らず、幻の花だった。 ・今回南箕輪村上伊那農業高校中の原農場入り口脇の水 路フェンス側に見つけた。手持ち図鑑では該当がな く、果実の様子からキク科をHPで調べ、ようやくキ バナバラモンジン(バラモンギク){バラモンジン 属}と判明。 果実はタンポポの果実を巨大化したようで、すでに風 散布で散ったものがある。草丈は大きいものは50c mほど、道端の痩せ地では15cmほどで、いつか砥 川べりでみたものとほぼ同じ大きさであった。欧州・ 西アジア原産。1877年頃食用or鑑賞用に渡来。1 911年までに逸出し、帰化
2021-10-29
2357
コブシ・万治の石仏
コブシの花は春を告げる。砥川のほとりのコブシの花越しに万治の石仏を望む。
2021-10-15
2255
カラコギカエデ
湿地や川岸に生え、樹皮がはげ落ち「鹿の子まだら」になることから名がついた。
2021-10-05
2227
休石
富部村(第十区)の西、久保村境を流れる小川に沿って、旧道から分かれて下る家下道(いえしたみち)が鉄道を越すところに立つ野面(のずら)の六角棒状の土坂石(つっさかいし)で「休み石」と呼ばれている。 度重なる工事等で元の石はなくなってしまった。現在は別の石がおかれている。
2021-12-23
2203
土砂に埋もれた線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の氾濫による土石流で埋まった中央東線の線路。 この写真では水はだいぶ引いているように見える。
2020-09-09
2202
氾濫した承知川(国道上)
平成18年7月19日未明の豪雨災害。 大量の土砂と濁流が承知川沿いの道路も埋め尽くした。
2020-09-09
2201
氾濫した承知川(線路付近)
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。
2020-09-09
2200
濁流、国道を渡る
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)
2020-09-09
2199
承知川の氾濫
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川がはんらん、濁流が道路まであふれ出し、川沿いの民家を襲った。車も濁流に流されている。
2020-09-09
2198
冠水した線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。
2020-09-09
2041
下諏訪上空(西赤砂付近)
赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。
2021-04-18
2040
航空写真 四王上空
写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。
2021-04-18
2033
ノビタキ
「ノビタキ」ヒタキ科 全長13cm 翌開長20cm 高原を代表する一種。草花や低木のてっぺんなどに止まり昆虫類が近づくと軽やかに飛び捕まえる。秋の渡りの時期には農耕地、河川敷の草地などで見かける。
2020-09-09
2029
カワガラス
「カワガラス」カワガラス科 全長22cm 翼開長31cm 山間部の渓流に棲み、水面すれすれに飛び河川外には出ない。翼を使い泳いだり川底を歩いて水生昆虫を捕食する。コケなどを集めて水辺の崖や滝の裏側などに営巣する。
2021-03-04
2023
ヤマセミ
「ヤマセミ」カワセミ科 全長38cm 翼開長67cm 北海道から九州にかけて春夏秋冬見られ、どの季節でも似合い、違和感もなく風景に溶け込んでしまう不思議な鳥だと思う。主食は魚で河川の改良などで数を減らしている。日本のカワセミ類の中では最も大きい。
2021-03-04
2019
コハクチョウ
「コハクチョウ」カモ科 全長120cm 翼開長177cm 湖沼・川など毎年きまった越冬地へ飛来する。水面をねぐらとしマコモの根などを食べる。春には繁殖地のシベリア極北部へ渡る。諏訪湖に昭和49年11月11日、2羽が飛来以降「冬の使者」「シベリアからの使者」と呼ばれ諏訪湖の風物詩として大勢の方に親しまれている。
2021-03-04
2004
青年会集合写真
詳細不明。写真の中に日の丸や旭日旗が見られるので戦時中の写真と思われる。法被の襟に「谷川式中耕除草機」「黒澤テル式□□器」「田中…」などと読めるところがあるのでヒントになるか?
2020-09-08
1977
宴会
半纏の襟に「丸上信州味噌醸造合名会社」とある。岡谷市川岸に㈲丸上横内味噌醸造店があるが、この写真がこの会社にあたるかは不明。当時は下諏訪の花街は岡谷や下諏訪などの会社の接待や宴会でにぎわっていた。写真はそんな下諏訪が華やかでにぎやかだった時代の一枚か?
2020-09-05
1926
河川工事の様子
詳細不明。
2020-08-02
1899
福澤川山腹工事
(諏訪郡長地)福澤川に於ける山腹工事の一部(施工直後)。場所は当時の東山田村。年月等不明。
2022-04-19
1872
川ざらい
詳細不明
2020-08-02
1781
諏訪大社下社秋宮
帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。
2021-12-26
1754
下馬橋
春宮大門通りの下馬橋。俗に「太鼓橋}と呼ぶ。 天将6(1578年造営、元文年間(1736頃)の修造といわれ、切り妻造りで古い様式を残す建物である。この橋より奥は神域で、馬上の人は馬を降りて橋の下を流れる御手洗川で身を清めて参拝したという。
2020-07-23
1748
東山田長持ち
東山田には「道中長持ち」「大社御用長持ち」「藩御用長持ち」「御騎馬御用長持ち」「御祝儀長持ち」がつたえられていいて現在の姿は大社御用長持ち。 写真上には「東山田区の長持ち札 越後将軍徳川忠輝公筆と穪(ショウ?)す 東山田区でハ之の長持ちを先頭に純特の足取りで練る 此の長持の飾付は特徴あり 寛永年間(1630)のもの」と書き込まれている。
2022-05-03
1721
神の湯開業
大正11(1922)年9月砥川筋から少し入った山の手に、鉱泉神の湯が開業した。写真は上の湯遠景、源泉は毒沢から湧出する強酸性で鉄分とミョウバンを多く含む橙色の湯。「毒沢鉱泉」は飲用もでき、胃腸病や皮膚病、切り傷や貧血等に良いとされている。近くに信玄の各氏金山の跡といわれる場所もあり、武田信玄の隠し湯としてもPRしている。
2022-06-09
1602
消防役員慰労会
川岸消防同盟慰労会、湖北消防同盟発足式の大巡検。
2021-12-18
1537
鎌倉街道
小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。
2020-03-06
1505
野球大会出場前日
諏訪中学校野球部主催の郡下の野球大会が毎年春秋二季行われ、小学生ばかりではなく父兄も町村の人々もその勝敗に熱中した。諏訪中の校庭に集まるのは全郡下のほとんどの小学校で学校の規模の大小を問わず各1チームを編成して参加した。長い伝統に輝く大会だった。岡谷や川岸の小学校もみな歩いて行った。下諏訪からも往復三里も遠しとせずに応援に出かけたという。
2020-03-06
1467
下諏訪町総合文化センター
平成元(1989)年にオープンした下諏訪町総合文化センター前の庭。庭の中央にあるブロンズ像は立川義明作「翔」の像。立川氏は諏訪市出身、立川流立川家の子孫。なおセンターの庭の南側には「梶の木」が植え込まれている。
2020-03-06
1465
高浜公衆トイレ
湖岸に設けられた公衆トイレ。
2020-03-06
1461
水防訓練
春宮砥川付近にて水防訓練。
2020-03-06
1446
町制施行100周年事業
育てたアマゴを砥川に放流する下諏訪北小学校の児童たち。
2020-03-06
1309
塩尻龍権現社
立木種清作と伝わる塩尻市宗賀の塩尻龍権現社。立木種清(1832~1908)は下諏訪に生まれ、立川和四郎冨昌(立川流2代目)の弟子。数々の作品の中には国宝旧開智学校の登竜門や下諏訪学校の龍門なども手がけている。
2021-04-22
1307
旧釜口水門
撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた。写真右端は平水路、左端は舟航路(閘門式)。№1125参照。
2020-03-06
1298
岡谷製糸
岡谷製糸業(御田川製糸場)建物外観。明治16(1883)年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ、二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。
2020-03-06
1267
製糸工場
天竜川畔製糸工場群。
2020-03-06
1240
御柱祭
御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?
2020-03-06
1229
朝日公園から岡谷市街地を望む
昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。
2020-03-06
1227
花岡公園から岡谷市街地
昔の岡谷 花岡山(花岡公園)から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。
2020-03-06
1202
川村商店
店の先には正月を目前に注連縄がはられ、店頭には割引の値札も見え、年の瀬の風情が感じられる。川村商店の店先。
2020-03-06
1201
砥川河口の橋
完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3社あった。この橋は湖岸管理道路としての架橋で幅6メートル、長さ32メートル。これに伴い湖岸約1.7キロメートルに高さ1メートルの築堤が始まった。その後この一帯は、赤砂崎公園として多目的グラウンドや多目的広場、ヘリポートなどに再整備されている。
2020-03-06
1186
小川屋はきもの店
小川屋はきもの店。「下駄屋さん」の面影をとどめる履物屋さん、岡谷の履物店で修業し、22歳で独立したという店主(54歳)、「流通革命の中で商売厳しいですよ」とぼやきながらも、安売り逆攻勢でがんばっていた。
2020-03-06
1173
旧社東町公民館
旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。
2020-03-06
1172
十四瀬川河口
十四瀬川河口付近の諏訪湖畔。写真正面の船着き場の横に、大正14(1922)年平野村(現岡谷市)小井川部校4年生3名がこの地で遭難したのを慰めるために建立された延命地蔵が祀られ、湖畔を温かく見守っている。
2020-03-06
1152
長岡川魚店
湖魚の店。鯉のうま煮・まる揚げ・丸煮・鮒の甘露煮・唐揚げ・雀焼き・かぶと焼き・とんこの佃煮・ウナギのかば焼き・・・にぎやかな品揃えで町民に親しまれていた。昭和31(1956)年鯉池の経営者が小売店として開店した長岡鯉店。
2020-03-06
1136
富士遠望(夕景)
東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。
2020-03-06
1125
旧釜口水門
撤去工事の準備の始まった旧釜口水門。天竜川の始点であるこの水門「昭和7(1932)年に大洪水対策と疲弊農村救済策として着工、同11(1936)年3月完成した。幅7m・高さ3mの制水門7門・舟航路付き、総工費34万円だった」(信毎)。毎秒600トン放流可能な新水門の完成で役目を終えた№1307参照。
2020-03-06
1114
モノレールで新米の出荷
江戸時代下の原の名主を中心に藩の支援を受けながら、東俣蝶ヶ沢から東俣川の水を取り入れ城の沢で落とす長さ6650mの菰川汐(こもっかわせぎ)を作り水田化が図られた。昭和58(1983)年に、耕作者三人が県の補助金を受け、この山上の田(海抜900m)から農業用モノレール(全長202m)を設置した。写真は新米の搬出風景。モノレールは250㎏まで荷物を詰めるそうだ。この年、ミスズモチとフクヒカリを植え、平年作を上回る出来だったという。
2020-03-06
1100
砥川先でのウィンドサーフィン
湖でウィンドサーフィンを楽しむ若者たち。諏訪湖は午後になると風の出る日が多い。ことに砥川先は風が強く遠浅であるため、ウィンドサーフィンの基地として好適。当時は各地からサーファーが集まってきていた。
2020-03-06
1089
十四瀬川河口
岡谷市との境界、十四瀬川(十寄川)河口。横河川谷口の出早雄小萩神社より分岐する水を源に岡谷市と下諏訪町境付近を流れる長さ7.9㎞の川。護岸がコンクリートで囲まれる前は魚がたくさん遡上していた。また、河口付近では西赤砂で漁をする人たちの舟たまりともなっていた。当時はマコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していたが、次第にコンクリートの護岸となっていった。
2020-03-06
1088
ワカサギの舟釣り
砥川河口のわかさぎ釣り。湖の水温が下がるとわかさぎ釣りのポイントが岸から沖へ移る。10月中旬から最盛期に入り、季節風の吹き出す11月頃まで賑わっていた。
2020-03-06
1076
アヒルを飼う
テーラーを営む上條さんは仕事の合間に湖に注ぐ砥川の土手で四季の花を植え、アヒルを飼って楽しんでいた。自宅前の砥川でアヒルを飼う上条さん73歳、弓道4段の腕前だった。
2020-03-06
1071
農業用水の取り入れ口
砥川、田用水取り入れ口の水路補修をする農業者。
2020-03-06
1070
町営プール
赤砂の砥川河口横にあった旧町営プール、シーズン最後の日。現在は防災公園になっている。
2020-03-06
1069
最後の専業漁師
諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。№1068参照。
2021-04-01
1067
古川の流れ
下水道効果で澄んできた町なかの川。どぶ川同然の汚れだったが、下水道の普及とともに水質改善が進み、水草も見られる流れになってきた。昭和63(1988)年から子どもたちの夏休み行事としてマスのつかみとり大会も催されている。
2020-03-06
1065
導水管点検
中部電力砥川水力発電所へ引水する導水管の点検作業。
2020-03-06
1063
承知川河口
承知川河口付近。源は大見山(八の字山)の西に発し高浜湾に注ぐ、長さ6.1㎞の川。流れは大きくないが、暴れ川で度々出水し護岸工事も何度か行われている。
2020-03-06
1060
十四瀬川河口
岡谷市との境、十四瀬川の河口。マコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していた。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵が祀られている。
2021-04-01
1059
演奏会
村の鎮守(高木津島神社)の舞屋(江戸末期の建築)で行われた小澤征爾・ロストロボーヴィッチ・桐朋学園大学生の弦楽アンサンブル。一行は飛騨白川村、伊那谷大鹿村に続いて下諏訪町高木を訪れ、諏訪養護学校の子供たちにチェロ協奏曲を聴かせた。この演奏の旅、ロストロポーヴィチ(62)の希望で実現したものという。小澤征爾はこの日が55歳の誕生日だった。
2020-03-06
1055
養鯉の給餌
網イケス養鯉の給餌。配合飼料に群がる湖上網イケスの鯉。飼料は自動えさまき機でテント内の小屋の中(写真下)で、まいているので、養鯉組合が一日二回、交代で餌を補給していた。
2020-03-06
1046
諏訪湖のアオコ
古川から流れ出た水が諏訪湖のアオコの中に流れ込んでいる様子。アオコは植物プランクトンで藍藻・珪藻・緑藻など。
2021-04-15
1035
アカウオ釣り
早朝、市街地の小川(諏訪湖に流れ込む古川の河口近く)へのぼるアカウオを釣る男性。下水道の普及で市街地を流れる川もきれいになり魚たちが戻ってきている。諏訪地方でアカウオと呼ぶのははコイ科の魚で、産卵期になると体が婚姻色で赤みを帯びてくるウグイをさすことが多い。河川に群で上がる姿が見られる。
2020-03-06
1033
自転車店
自転車を修理する老店主。
2020-03-06
1021
「樋門」を新設する工事
湖へ注ぐ小河川(古川)の河口へ「樋門(ひもん)」を新設する工事。湖の洪水防止のため、護岸提を1mをかさ上げし、さらに川の河口へ樋門造り増水時に逆流するのを防ぐ工事という。将来は樋門へポンプを設ける計画というが、こうした不自然な治水計画に首を傾ける住民が多い。
2020-03-06
1020
砥川の川遊び
連日の猛暑、浮島付近の河原に涼を求める人たち。この日の最高気温は31.8度、前日は32.1度でこの夏の最高となった。当時、諏訪測候所が記録した最高気温は昭和22(1947)年8月13日の35.3度二番目は翌日の34.6度。
2020-03-06
1018
砥川の風景
立秋、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち。砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。河岸の草の穂に秋を感じさせる風景。
2020-03-06
1015
砥川の清掃
全町一斉「川をきれいにする運動」24年目の作業風景。川へゴミを捨てる風習をなくすため、町の主導で始まった清掃運動。
2020-03-06
1012
下の原の幟立て
「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。
2020-03-06
1004
砥川土手
オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。
2020-03-06
997
砥川土手
砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖に向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見えるが、ここには弥生町にあった旧諏訪女子学園があった。
2020-03-06
996
十四瀬川の改修工事。
中小河川の改修工事。湖からコイ・フナが上ってくる流れなのだが、ここもコンクリートブロックの護岸に変えられ水辺の環境が失われていく。市川氏の解説には「役所は川を排水路としか見ていないらしい。後進国レベルの行政というほかない。」と書き込まれている。十四瀬川の改修工事。
2020-03-06
986
茅の輪くぐり
諏訪大社下社の夏越(なごし)の大払い神事「茅の輪くぐり」。春宮横を流れる砥川の中の島「浮島」で行われる。茅の輪くぐりの祭りの風景。
2020-03-06
978
伊藤時計店
駅前通りの小さな時計店。店主(当時は73歳)は太平洋戦争中、兵役で病を得て諏訪赤十字病院で療養生活を送ったさい、森山汀川の指導を受けたアララギ派の歌人。昨年歌集を出版した。伊東時計店の店内と伊東憬氏。
2020-03-06
968
十四瀬川のフナすくい
湖から小川(十四瀬川・古川・うなぎ沢)へ産卵にのぼるフナをすく子どもたち。雨で増水するとどっとのぼって来て、バケツ一杯も取れる時がある。子供たちは、目の色を変えて夢中で魚を追いかけていた。写真は十四瀬川のフナすくい。
2020-03-06
956
路地があそび場
小川屋履物店の前で遊ぶ子どもたち、路地空き地などで子どもたちが遊ぶにぎやかな様子。(履物屋の前)
2020-03-06
948
ワカサギの採卵風景
砥川の河口近く、濁った砥川でのワカサギの採卵作業。
2021-04-01
925
金色のなまず
諏訪湖でとれた金色のなまず。3月5日下諏訪町の砥川先でつかまり、諏訪市水族館(湖畔のSLが置いてある辺り)入りしたなまず。黄色の色素が強すぎて黒色の色素がないための現象らしい。「アサヒグラフ」3月24日号「サカナだって金満時代」の見出しの記事とともに紹介、話題を集めた。水族館は現在はなくなっている。
2020-03-06
922
ワカサギ釣り
高木大沢川湖岸のワカサギの引っ掛け釣り。産卵期で岸に近づくワカサギを狙うのがこの釣り。結氷湖での穴釣りはこの冬もできずに終わっている。
2021-04-01
815
冬の砥川
冬の流れ(砥川)。砥川は全長12.9km町内で一番大きな川である。土砂の流出が多く、写真の医王渡橋付近より下流は度々流路が変わるほどの洪水を起こしてきた。また天井川を形成している。
2020-03-06
799
諏訪湖が全面結氷
連日の凍みに諏訪湖が全面結氷(砥川先・対岸は岡谷市湊地区)マイナス10度の強い凍み全面結氷し酷寒の地諏訪盆地らしい景色。
2020-03-06
777
上段の間の雛人形
かめやホテル上段の間の雛人形。旧中山道下諏訪宿の本陣遺構のうち上段の間を中心とする一郭が、湯宿「かめや」の特別室として使われている。「絵の間」に続く中の間に飾られたひな壇。 この宿、宇野浩二の前期の連作「諏訪物」の舞台になったことで知られ、芥川龍之介の地元の芸者に送ったラブレターなども展示されるなど、多くの文人墨客が来遊した。
2020-03-06
771
竜の口
慈雲寺山門下にあるの龍の口。銘に「西山田邑山田清左エ門・金右衛門・近辺連中」とあり、手洗鉢には「願主西山田村山田平蔵和哉」とある。これら山田氏は横川村に住む石工であった。 「生涯学習ガイドブック1歴史編」には、慈雲寺入口の石段の右脇にあり、中山道を通る旅人の喉をうるおした。作者は現岡谷横川の山田清左エ門・金石衛門。文政8(1825)年作で、高遠石工の流れをくむものであると紹介されている。 「写真で見る下の原」には、慶応元(1865)年竣工、石工は現岡谷横川の石工山田平蔵和哉である、と紹介されている。 水石榴の側面に「花・清・水」と彫ってあるというが、現在は風化が進み読みにくくなってしまっている。 今でも清水講の皆さんが水石榴や周辺の清掃を続けているという。
2020-03-06
755
承知川の旧発電所
承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。
2020-03-06
749
りんごの樹の剪定
リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじなど)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39(1906)年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まると記録されている。。
2021-03-27
747
ワカサギ採卵風景
砥川採卵組合の建物。№742~747関連写真参照。
2021-04-01
746
ワカサギ採卵風景
砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。採卵受精後木枠(卵わく)のシュロゲヘ卵を付ける作業。ワカサギはキュウリウオ科の魚で口に歯があり動物プランクトンを主食とするので、富栄養湖の諏訪湖に移植され好成績をあげた。この魚は年魚で10ヶ月で成魚になり翌春産卵のため、河川の水温が諏訪湖の水温より高くなれば河川にのぼり始める。
2020-03-06
744
ワカサギ採卵風景
砥川採卵組合のワカサギ採卵作業、暖冬のため三年続きの不振、採卵量は約10億粒と極端にすくなく県外湖沼へも打撃をあたえた。諏訪湖の採卵・孵化事業は長野県水産試験場諏訪市部の指導者によって昭和6(1931)年から六斗川ではじめ、昭和31(1956)年からは砥川でも始めている。 №742~747関連写真参照。
2021-04-01
742
ワカサギ採卵風景
砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。
2020-03-06
734
ワカサギの採卵場の池
砥川採卵場の池。昭和31(1956)年に諏訪湖漁協の有志が砥川河口でワカサギの採卵を始めた。砥川河口で捕獲されたワカサギは採卵・受精され池の中で孵化を待つ。卵は約20日間で発眼し一週間後に孵化するので、その間に県内外に出荷する。写真は採卵・受精した卵を卵枠のシュロ毛につけて池に浸けている風景である。
2021-04-01
717
橋の上
橋の上。法被の襟に「山七製糸場」の文字が見える。個人所蔵の写真。
2020-03-06
695
東俣の木馬と木馬道
観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。
2020-03-06
691
垂木岩(タルキイワ)
西餅屋立場下手にあった垂直に切り立った垂木岩。ここには垂木岩の断崖に直角に穴を穿って角材をはめ込み、川側に柱を立てて橋桁(はしげた)を支え、その上に板を載せて橋とした桟橋(かけはし)がかけられていた。旅人にとっては肝を冷やす場所で、特に雪の降る冬は足元もままならないほどだったという。明治10(1877)年和田峠改修の時、間道ができてなくなった。
2020-03-06
680
和田義盛の刀石
明治37(1904)年古峠(旧中山道)の石小屋下にあった和田義盛の刀石が、水月会員の出払で慈雲寺中庭に移された。この石は砥川石(安山岩)の側面に刀を突き通したという穴が三つあいている、(樹形と推定される)鉱物学的に貴重なもの。和田義盛は鎌倉時代初め(1147-1213)の人。侍所別当だったが北条氏と対立し挙兵したが、一族とともに滅ぼされた。
2020-03-06
678
砥川東の入江
赤砂砥川東の入江の風景。
2020-03-06
672
砥川下流
「諏訪案内」より。砥川が天井川となっている様子。左側の家屋は東赤砂と思われる。
2020-03-06
671
砥川先
昭和38(1963)年撮影の砥川先の風景。
2020-03-06
667
柴金桃あずまや
小口正衛は第2代村長、第5代町長を務めた人。趣味が広く柴庭庵金桃と称し俳句をした。柴金桃は後年の俳号である。武居台地の先端部、宮司家宅裏の柴金桃あずまや。「名月や虫の髭ふる草の上」の句碑が赤砂砥川先の赤砂公民館前に残されている。
2020-03-06
662
十四瀬川
十四瀬川下流のヨシ。川の中に船がつなぎとめられている。
2020-03-06
661
砥川
川向こうが赤砂の検車場、赤砂先に諏訪自動車車検場が設置されたのは昭和40(1965)年4月である。
2020-03-06
660
砥川
鷹野橋と湖畔道路の記念碑。№658参照。
2020-03-06
659
清水町付近の砥川
砥川上流を望む。砥川河床より砥川左端の清水町の家々が低くなっていて天井川の様子が分かる。砥川添いに県営住宅10世帯(5棟)ができ清水町が生まれたのは昭和22(1947)年3月である。
2020-03-06
658
砥川
鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。
2020-03-06
614
下諏訪全景
中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。
2020-03-06
613
諏訪電気株式会社
明治30(1897)年11月、諏訪電気株式会社が創立、最初木の下の一民家に事務所をおいたが、立町の菅沼屯(たむろ)方に移る。
2020-03-06
600
下諏訪分署
明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。
2020-03-06
593
旧中川旅館
旅籠や中川家の欅の角柱。馬のたづなを繫ぐ金の輪。この角柱は現在町博物館にて保管。
2020-03-06
592
旧中川旅館
旅籠屋中川家、奥にかめやホテルの看板が見える。
2020-03-06
591
旧中川旅館
下諏訪宿の昔姿として残された最後の旅籠屋中川家。出粱造りやそれを支える欅の角柱が見える。この角柱には馬の手綱をつないだという金の輪がそのままになっていたといい、現在は下諏訪博物館に保管されている。 昭和51(1976)年建物は取り壊されいる。
2020-03-06
589
本陣庭園
中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。
2020-03-06
578
浮島社
浮島と砥川上流を望む。浮島社には祓戸大神が祭られており、現在ではここで毎年6月30日に夏越の祓の行事(茅の輪くぐり)が行われている。
2020-03-06
573
大門先の石燈籠
旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。 写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。
2021-04-22
539
承知川扇状地と下諏訪旧市街地
右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。
2020-03-06
535
福沢川の氾濫
昭和10(1935)年6月29日砥川・承知川大出水、殊に福沢川の部落内の被害は甚大で、写真は福沢川の橋より東2・3軒目の裏手から砂瓦礫が浸入した様子。
2020-03-06
534
砥川の大氾濫
明治38(1905)年6月19日の集中豪雨。浮島の右岸が決壊、東山田字若宮地籍へ浸水した。砥川にかかる橋のうち富士見橋をのぞいた全てが流失した惨状を数日後に撮影。この時医王渡橋流失、牛枠・木流し・杭などが見える。右手茅葺屋根は友野家。
2020-03-06
522
片倉二代銅像
第2代片倉翁銅像の写真絵葉書。 昭和10(1935)年に下諏訪や川岸村などの尽力により建立が決定した。 この時は宝生橋も裏参道の堀割に架設されている。 しかし、昭和18(1943)年金属回収のため撤去されてしまった。
2020-03-06
499
砥川改修前の天井川
砥川改修前の天井川。 「諏訪湖の研究」からの複写と思われる。
2020-03-06
498
金桃の碑と小井川校生徒の延命地蔵
写真左の碑には「名月や虫のひげふる草の上、紫金桃」とある。この右手にあるのは、大正11(1922)年6月22日小井川小学校生徒が水泳中に遭難したため、昭和9(1934)年にその霊を慰めるために建てられた延命地蔵。尚、紫金桃(小口正衛、二代村長、3代町長)の碑は現在赤砂公会所の前に移された。
2020-03-06
484
富岳を望む
絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。 ボートを漕いでいる様子から当時の諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒のようだ。
2020-03-06
482
ボートレース
絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。ボートを漕いでいるのは諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒と思われる。
2020-03-06
473
製糸工場風景
絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。
2021-04-01
427
下馬橋
下馬橋から春宮鳥居までの風景は現在とはあまり変わりはないが道路はまだ舗装されていない。 また春宮に向かい下馬橋の右側に御手洗川の分流が水量豊かに流れている。 下馬橋は春秋のお宮うつりの時に御神輿が通る橋です。
2021-10-28
408
砥川
砥川下流から見た医王渡橋付近。
2020-03-06
407
砥川
集中豪雨により砥川の出水、医王渡橋付近。昭和10(1935)年6月29日、砥川・承知川で出水。殊に福沢川の部落内の被害は甚大であった。
2020-03-06
406
砥川
医王渡付近から砥川下流を写したもの。
2020-03-06
405
医王渡橋より下流を望む
昭和9年10月の大豪雨により砥川が出水した。医王渡橋から見た砥川下流の出水の様子。町誌下巻89pには、この時雨量坪3石2斗だったとある。
2020-03-06
396
大門通り
春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。
2020-03-06
395
防火訓練
さわら並木の残る春宮大門通りでの防火訓練。左側を流れる御手洗川の汐(せぎ)の流量の豊かさに当時の人々の生活との結びつきの強さを見ることができる。
2020-03-06
392
下諏訪遠景
諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。
2020-03-06
384
山王台を望む
久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。
2020-03-06
383
山王台を望む
大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。
2020-03-06
324
第一配水池
町営水道布設工事は総工事費38万円で昭和2(1927)年4月16日着工、昭和3(1928)年12月25日完工。水源地を東俣国有林の川路、大鹿の自然湧水に求め集水井を経て自然流下により水月園の配水池(下の原字天白)に送水されている。写真は第一配水池。
2020-03-06
288
航空写真 花田上空
上空から見た東山田(下諏訪町第7区)左に三協精機社宅(現日本電産サンキョー)、下諏訪町第5保育所(現とがわ保育園)の赤い屋根が見える。
2020-03-06
285
航空写真 町庁舎周辺
上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。
2020-03-06
284
航空写真 赤砂崎付近
空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。
2020-03-06
283
航空写真 砥川河口付近
空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。
2020-03-06
282
航空写真 漕艇場付近
空から見た諏訪湖。漕艇場。
2020-03-06
281
航空写真 下諏訪町市街地
空から見た下諏訪町と諏訪湖。写真右下に漕艇場が見える。昭和52(1977)年当時は西大路通りがまだできていないのと同様諏訪湖の湖周道路も未完成である。
2020-03-06
280
航空写真 下諏訪町市街地
写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。
2020-03-06
276
諏訪湖氾濫
昭和36(1961)年の集中豪雨で氾濫した時の諏訪湖。写真手前の上諏訪側の湖岸はかなり水につかっている。特に諏訪湖の南側は諏訪湖が広がったように見える。また下諏訪高浜や高木と思われるあたりの湖岸も水に浸かっている様子が遠望できる。下諏訪町第三区の年表(近現代)には「6月28日、豪雨で十四瀬川氾濫、西赤砂4戸床上浸水、30余戸床下浸水の被害を受ける」とある。また、諏訪市史には「諏訪市の被害は浸水家屋2,680戸、橋梁流失5、浸水日数8日」と記載されている
2020-03-06
227
医王渡橋渡り始め
橋脚のない鉄橋医王渡橋を施工する。明治38(1905)年流出後架設した橋が老朽化し、大正12(1923)年8月県補助を申請し鉄橋建設、総工費5000円、中谷鉄工所請負で大正13(1924)年7月開通。
2020-03-06
222
子どもの川遊び
浮島へ渡る橋は木造だった。背中に小さい子供(弟や妹)を背負い遊びに興じる姿は珍しくなかった。
2020-03-06
219
子どもの川遊び
中村静志に絵を描くためと依頼されて撮影したという写真。
2020-03-06
218
子どもの川遊び
浮島の周りの砥川。カジカなどの小魚が沢山いた頃のもの。川を石でせき止めてプールをつくって泳ぎ、体が冷えるとあみだ様(万治の石仏)の背中に張り付いて温めた人もいたという。
2020-03-06
217
子どもの川遊び
浮島の周りの砥川の子どもたちの様子。
2020-03-06
216
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
194
梅雨明け集中豪雨
砥川出水時の医王渡橋下。
2020-03-06
193
梅雨明け集中豪雨
上流より見た砥川。水防のために置かれた牛が見られる。
2020-03-06
192
梅雨明け集中豪雨
砥川「浮島」付近の出水状況(昭和7年7月8~11日)
2020-03-06
191
梅雨明け集中豪雨
砥川の洪水。昭和7(1932)年7月8~11日の梅雨明けの集中豪雨で大出水。写真は浮島付近。 江戸時代に成立したと思われる下社七不思議のひとつとされる「浮島」。春宮の横を流れる砥川の中の小島で夏越しの神事が行われる島だが、濁流の中さながら浮きあがって見えている。
2020-03-06
184
吉澤製材所とさわら並木
春宮前のさわら並木を西側から写したもの。春宮下馬橋の西裏手を流れる御手洗川の水力(水車)を動力として利用をした吉澤製材工所。写真の大きな立木は大門通りのさわら並木。現在は駐車場、住宅になっている。河西政常氏撮影。
2020-03-06
180
大正年間の大門通り
大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。
2020-03-06
179
小田野段丘と砥川新扇状地
機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。
2020-03-06
169
出征兵士と家族写真
出征兵士と家族の記念写真、菅野町の武川運送。
2020-03-06
145
町営プール
昭和54(1979)年に完成した赤砂崎の町営プール。 プールの背後には砥川が流れ、河口には鯉養殖の網いけすが置かれている。現在は多目的グラウンド・防災ヘリポート等になっている。
2020-03-06
81
製糸の町岡谷
満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。 大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。
2020-03-06
79
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。
2020-03-06
78
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。 天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。
2020-03-06
69
裏参道開通記念
昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。 さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。
2020-03-06
65
高木の長持連
戦後最初の御柱祭の高木長持連。 添付名簿後列左から 田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明
2020-03-06
54
中川旅館
下諏訪宿最後の旅籠中川旅館、道に面して大きな柱(離れ柱)があり牛馬を繫ぐ鉄輪がうたれていた。(現在、柱は下諏訪博物館に保存) 「中川治朗」と書かれた看板、その左右に「まねき」とよばれる、30㎝×50cmの布旗かけられている。 御嶽講のまねきが目立つが、他の講社のものも見える。 下諏訪宿の昔の姿をとどめていた中川旅館も昭和51(1976)年3月取り壊されてしまった。「
2020-03-06
23
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
22
中川旅館
改築前の「中川旅館」看板には「奈可川旅館」と書かれている。御嶽講の提灯が掛けられていたり、当時の街道を歩き宿泊した講や、流行した旅など庶民文化も垣間見られる。昭和51(1976)年3月、下諏訪宿の昔姿として残された最後の旅籠屋「中川家」は取り壊された。
2020-03-06
13
ダイヤ豆腐周辺の航空写真
当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転ひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。
2020-03-06
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