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登録リスト(該当:10件)

管理番号写真タイトル説明登録日
2008講演会?講演会?演題後ろに張り出されたものから、廣池千九郎(ひろいけちくろう)氏の講演会と思われる。 廣千九郎は、慶応2(1866)年生まれで日本の法学者、歴史学者、後年は道徳教育者で、モラロジー(道徳科学)の提唱者。また、道徳科学専攻塾(現在のモラロジー研究所・廣池学園)の創立者。 詳細不明・2020-09-08
1927東山田農家組合東山田農家組合「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。2022-01-18
1507駒形稲荷駒形稲荷社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。2020-03-06
1285座繰協同組合施設座繰協同組合施設明治13(1880)年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返(あげかえし)所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21(1888)年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。2020-03-06
1282天然氷の採氷天然氷の採氷明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。2020-03-06
1161三協精機三協精機三協体育館で行われた、精密電子メーカー「技術交流プラザ・技術成果展」会場。一番人気は「絵描きロボット」だった。 三協精機は、昭和21(1946)年当時の北澤工業に勤めていた3人により下諏訪町に三協精機製作所として創立した。かつてはオルゴールのムーブメント製造が看板事業で、一時は世界のオルゴールムーブメントシェア80%を誇った。しかし、現在は、本体としては同事業からは撤退し、子会社の日本電産サンキョーオルゴール株式会社で取り扱っている。 平成15(2003)年に業績不振から日本電産株式会社傘下入りを発表し、社名も日本電産サンキョー株式会社となった。2020-03-06
720下諏訪商業組合下諏訪商業組合大正13(1924)年の下諏訪商業組合創立記念の時の写真。下諏訪商業組合の看板が見える。大正13年商工大臣から保証責任下諏訪商業組合の許可が出て、共同購入・保管・金融を取り扱った。№715参照。2020-03-06
613諏訪電気株式会社諏訪電気株式会社明治30(1897)年11月、諏訪電気株式会社が創立、最初木の下の一民家に事務所をおいたが、立町の菅沼屯(たむろ)方に移る。2020-03-06
341片倉館片倉館片倉館は片倉紡績(株)により御大典奉祝や片倉創立50周年を背景に製糸工場従業員の福祉施設として昭和3(1928)年、建設。総工費80円余り。一度に1000人入れる「千人風呂」があり、休みの日には従業員たちが岡谷から船に乗ってやってきたという。一般の人たちにも解放され建物は国指定重要文化財に指定されている。当時の入浴料は2銭だった。2020-03-06
52ハイヤーハイヤー大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。         2020-03-06
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